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                  「不完全の地球と未完成の人間」
 
 明治時代になって日本が西洋文明を取り入れたために、日本人の考え方が激変してしまったのです。
 日本の中世から、幕藩体制の観念が親代々からの伝承として、人々の中に深く染み込んでいるのです。一方、明治の文明開化によって、西洋文明の考え方が入り込んでいるのです。そうして、経済大国になった日本の考え方があって、世界観がごちゃごちゃになっているのです。
 日本人に聖書ついて話をするということが非常に難しいのです。私がお話ししている聖書は、キリスト教の聖書ではありません。キリスト教で考えているような聖書ではないのです。
 新約聖書の中心はイエスという人についてです。イエスは宗教を非常に嫌ったのです。宗教を徹底的に嫌った結果、宗教家に殺されたのです。
 イエス・キリストと言いますが、イエスがキリストになったのです。イエスとキリストは別のことです。イエスは人間ですが、キリストは神の地球計画のことです。
 イエスがキリストになったのです。このことは普通の人間の常識では分からないのです。このことを皆様に説明するためには、根本的な問題をお話ししなければならないのです。
 聖書に霊という言葉が出てきますが、霊とは上のことです。しかし、上というのは人間の常識で考える上ではないのです。
 人間の常識は下のことです。皆様の肉体は肉です。これは下のことです。霊とか魂というのは上のことです。
 神というのは上という意味です。神様というのは上様ということです。
 上が霊ということの本性になるのです。例えば、太陽があるのかと言いますとないのです。太陽は水素が核融合反応によってヘリウムに変化しているだけで、太陽という個体があるのではないのです。
 核融合反応という活動があるだけであって、太陽という物体があるのではないのです。これは物理運動は存在するが、物体は存在しないという考え方と同じなのです。
 物質や物体が存在するというのは下の考え方です。上の考えは物質や物体は存在しないというのです。しかし、何かがある。これが霊です。何かというのは霊です。
 皆様は肉体人間として現世に生きています。しかし、現世に生きているということが、果たして実体的に存在しているのかと言いますと、実体的には存在していないのです。
 太陽が実体的に存在していないように、皆様の肉体も実体的には存在していないのです。生理機能と心理機能が機能しているだけなのです。
 生理機能と心理機能がある。これを霊というのです。機能の働きを霊というのです。医学の常識では呼吸機能、消化機能があると考えているのです。肉体が本質的に実体的にあるのかというとないのです。機能があるだけです。
 般若心経の般若波羅蜜多というのは、人間の肉体存在は幻であるということです。太陽があるという考え方が、幻を信じているのと同様なのです。
 これが分かりますと、皆様の物の考え方の中心が変わってしまうのです。
 大学の教授は学校では物質は存在しないと教えています。物理運動はあるが、物質は存在しないと教えています。ところが、家へ帰ると物質が存在するという観念で生活しているのです。
 理論的には物質は存在しないことを知っていながら、観念的にはあるような気持ちで生きているのです。
 皆様が宗教ではなく、伝統、習慣ではない本当の人生を捉えようとするのなら、また、魂の実体を掴まえようとするのなら、考え方の間違いを是正して頂きたいのです。
 世界の実体と生活感覚とが違っている。これが皆様の人生に無数の矛盾を生んでいくことになるのです。色々な病気が発生し、社会的な混乱が起きることになるのです。
 日本人は聖書というとアレルギーを感じるのです。これは日本の歴史がそうさせていると言えますし、民族の伝統がそうしていると言えるでしょう。
 日本には日本の霊があるのです。日本の霊というのは、巫女の口寄せ的な霊、霊媒的な霊です。これは神霊科学の霊です。こういう霊によって日本の神を造っているのです。
 八百万の神々は、氏神と産土神とがあるのです。氏神とは先祖のことです。先祖の霊と土地の霊の二つの霊が、日本では正当に信じられているのです。
 日本人にはシャーマニズム的な感覚、霊媒的な感覚が強くこびり付いているのです。八百万の神々というありもしないものを、あるように考え込んでしまっているのです。
 日本人の常識としては、八百万の神々が本当の神でしょう。ところが、八百万の神々というのは、人間が勝手に造った神であって、そんなものが実在するはずがないのです。
 こういう誤解を払拭して頂かなければ、本当の真実を理解して頂くことはできないのです。日本人は誠に困った民族です。こういう感覚で聖書に対してアレルギーを感じるのです。
 八百万の神々みたいなものをまともに信じているのです。まともに信じないとしても、民族の伝習としてそういうものが皆様の心の中に貼りついているのです。子供のうちから神社仏閣に参った経験がたくさんあるのであって、そういう感覚が皆様の脳髄に焼き付いていますから、民族的な宗教観念があるのです。そういうものがあるために、聖書の神に対して本質的なアレルギーを感じるのです。
 そこへ、キリシタンバテレンという考えが加わったのです。だから、ますます聖書の神を嫌うことになったのです。
 私がいう聖書はキリスト教の聖書ではありません。キリスト教は西洋の宗教教義を述べ伝えるために、聖書を利用しているのです。
 聖書に基づいて宗教教義をでっち上げたと言ってもいいでしょう。キリスト教の宗教観念は、白人の世界観、人生観から出ているものです。
 現在では、キリスト教の思想が濃厚に働いて文明を造っているのです。本当の命が分からないままの状態で文明が造られているのです。
 人間文明には目的がないのです。全世界の人間は目的がない文明に従って平気で生きているのです。全くどうかしているのです。
 現代文明には色々な矛盾が山積みしています。政治、経済にも矛盾がありますし、教育の中にも矛盾があります。校内暴力、家庭内暴力も頻発しているのです。
 そういう矛盾がなぜ頻発するのかと言いますと、人間とは何かということが分かっていないからです。
 文明に目的もないし、政治、経済、社会にも目的がないのです。皆様は何を目的にして生きているのでしょうか。現在、皆様が生きているということについて、どのような目的があるのでしょうか。
 目的を持たないで生きている人間を現代人というのです。現代の文明はユダヤ人が造ったものです。ユダヤ思想そのものが、本質的に宗教観念です。これが現代文明になっているのです。
 人類は現代文明に洗脳されているために、人間とは何かということが全く分からないのです。分からないと言えば、何もかも分からなくなっているのです。
 そこで、私たちはまず般若心経を文字通り学んでいかなければならないのです。宗教ではない般若心経を勉強するのです。
 日本には般若心経を読んだり書いたりしている人が一千万人以上いるでしょう。その中には写経をして千円を付けて寺へ送っている人もいますし、そのお金で寺を建てている所もあるのです。
 般若心経はそういうことのためにあるのではないのです。般若心経は人間の考えが間違っていると、真正面から言っているのです。今の人間の考え方が根本から間違っていることを、率直に指摘しているのです。
 ところが、般若心経を読んでいる人間がその意味を考えないで、ただ読んでいるのです。また、写経しているのです。そうして、有難がっているのです。何をしているのかと言いたいのです。
 こういうばかげた人生観の基本を叩き破ることが、私たちの目的です。文明が間違っているのです。これにはっきり目覚めて頂きたいのです。人間は何を考えて生きるべきか。人間の命の本質は何であるのか。こういうことについて勉強しなければならないのです。
 命の実質が分かれば、皆様の心理状態にある矛盾、行き詰まりは解決するに決まっているのです。神や仏にお願いしなくてもいいのです。人間の実質が本当に分かれば、皆様の家庭にあるごたごたとか、会社内にある矛盾は、自ら消滅するに決まっているのです。
 そのために私たちは、般若心経を文字通りに理解する必要があるのです。
 聖書はかなり難しいのです。聖書の神は造り主ですが、神が万物を造るというのはどういう意味なのか、何のために神は万物を造ったのか。造られたものと神との関係はどうなっているのか。こういうことは今の日本人には少々難しすぎるかもしれないのです。
 神と人間との関係を正しく認識するためにもまず必要なことは、皆様の中にある間違った世界観や価値観を整理することです。
 イエスが死を破ったということは、歴史的な事実です。日曜日はイエスが死を破った記念日です。これは世界中何処でも通用しているのです。
 イエスが死を破ったということが、歴史的に存在しているのです。これはすべての人は死ななくなったと言っているのですけれど、人間は死なねばならないと、勝手に思い込んでいるのです。
 こういう間違いが、般若心経を学ぶことによってなくなってしまうことが必要です。
 般若心経は観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄と言っています。般若波羅蜜多を行じていた時に、人間の思いが皆間違っていることが分かったので、人間の生活の中にある一切のごたごたが全部解決したというのです。人間の心中においてすっかり解決したと言っているのです。
 般若心経は人間の考えが間違っていることを、真正面から取り上げているのです。ところが、般若心経を読んでいながら、その間違いに気付いている人はめったにいません。論語読みの論語知らずと同じように、心経読みの心経知らずになっているのです。
 五蘊皆空、色即是空、究竟涅槃が般若心経の三本柱のようなものですが、こういうことに対する理解がないままの状態で、般若心経を読んでいるのです。
 なぜこうなってしまったのかと言いますと、般若心経が仏教のテキストになってしまったからです。
 般若心経は絶対に仏教のテキストではありません。般若心経を仏教のテキストとして扱ってしまいますと、宗教になってしまうのです。
 宗教なら信じても良いですし、信じなくても良いのです。従って、般若心経をテキストとして扱っている場合には、般若心経の文字が本当のものとして意識されないのです。
 これは般若心経が悪いのではなくて宗教が悪いのです。
 イエスの復活については大変な間違いがあるのです。キリスト教でもイエスが復活したということは言いますけれど、復活とはどういうことなのか。科学的にどういうことを意味するのか。現在の人間の命と、復活したイエスの命とはどういう連関関係を持つのか。こういうことはキリスト教では全く分かりません。
 般若心経と聖書は全く誤解されているのです。何処までも宗教でないものを、宗教のテキストにしてしまっているために、こういう間違いが発生したのです。
 神は上にあるものです。太陽がなぜ存在するのか。太陽が太陽であることが神です。人間が人間であることが神です。
 皆様が人間であるということが神です。存在の当体です。実存の実体が神です。
 神は霊ですが、常識では分からないものです。上なるものです。上をひっくり返しますと下になるのです。下にあるのが人間です。上にすると神になるのです。神と人間の関係はこういうことになるのです。
 皆様は下にいますが、上を見るなら、皆様自身の存在が神と同じ存在であることが分かるのです。
 これは宗教では分かりません。皆様が現在生きていることが神です。皆様の心臓が動いていることが神です。これが分かると皆様に死なない命が自覚できるのです。
 イエスはこれを自覚したのです。自覚したから死を破ることができたのです。皆様が生きていること、目が見えること、心臓が動いていることが神です。神という事実を、皆様は生理機能という形で、また、心理機能という形で経験しているのです。
 ところが、自分は肉体人間だと考えている。こういう考え違いがあるために、死なねばならないことになるのです。人生に行き詰ったり、病気になったりするのです。
 皆様の人生の矛盾は、命が分からないから発生するのです。
 日本人は生活することには大変熱心ですが、命についての勉強をしていないのです。死んでしまうに決まっている命を、自分の命だと思い込んでしまっているのです。
 放っておいたら、今の日本人は皆死んでしまうに決まっています。皆様も今のままでは死んでしまいます。こういう命を持っていても仕方がないのです。そこで、命の実体を真剣に突き止めてみようという気持ちになって頂きたいのです。
 皆様の五官の働きが神です。この神を発見したら死なない命が発見できるのです。
 今の学者は、現在の地球はこれから五十億年も存続する可能性があると考えています。そういう説を発言する学者があるようです。
 そういう説を考えるのは自由です。人間の考える常識や理屈はどうにでも言えるのです。「理屈と膏薬は何処へでも付く」という諺がありますように、どう考えようが自由ですが、現在生きている命の実体について、どのように考えているのかということです。
 現実に人間がどんどん死んでいくのです。死んでいく人間をどのように考えたら、死なない人間になるかということです。宗教ではない立場から、人間の命をどのように見ることができるかということです。
 今現実に生きている人間の中に、本当の自由、本当の幸せがあるのか。どうしたらそうなるのかということです。
 仏教では、五十六億七千万年後には、この地上に弥勒菩薩が現われて、人間に幸せを与えると言いますが、こういう考え方は、現在の人間の命と何の関係もないのです。
 こういう考えは単なる宗教の情報にすぎないのです。情報を学ぶよりも、実体を見る方が大切です。
 私が話していることが宗教ではないということは、現在生きている皆様の命の実体に秘密があるということです。
 現在の文明をどのようにしたらいいのか。文明の何処がどう間違っているのかということを言いたいのです。こういうことについて真面目に考えてみませんかとご提案しているのです。
 宗教指導者や学者が言っていることが良いか悪いかということだけではなくて、そういう情報を勉強しても、死なない命は分からないということをお話ししたいのです。
 宗教が言っていることはただの情報です。情報が正しいか正しくないかではなくて、情報は命にならないということを申し上げたいのです。情報はどこまでも概念です。概念をいくら学んでも命にはならないのです。
 しかし、般若心経を学ぶと命になるのです。五蘊皆空、色即是空、究竟涅槃は命への導きになるのです。命を学ぶための具体的な導きを、般若心経は提供しているのです。
 イエスが死を破ったということは、現在の皆様の命とイエスが復活した命が、重大な関係があることを示しているのです。
 人間は考え違いをしているから死んでいくのです。人間はなぜ死ぬのか。死にたくない、死にたくないと言っていながら死んでいくのです。
 皆様が死にたくないと思っていることは、死ななくてもいい方法があることを、暗黙のうちに承知していることになるのです。
 皆様の本心とか本願というものは、人間の常識では分からないことを直感的に知っているのです。これが本願です。
 人間の本能は官能ではありません。本能は人間の本性に基づく能力性であって、これが永遠の命であることを直感しているのです。
 皆様の潜在意識を明確に喚起したいのです。呼び起こしたいのです。そのためには、まず般若心経に基づいて考えて頂きたいのです。情報に頼らないで、皆様が生きている命の実感に基づいて勉強して頂きたいのです。
 日本の新興宗教が、守護霊ということを盛んに言っています。これは嘘ではありませんが、本当の守護霊というのは新興主教でいうようなものではありません。
 宗教では民族の霊とか、国の霊とか言います。日本の産土神は土地の霊です。こういうものはありますが、本当は最高の霊が一つあるだけです。これ以外に霊はたくさんありますが、これは神霊科学でいう霊です。これは本当の意味での霊ではないのです。
 これは上の霊ではなくて下の霊です。下の霊は人間が造った霊です。人間の便利のために造っている霊です。これが守護霊というものです。こういうものは考えない方が良いのです。
 私が申し上げたいことは、皆様ご自身の目が見えること、心臓が動いていることが、宇宙の命の中心である神の霊であるということです。神自体の現われです。
 神の霊というのは神が機能する状態です。神というのは、意志する状態、言(ことば)を発する状態、働く状態と三つあります。原理と原則と原動力の三つです。この三つは神です。これが三位一体の神です。
 キリスト教ではこういうことは分かりません。神が分からないからです。宗教の神と本当の神とは違います。
 皆様の心臓が動いていることは、宇宙の命がそのまま神の御霊の働きとしてあるのです。皆様の目が見えること、皆様の心臓が動いていることが、そのまま神の守護的な形として、皆様と共にいるのです。これが最も明白な本当の守護霊です。
 神が皆様と共にいるのです。皆様の心臓が動いていることが神ですから、これが分かれば死ななくなるのです。自分が生きているという間違った考えに立っているから、これが分からないのです。
 自分が生きているという考えが、人間を不幸にしているのです。全世界の人間が、自分が生きていると考えているのです。
 自分が生きているという考えほど人間を不幸にしていることはありません。皆様は自分で生まれたいと思って生まれたのでありません。従って、皆様の命はあるはずがないのです。
 もし皆様が自分で生まれたいと思ったとしたら、自分はいるでしょう。今の命は自分の命だと考えてもいいかもしれませんが、この場合でも、命は自分のものではないのです。自分の体を自分で造っていませんから、命は自分のものであるという考えはおかしいのです。
 人間は自分が生まれたいと思わないのに、知らない間に生まれていたのです。皆様が生まれたということ自体が、皆様の意志によるのではないのです。従って、命は自分のものではないのです。
 これは少し冷静に考えたら分かることです。人間は理性的に生きていますから、みずから意識することが必要です。みずから意識することがなければ、理性的に生きることはできませんから、自意識は必要です。
 何のために自意識が必要かと言いますと、すべてが神の所産によるのです。皆様の事情境遇が目に見えることも、目に見えないこともあります。可視的な世界も不可視的な世界も、皆全能者である神の所産です。神に基づいて存在しているのです。
 神とは何かと言いますと、存在の根源です。例えば、花が咲いていますが、この事がらの根源が神です。皆様の心臓が動いているという基本が神です。
 存在の根本が宗教家には分かっていなのです。仏教に大日如来という言葉がありますが、これは神の人格性を抽象的に考えた名称です。
 阿弥陀如来も同様です。人間の理想人格を概念的に現わした尊称になるのです。実在している人格ではないのです。
 聖書の神は現実に万物を造ったという事実があるのです。存在の実体が今の人間に分かっていないのです。文明という情報がそのようにしてしまったのです。
 ユダヤ人の情報社会が、存在から実体を奪ってしまったのです。存在するというのは何か。物が存在するのではないのです。正当なエネルギーが存在するのです。正当なエネルギーの働きが、存在するように見えるだけです。
 物質はすべてあるように見えるが、実は存在していないのです。太陽はあるように見えますが、物質ではないのです。水素がヘリウムに変化するという活動はありますが、太陽という個体があるのではないのです。
 そのように物理運動はありますが、物質はないのです。宗教でいう神や仏が存在するのではないのです。
 本当に存在しているのは、皆様の五官、生理機能、心理機能です。機能が存在そのものです。目が見えるということが存在そのものです。
 人間はいないけれどもあるように見えるのです。これが霊です。霊的に自分を見るようになりますと、その人の人生観や生命観が変わってしまうのです。そうして、人生にわだかまっている矛盾や撞着は解消するのです。解消しなくてもいいのです。
 宇宙には矛盾があるのです。宇宙にある矛盾が現象体になって現われているのです。宇宙に矛盾が存在するから物質と言えるようなものが現われているのです。この状態を解明することが霊です。
 霊的に見ることができれば、皆様の実体がはっきり分かるのです。皆様の肉体がないこともよく分かるのです。そうすると、死なない命が分かるのです。
 イエスは霊を見つけたのです。そうして、霊に生きたのです。その結果、イエスは死を破ることができたのです。
 皆様もその真似をしたらいいのです。誰でもできるのです。私がしていますから、皆様もできるに決まっているのです。
 宗教観念でキリストを信じてもだめです。宗教観念で聖書がいくら分かってもだめです。宗教ではなくて、存在そのものを勉強すれば、皆様は死なない命がはっきり分かるのです。
 今の人間は人間の常識に基づいて地球存在を考えているのです。しかし、常識的に考えるということは、死んでしまうに決まっている人間の考え方なのです。
 死んでしまわない考え方で言いますと、現在の人間は誰でもまだ一人前の人間ではないのです。発達過程にある人間です。発育過程にある人間です。
 現在の人間を既に成長した者、完成した者というように考えますと間違ってくるのです。こういう考え方がユダヤ人の考えです。
 今の人間は一人前の人間だとユダヤ人は考えているのです。ユダヤ人は今の地球は完全な地球だと考えているのです。これがユダヤ人の文明思想です。これが間違っているのです。
 今の人間も万物も、実は発達過程にあるのであって、過渡的存在なのです。まだ完成されていないのです。従って、人間は死んだらどうなるのかということより先に、まず考えて頂きたいことは、今生きている皆様の考えを新しくすることです。すると、新しい価値観が分かってくるようになるのです。自分の命に対する見方が変わってくるのです。
 皆様は成長過程にあるのであって、本当の命を知らないのです。
 神は皆様に生活することを許しているのです。生活を与えているのです。生活を与えていますが、生命の実物、生命の実感をまだ与えていないのです。
 なぜかと言いますと、生命の実感というのは、皆様自身の魂が目を覚まして捉えるべきものなのです。
 皆様は生活する能力はありますけれど、命そのものを認識する能力を持っていないのです。これが今の人間が不完全である証拠です。
 今の世界には不完全な人間ばかりいるのです。死んでしまうに決まっている人間ばかりが、二○一七年現在で七十四億人もひしめいているのです。そうして、文明を造っているのです。
 こういうものを本当の文明だと思うことが間違っているのです。これはユダヤ人が造っている文明であって、皆様がユダヤ人の文明に追従する必要はありません。
 現代文明は皆様の理性を引きずり回しているのです。文明意識が皆様を引きずり回しているのです。これはとんでもないことです。
 皆様はこの世の常識、学問に引きずり回されているのです。学問も常識もユダヤ人が造ったものでありまして、大体、文明は人間に奉仕すべきものなのです。ところが、現在は、人間が文明に奉仕しているのです。これがユダヤ人の政策です。
 文明は人間に仕えるべきものです。ところが、現在では、人間が文明に仕えているのです。民主主義という概念、基本的人権という概念がユダヤ思想なのです。
 ユダヤ思想は人間の常識を甘やかすのです。人間の常識を甘やかすことによりまして、人間自身を文明的な感覚に酔わせてしまうのです。
 酔生夢死という言葉がありますが、人間は酔っぱらって生きているのです。そうして、夢のように死んでいくのです。これが今の人間です。現在の文明社会の人間は、全部酔生夢死にされているのです。
 現在の人間が完全な人間だと思っているから、文明に一杯ひっかかっているのです。現在の人間は未完成の人間であって、不完全な人間です。これから成長すべきなのです。
 今の人間の肉体の状態や思考能力の状態を考えれば、自分自身が非常に不完全であることが分かるでしょう。これを完全な人間だと思うことが間違っているのです。ここにユダヤ思想のトリックがあるのです。
 現在の人間も、世界も不完全です。今の地球はいつ地震、津波、洪水、噴火、台風が起きるか分からないのです。いつ災害が起きるか分からないのです。いつガン、心臓病、脳溢血、脳梗塞、心不全、心筋梗塞、肝不全、肝硬変、腎不全、ペスト、コレラ、動脈硬化等の病気になるか分からないのです。
 今の地球に砂漠が増えているのです。人間の文明が続けば続くほど砂漠が広がっていくのです。地球が荒廃していくのです。これは地球が不完全であること、未完成であることを意味しているのです。
 神が本気で造ったのなら、こんな不完全な地球を造るはずがないのです。
 今の地球が不完全なように、皆様も未完成です。未成熟です。不完全です。このように謙虚な考えを持つことが必要です。これが般若波羅蜜多の本当の意味になるのです。
 彼岸に渡るのです。まだ地球上に彼岸が実現していないのです。彼岸というのは完成された地球をいうのです。完成された人間のことを指すのです。これはまだ地球に現われていないのです。
 今の人間は現在の文明のような程度の低い文明を、本当の文明、完成された文明のように考えさせられているのです。これがユダヤ文明のいんちき性です。
 般若心経をはっきりご覧になればこういうことが分かるのです。般若心経は今から二千五百年も前に、五蘊皆空と言っているのです。人間の考えは皆間違っていると言っているのです。だからもう一度般若心経を勉強して頂きたいのです。
 人間がこの世に生まれてきたことが業(ごう)です。肉体的に生まれてきて、肉体的に生きていることが業です。般若心経に涅槃という言葉があります。涅槃というのは、人間の気持ちが冷えて、消えて、なくなってしまうことをいうのです。ニル・バー・ナーという凡語を指しているのです。
 皆様の気持ちが冷えて、消えて、なくなってしまいますと、皆様が生まれる前の感覚が分かってくるのです。
 純水という言葉がありますが、純人があるのです。涅槃が分かると純人が分かるのです。涅槃を徹底させますと、皆様は業を果たして業にまといつかれていない人間が分かってくるのです。
 皆様が今生きているのは、皆様がこの世に生まれる前の種があるからです。生まれる原因があるはずです。
 現在皆様は日本人として生きているのですが、これは結果です。このような結果が出現するためには、生まれる前に原因があったのです。過去的な皆様の人生があったのです。
 これを聖書で言いますと、陥罪以前ということになるのです。人間は陥罪によって業に落ち込んでしまったのです。
 今の人間は常識、知識に押さえ込まれているのです。常識、知識に押さえ込まれているのですから、皆様の霊魂が束縛されてしまっているのです。
 観自在というのは、陥罪する前の人間の本当の姿です。これを今の人間は自由に持つことができないのです。
 色即是空という言葉が般若心経にありますが、これは肉体的に存在する人間はいないということです。そのように考えたいのですが、そのように考えられないのです。
 理論物理学の教授が、大学では物質は存在しないことを学生に教えているのですが、自宅に帰ると物質が存在するという感覚で生活します。このような矛盾がどうして起きるかということです。
 自分の思想が自分の意識によって束縛されているのです。人間の知識や人間の常識が、人間の魂を抱きすくめているのです。
 皆様は皆様の後天性によって、皆様の霊魂は不自由なものになっているのです。この世に生まれたばかりに、純人である皆様の純粋さが消えてしまっているのです。
 観自在を勉強しますと涅槃が分かるのです。皆様の思いが消えてしまいますと、皆様は思索が自由になります。自分が存在しないということをはっきり認めることができます。
 純人である皆様は自分自身ではないのです。自分自身ではない自分が分かるのです。これが純人です。
 皆様は自分のことを自分だと思っていますが、これは自分ではなくて、世間の常識、知識が造った自分を自分だと思っているのです。これは本当の自分ではありません。本当の自分は純人である自分です。これを見つけて頂きたいのです。そうすると、死なない自分が分かるのです。
​                (内容は梶原和義先生の著書からの引用)
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