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                              はじめに

 

 死なない人間の集団をつくる。こんなことは全く奇想天外の、SFの世界に出てくる話だと思われるでしょう。

 旧約聖書には、エノク、エリアという死なない人々がいましたし、新約聖書には、イエス、ヨハネ、パウロという死なない人々がいたのです。

 イエス在世当時には、死なない人々の集団ができつつあったが、尻切れトンボのような状態になったのです。

 ところが、人間歴史の最終段階において、神が日本という異邦人の国で、死なない人間の集団を造りつつあるのです。

 これはユダヤ人文明においては全くの脅威すべきことです。なぜなら、ユダヤ人が造った人間文明は、人間は死ぬものだという概念に基づいて構築されているからです。

 学問も、政治、経済、法律、教育、宗教、道徳、文化、文明は、すべて人間は死ぬべきものだという絶対的な考えによって造られているからです。

 人間は絶対に死ぬものである。人間は現世に生きているものであるという考えを、決定的に広めたのはユダヤ人です。人権主義、民主主義、自由主義、立憲主義、政治経済の仕組みを広めたのはユダヤ人です。

 人間は必ず死ぬものである。人間は現世に生きるものであるという考え方が、全世界を覆っている。人類全体がこの考え方によって完全に洗脳されてしまったのです。これがユダヤ文明の最大の害毒です。

 ところが、人間には死にたくないという気持ちが牢固としてあるのです。もし人間が百%死んでしまうものなら、死にたくないという気持ちがあるはずがないのです。

 死にたくないというのは、人類の悲願です。この人類の悲願を見事に実現したのが、イエス・キリストです。

 イエス・キリストは人間の悲願である死なない命を持って地球上に生まれて、死なない命を生きたのです。そうして、すべての人に死なない命を得る方法を示したのです。

 この考え方に真っ向から反対して、イエスを殺そうと考えたのが、ユダヤ教のラビと律法学者でした。人間は絶対に死なないものであるというイエスの考えを、人間は絶対に死ぬと考えているユダヤ人は許すことができなかった。そこで、イエスを掴まえて、十字架につけて殺してしまったのです。

 ところが、イエスは絶対に死なない命に生きていたために、死を破って復活した。これが日曜日です。日曜日は、人間が死を破って復活した記念日です。人類最大の敵である死が破られた記念日です。

 今年は西暦2017年です。これは死なない命を持ったイエスが地上に誕生して、2017年経過したことを示しているのです。

 死が破られたこと、死なない命、永遠の生命が実現しているのは歴史的事実です。世界歴史がこれを証明しているのですが、これに猛反対しているのがユダヤ人です。

 ユダヤ人は死を破った命があること、永遠の生命が実現していること、イエスがキリストであることに猛反対している。これを人類から覆い隠すために、文明を構築したのです。

 政治、経済、科学、法律、宗教、教育、社会組織の根幹はすべて、ユダヤ人によって考案されたのです。オリンピック、万国博覧会、野球、サッカー、スキー、スケートなどの様々なスポーツを世界に普及させて、人類を熱中させているのはユダヤ人です。

 インターネットによる情報システム、パソコン、スマートホンを普及させたのはユダヤ人です。人々はこれに夢中になっているのです。そうして、永遠の生命が実在すること、イエスがキリストであることを絶対に考えさせないようにしているのです。考えることを厳禁しているのです。

 これに対して私は猛反撃をせざるをえない。なぜなら、イエスが死を破ったこと、そして人類に死なない命が与えられていることは、歴史的事実だからです。歴史が証明しているからです。日曜日と西暦紀元が制定されたことによって、絶対に否定できない事実になっているからです。

 かつてコペルニクスは、地球が太陽の周りを回っていることを、初めて発表しました。それまで人類は、太陽が地球の周りを回っていると、堅く信じていたのですが、コペルニクスはその正反対のことを言い出したのです。そのために彼は掴まえられて火炙りの刑に処せられたのです。

 今の世界では、ほとんどの人が地動説を信じている。天動説を信じている人はほとんどいないでしょう。人類の考え方が正反対になってしまったのです。

 これと同じことを私は提唱したいのです。今人類は、人間は必ず死んでしまうものであると確信していますが、これとは別に、絶対に死なない命が用意されているから、これに乗り換えたらいいのです。

 今、全世界の人間は絶対に死ぬべき命を自分の命だと思いこまされている。そのように信じこまされているのですが、その間違いを教えられたのです。これを日本から世界に向けて強烈に発信していかなければならないと考えているのです。

​(内容は梶原和義先生の著書からの引用だす)
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