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                             彼岸に渡る

 

 般若心経は現世から出ることをやかましく言っています。彼岸へ帰れと言っている。彼岸へ渡るのですが、彼岸は何処にあるのか。彼岸はどういうものか。彼岸の内容はどういうものかについては説明していないのです。これが般若心経の欠点です。

 彼岸へ帰れ、彼岸へ渡れと盛んに言っています。般若波羅蜜多と言っていながら、彼岸の説明を全くしていないのです。

 波羅蜜多というのは、彼岸へ渡る知恵を意味するのです。彼岸へ渡るための上智と言っていながら、彼岸についての説明を一度もしていないのです。これが般若心経の欠点です。

 仏典は彼岸へ帰れと言っていながら、彼岸の実体の説明ができません。これが仏教思想の間違いです。

 釈尊は仏教を説いたのではありません。釈尊は仏法を悟ったのです。一見明星、明けの明星を見たことによって、大変なことを悟ったのです。

 明けの明星を見たことによって、彼岸の真髄を見たのです。

 彼岸を見たのですけれど、それを人々に説明しても分からない。そこで生活の心得のようなことを説いたようです。これがいわゆる仏教になったのです。

 仏法と仏教とは全然違うのです。このことが日本の仏教家に全く分かっていないのです。一見明星が何であるのか。釈尊は何を見たのか。この説明ができる仏教家が日本に一人もいないのです。

 実は明けの明星は聖書を調べなければ分からないのです。皆様のような素人でも、聖書を綿密に調べれば分かるのです。ところが、仏教家は聖書を全然調べていませんから、釈尊が明けの明星を見たということはどういうことなのか、説明できないのです。仏教大学の教授にもいないのです。日本の仏教大学の教授に、釈尊の本当の悟りが分かっていないのです。

 般若心経を読んでご利益を期待する方が間違っています。ご利益を期待することが彼岸へ行っていないことを意味しているのです。

 新約聖書の神の国を勉強しなければ、彼岸は絶対に分からないのです。

 「人は誰でも新しく生まれなければ神の国を見ることができない」とイエスが言っています(ヨハネによる福音書3・3)。「水と霊とによって新しく生まれて神の国に入りなさい」とイエスが言っているのです。これが新約聖書の般若波羅蜜多です。

 「神の国へ入りなさい」。これが新約聖書の目的です。新約聖書は神の国について書いているのです。

 「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコによる福音書1・15)。神の国が近づいたから、悔い改めて福音を信ぜよと言っているのです。これが彼岸です。

 新約聖書の神の国と、般若心経の彼岸は同じものなのです。そうしますと、釈尊は何を見たのか。釈尊が明けの明星を見たのは、イエス・キリストが説いた神の国を見ているのです。こういう関係になっているのです。

 西洋文明の真髄と、東洋文明の真髄とは、一つのものなのです。これが世界的に初めて言われたのです。

 私たちが言うのは仏教でもないし、キリスト教でもない。イエス・キリストの本当の意中は、釈尊の悟りと同じものなのです。釈尊の本当の悟り、仏性の本当の悟りはイエス・キリストを見ることなのです。

 妙心寺の管長の山田無文さんが「悟ったらどうなるのか」と聞かれた時、「悟っただけではだめだ。イエス様のようにならなければいけない」と、盛んに言っていました。ところが、無文さんは本当のイエスを知らずに死んでしまったのです。

 山田無文さんの言葉は本当ですが、無文さんは本当のイエスを知らなかったのです。イエス・キリストの復活を知らなかったのです。だから、無文さんは死んでしまったのです。

 世間の宗教はいんちきばっかりです。無文さんのいんちきはよほど上等です。そこらの仏教大学の先生と比べれば、無文さんは正直です。

 本当の真実は一つしかないのです。般若心経は彼岸と言っていますけれど、彼岸の実体を教えていないのです。

 新約聖書は神の国という言い方で、彼岸の実体をはっきり教えているのです。そこで、宗教ではない般若心経を言うとしたら、聖書を勉強しなければならないのです。

 般若心経全体で二百七十六文字ですが、その中に無と空を合わせて三十二字あるのです。般若心経は空と無を言いたいのです。

 般若心経は空を言いたいのです。空が彼岸のことなのです。ところが、皆様が肉体的に生きていると思っていることが、空です。これが間違っているのです。

 色即是空ということは、物質はないと言っているのです。物があるという感覚が色です。色即是空というのは物があるというその気持ちが、空だと言っている。

 空即是色というのは、空が色になって現われているのだと言っているのです。物はない。ないということがらが、あるということがらになって現われているのです。

 これはなかなか難しいことでして、皆様は物質があると思っているのです。現在の文明は物質があると思い込んでいるのです。物質があると思っているから、自然科学が幅をきかせているのです。

 自然科学のおかげで現在の文明ができているようなものです。ところが、これが全部嘘です。

 物質があると思うから自然科学ができているのです。ところが、般若心経では色即是空と言っているのです。物質は空であると言っているのです。物がないというのがあるという格好で現われているというのです。

 花が咲いていますが、これが空です。花というのは地球のエネルギーが花になって現われているのです。地球のエネルギーとは何でしょうか。これは自然の力です。これは地球ができるまでの天然の力が地球の中に入っているのです。これが花になって現われているのです。

 これは花だけではありません。肉体のエネルギーも同様です。ミカンはミカンの味がします。これは地球ができる前にあった世界の味です。

 地球ができる前に世界があったのです。地球の前の状態があった。地球のファウンデーションが地球になって現われているのです。

 皆様が見ている花は地球のファウンデーションを見ているのです。地球の花ではないのです。地球のファウンデーションが花になって現われているのです。また、色、味、香りになっているのです。

 色、味、香りは、地球ができる前の地球のファウンデーションが現われているのです。

 現在の地球ができる前に、地球の前準備があったのです。これが現在の地球の根源になっているのです。これが皆様に色、味、香りになって感じられるのです。

 皆様の五官は地球ができる前の地球のファウンデーションを経験しているのです。だから、今の地球を見ているのではなくて、地球ができる前を見ているのです。これを般若心経は言っているのです。これと同じことを聖書も言っているのです。

 聖書に次のようにあります。

 「私は口を開いて譬を語り、世の初めから隠されていることを語り出そう」(マタイによる福音書13・35)。

 現在の地球が造られる前に、地球の前準備があったのです。それが今の地球に現われているのです。だから、物質があるのではない。前準備があるのだと言っているのです。

 花が咲いているのではない。地球の前準備が花になって現われているのだと言っているのです。

 これが聖書の本当の原理であって、こんなことは今のキリスト教では分かるはずがないのです。現在の人間文明は完全に行き詰まっています。その証拠に、私たちが現われて文明の間違いを証明しているのです。

 西洋文明が間違っている。東洋文明が間違っているということを、神が私たちを通して言わせているのです。

 学問が全部間違っているのです。科学も間違っているのです。哲学も間違っているのです。今の学問は物質があると思い込んでいるのですが、物質はないのです。

 物はないのです。般若心経は物質がないと言っているのです。物質がないことになりますと、現在の文明は成り立ちません。現在の学問、特に理論物理学では、物質がないことに気が付き始めているようですが、今までの学問をやめるわけにはいかないのです。

 科学も物質がないということに気がつき始めていますが、今さら科学を押さえつける訳にはいかないのです。

 今の文明は行く所まで行って、自爆するしかないのです。やがて、文明は潰れます。世界は大混乱に陥ります。

 政治的にも、経済的にも、物理的にも、思想的にも大混乱するのです。本当のことが分からないままで政治、経済をしていますから、そうなるに決まっているのです。

 今の政治には目的がありません。アメリカの大統領も、ロシアの大統領、イギリスや日本の首相が、本当の目的を持って政治をしているのではありません。来年のこととか三年後のことは考えていますが、将来人間の文明がどうなればいいのかということが、皆目分からないままの状態で政治をしているのです。だから、行き詰まるに決まっているのです。

 世界全体はめちゃくちゃになるでしょう。大崩壊するのです。そうして、新しい文明が始まるのです。

 イエス・キリストが再び来るのです。イエス・キリストの再臨が実現します。イエス・キリストの復活の命が歴史の真ん中にやってくるのです。

 イエス・キリストは殺されたのですが、復活したのです。これが歴史の実体になって現われます。そうして、人間の命に対する見方が全然変わってしまうのです。今までの政治、経済も完全に変ってしまいます。学問の根底がひっくりかえってしまうのです。

 本当のことが知りたいのなら、宗教ではない般若心経と聖書を徹底的に勉強するしかないのです。これが嫌なら地獄しか行く所がないのです。

 現在の学問も、宗教も思想も全部間違っているのです。物質がないのに、あると思い込んでいるのです。ないものをあると思っているからです。だから、文明は完全に行き詰まります。

 現在の文明の指導者は白人です。白人の指揮者はユダヤ人です。ユダヤ人が間違えたために、世界全体が間違えたのです。

 現在の地球ができる前に、地球の前準備のようなものがあったのです。どんなことでも相当大きな仕事をしようと思ったのなら、前準備がいるに決まっているのです。

 地球には前準備があったのです。これが創世記の第一章に出ているのです。地球の前準備の時の状態が、現在の地球のエネルギーの根源になっているのです。

 現在の地球のエネルギーは、現在のエネルギーではなくて、地球ができる以前のエネルギーです。地球ができる前のエネルギーが現在の地球のエネルギーになっているのです。

 地球のエネルギーが花になったり、味、命になっているのです。だから、現実の地球は地球ができるまでの前準備の状態が現在現われているのです。

 皆様の五官の感覚というものは先天性であって、生まれる前に皆様の五官の本質が与えられていたのです。これが植えられた言葉です(ヤコブの手紙1・21)。

 神の言葉が命の本質である五官として、生まれる前に準備されていたのです。これが現在肉体的に現われているのです。

 皆様が現在生きているのは、生まれる前の命が肉体的に生きているのです。地球も生まれる前の地球が今あるのです。

 昨日の前準備があって、今日あるのです。昨日のエネルギーが今日になって現われているのです。今日のエネルギーが今日現われているのではないのです。昨日のエネルギーが今日になって現われているのです。

 今日という日は空です。昨日が実です。昨日という準備構造があったために、今日という現実が現われているのです。これが地球と人間との関係です。

 皆様が花を見てきれいだと思うのは、地球ができるまでの力を見ているのです。地球ができる前の力を見ているのです。地球ができる前のエネルギーを見ているのです。

 現在のエネルギーではない。地球ができる前のエネルギーを見ているのです。地球ができる前のエネルギーが今のエネルギーになって現われているのです。

 今の人間は、目の前に物があると思い込んでいるのです。学校教育によって、馬鹿にされてしまったのです。その頭で考えてもだめです。考え方を根本的に入れ替えてしまわなかったらだめです。これを五蘊皆空というのです。

 今までの物の見方、考え方を全部捨ててしまうのです。特に男はこれをしなければいけないのです。

 女の人は素直ですからまだいいのです。男よりもずっと素直ですからいいのですが、男が悪いのです。いばっているだけ悪いのです。

 現在の社会の中心をなしているのは男です。男が悪いものを造っているのです。男性中心の文明は男が腐っていることを証明しているのです。

 今までの自分の考えをはっきり捨ててしまえる人を究極涅槃と言っているのです。涅槃というのは、自分の考えを全部捨ててしまうことです。何もかも全部捨ててしまって、からっぽになるのです。これが涅槃です。

 これが実行できない人は死んでしまうのです。死んでからひどい目にあうのです。

 仏教には禅宗とか、真宗とか、浄土宗とか色々ありますが、これは仏教であって、仏法ではないのです。釈尊の本当の悟りというのは、仏法です。親鸞は釈尊の悟りの中の他力本願的な部分を勉強してこれだと考えた。日蓮は法華経を重視した。親鸞は三部経を重視したのです。

 仏典には一万七千六百巻の経文がありますが、釈尊は明けの明星を見たことについて、説明しようと思ったけれども、本当のことを言っても人々には分からないのです。

 釈尊は来るべき新しい世界を見たのです。明けの明星は太陽が出る前の星です。太陽が出る前の星を見たことによって、やがて本当の世界が来ることを直感したのです。

 これを人々に言っても分からない。そこで、分かるような話をしたのです。これが仏教になって残っているのです。仏教というのは釈尊が言いたかったこととは違うのです。

 釈尊は本当の世界のことを話そうとしたが分からないので譬話をしたのです。法華経二十八巻は譬話です。第一巻、第二巻には、たくさんの仏さんが集って会議をしていると書いています。これを取り上げないで、後の方の譬話ばかりを日蓮宗は取り上げているのです。

 仏法は釈尊の本当の悟り、新しい国、新しい命がやってくると言っていますが、これを説いても人々には分かりませんから、分かるように譬を説いたのです。これが仏教になっているのです。

 仏教と仏法は全然違います。日本に仏教はありますけれど、仏法は一つもありません。日本は仏教国であって、仏法国ではありません。これをよく考えて頂きたいのです。

 五蘊皆空をよく考えて頂きたいのです。五蘊の土台となっているものが、色蘊です。色蘊というのは、物があるということです。目で見ているとおりの実物があると思えることです。これが皆様の霊魂を殺しているのです。これが皆様の咎の大きいものです。

 人間の意識、生活意識、自我意識は色蘊が土台になっているのです。物があると思うことがすべての間違いの原因になっているのです。人間は物があるということに基づいて、考えるとか、記憶するとか、行動する、発明する、思索したりしているのです。

 色蘊が一番厄介です。実はこれがイマジネーションなのです。イマジネーションとは心象です。目で見ていると見ているような気持ちがするのです。そういう気持ちが一つの世界を造ってしまうのです。心象の世界を造ってしまうのです。これが皆様の迷いの第一現象です。

 子供のうちから、こういう迷いの中に入れられているのです。人間は四十年も五十年もこれをしているのですから、皆様の中に色蘊がしっかりと入り込んでいるのです。色蘊に従って、記憶が意識の中に、しっかりと根付いているのです。これが皆様の魂を殺しているのです。

 今の皆様は魂が全く分からないでしょう。魂は何処あるのか分からないでしょう。皆様は人間としてばかり生きているのです。人間として生きているけれど、霊魂が死んでしまっているのです。これほど五蘊は恐ろしいものなのです。

 目で見ている世界は幻の世界です。人間は心象の世界で生きているのです。

 人間は目で見ているとおりのものがあると考える。現代文明は心象の世界が第一に考えられているのです。唯物論というのはそれです。マルキシズムは目で見ているとおりのものが存在していると考えているのです。これが唯物史観です。

 唯物史観が十三億の中国を支配しているのです。唯物史観が政治、経済を動かしているという力を持っているのです。そのように心理構造が人間の歴史、政治経済、学理学説を造っているのです。

 日本で一番最初にノーベル賞をもらった湯川さんが随筆に、「自分は学校では物質は存在しないと学生に教えている。物理運動が物質になっているだけのことであって、物質、物体は存在していないということを教えている。

 しかし、家に帰ると物質があるような気持ちで家族と話をしている。自分は二重人者のような気がする」と書いていました。

 湯川さんは正直な人だから、そのようなことを書いたのでしょう。湯川さんが言っていることは本当なのです。理論物理で言えば物質はないのです。感覚的にはあるように見えるのです。

 これはどういうことかということです。皆様は目で見ています。見ているのは地球ができる前のエネルギーを見ているのです。地球ができる前のエネルギーを見ていながら、花という物質があると思っている。

 目の働きは正しいのです。目の働きは地球ができる前を見ているのです。それを受けとめている皆様の生活意識が間違っているのです。

 生活意識は肉の思いです。聖書で言うと肉の思いになるのです。般若心経ではこれを色というのです。色が色蘊になっているのです。

 色、色蘊は人間の迷いです。色という迷いがあるために、何もかも皆間違っているのです。そのために、皆様の霊魂が死んでいるのです。

 皆様は五十年、六十年生きていて、霊魂、本当の命が全く分からないでしょう。五十年、六十年この世に生きていて、何が分かったのでしょうか。

 何も分からなかったでしょう。それは色蘊のためです。最も重大な間違いは結婚ということです。結婚という重大な間違いをしているのです。男と女の関係が根本から間違っているのです。これは恐ろしい間違いです。

 女はこの間違いに何となく気づいているようです。男の欲望はどうも悪いようだと思っているのです。男は性欲は当り前だと考えているのです。女は何となく間違っていると思えるのです。

 男は妻は自分に従うのが当り前だと考えているのです。この考えが土台から間違っているのです。

 性の問題と、食の問題は、本能です。本能を根本的に考え違いしているのです。本能の意味が分からなくなっているということは、霊魂の本体が分からなくなっているからです。だから、女の貞操観念が皆間違っているのです。

 女の人は肉体を持っていると考えているのです。肉体があると思い込んでいるのです。これが色蘊です。色蘊に基づいて貞操観念を持っている。道徳と言っても、倫理と言っても、貞操と言っても、土台から間違っているのです。

 色薀の間違いを知ると知らないとでは大変な違いになるのです。この世を去ってからどうなると思われるのでしょうか。

 皆様は花を見る力を持っているのです。皆様の視覚力は花を見る力を持っているのです。視覚とか聴覚は感覚です。これは生まれる前からの感覚です。これを受けとめる生活意識が間違っているのです。

 感覚は直感的に正しく花を見ているのです。ところが、それを受けとめている意識が間違っているのです。感覚は正しいのですが、意識が間違っているので、意識を転換しなければならないのです。これを究竟涅槃というのです。色即是空というのです。また、五薀皆空というのです。意識をがらっと変えてしまうのです。そうすると、死んでから後の世界が見えてくるのです。

 皆様の霊魂は死なない命を見るだけの十分の力を持っているのです。現在、目や鼻は花を見てきれいだと思えるのです。花がきれいだと見えるのは、滅んでいく地球ではなくて、滅びない地球を見ているのです。

 先天的なエネルギーが花になっている。これを先天的な機能である目が見ているのです。先天的なエネルギーを先天的な目の力で見ているのです。この先天的な力を魂というのです。

 皆様の魂は死んでいるのですから、生き返らせる必要があるのです。それを甦らせる必要があるのです。

 これは宗教ではありません。パウロ以降、二千年の間、誰も分からなかったことをお話ししているのです。

 皆様の社会に対する見方、人間関係の見方、生活意識が全部間違っているのです。することなすことが全部間違っていたのです。

 六十年、七十年の間違いを、どうして取り返すのでしょうか。これはイエス・キリストの十字架と復活を信じて、新に生まれるしかないのです。新しい命を経験するしか方法がないのです。

 彼岸に入るというのは神の国に入ることです。神の国に入る方法は一つしかないのです。私は本当の悟り、本当の霊魂の価値を皆様にお話ししているのです。

 これは五回や十回くらい聞いても分かる話ではありません。勉強会に毎回出席して、辛抱強く、根気よく勉強して頂くことが必要なのです。自分の命をかけて、自分の生涯、人生をかけて勉強する気持ちが必要です。永遠の生命を得るためには、そのくらいの犠牲は必要です。

 今のままで死んだら、大変なことになります。これを良くご承知頂きたいのです。

 死んでいくのは自分一人ではない。何万人、何億人の人が死んでいくから、恐くない。世間の人が皆死んでいくから、自分も死んでいくのは当り前だと思っているのです。これが間違っているのです。

 皆死んでいくから死ぬのは当り前だという感覚は、現在生きている人間の妄想です。人間の生活意識はすべて妄念です。死んだら友人に会えるとか、親しかった人に会えると思うのは大間違いです。

 これは現世に生きている間の人間の妄念です。現世に人間が生きているということが、カルマです。人間が現世で肉体的に生きていることがカルマです。これをこのまま鵜呑みにしてしまうと、カルマが永遠に続くことになるのです。だから、カルマから永遠に逃れられないことになるのです。

 現世に、二〇一七年現在で、七十四億人の人間が世界にいます。日本には一億二千五百万人の人が住んでいます。だから、私一人くらいはと考えることは間違っているのです。

 死んでしまうと、自分一人の世界になるのです。全くの孤独になるのです。死というのは完全な孤独の世界です。そこで、永遠の苦しみに会うことになるのです。

 性欲は間違っています。性行為が悪いのではなくて、心構えが根本から間違っているのです。食行為が間違っているのではない。食べることについての心構えが間違っているのです。

 性も食も、すべて霊魂の問題であって、とこしえの命の問題なのです。死なない命をどうして見つけるかということが、性の問題、食の問題になるのです。これを本能というのです。

 性を現世の生活構造だと思っていると、全部姦淫になるのです。全部咎められるのです。皆様の霊魂はそれを知っているはずです。特に女の人は良く知っているのです。男は当り前だと思っている。それだけ男が悪いのです。

 皆様は六十年、七十年の間、霊魂のことを全く考えずに生きてきました。この世の生活ばかりに追いまくられて、命の勉強をしてこなかったのです。これを深く反省して頂きたいのです。

​(内容は梶原和義先生の著書からの引用です)
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