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 心理機能と生理機能は一つのものです。このことを聖書は霊と言っています。霊のことを「たま」とも言います。御霊というのは、神の御霊が人間の格好をしているという意味で、人間の命を御霊というのです。

 神の霊が人間の霊として生きているのです。だから皆様は世間並の人間ではないのです。人間として生きているのは、ホモ・サピエンスとして生きている。ホモとして生きているのは人間のカルマであって、この状態を抜けてしまいますと、魂として生きている自分が分かるのです。これが御霊によって生かされている人です。

 ホモと御霊とは違います。人間は自分が生きているという妄想があるのです。脳細胞の働きがあるのであって、自分という人間がいるのではないのです。

 人間は脳細胞が働いていると思わないで、自分が生きていると思うことによって、脳の働きを壟断(ろうだん)してしまっている。横取りしているのです。そうすると、脳細胞が働いていることが無視されてしまうのです。自分が生きているという妄念が、脳細胞の働きを殺してしまうのです。これが人間の魂が死んでしまう原因になるのです。

 死ぬということは肉体が死ぬことを意味するのではなくて、魂が死ぬことを死ぬというのです。

 死ぬという言葉は神から離れるということです。人間が生きているというのは、神そのものの働きであって、神の現われです。生きているということは神が働いているのです。神の御霊が働いているのです。人間の命を玉の緒という言い方をするのは、人間の命は神の御霊の継続である、または延長であるという意味で、御霊というのです。

 人間が生きていることの実体が、実は神です。生きているということがスムーズに分かりさえすれば、人間は死なない命が分かるのです。私たちは自己を完成するためにこの世に生まれてきたのでありまして、この世で生きていることが目的ではありません。この世で生きていたところで仕方がないのです。

 皆様は六十年、七十年とこの世で生きていて、何が分かったのでしょうか。この世はうるさいものだということが分かっただけです。

 お金を持っていても仕方がない。子供や孫ができても仕方がないのです。仕方がないということだけ分かったのです。

 人間がこの世に生きているということは、仕方がないと言わなければならない事がらを生きているのです。ただ苦労をして生きているのです。

 生活に目を向けてしまいますと、それに一生懸命になるのです。生活に目を向けないで命に目を向けますと、人間完成が分かるのです。

 人間完成をするためには、自分が生きているという考えを乗り越えてしまわなけれなならないのです。運動競技で言いますと、棒高跳びのバーのようなものです。自分が生きているというバーがあるのです。これをクリアしなければ絶対に人間完成はできないのです。これが業(ごう)を乗り越えることになるのです。

 業を果たさないと、人間が現世に生きていたことがすべて仇になるのです。自分の思い、自分の経験、自分の欲望で生きていますと、自分の業を果たさずに死んでいくことになるのです。

 人間の業を果たすだけの十分な能力を持っていながら、その能力を使用しなかったのです。責任を持って自分の人生を経験しなかった。ただ自分の欲望のため、自分の思いのために、業を果たすことができなかったのです。だから、自分という人格に取り殺されてしまうことになるのです。

 自分が生きているという感覚は全くの妄念です。皆様は自分が生まれたいと思ったことはないはずです。従って、自分が生まれたという事実はどこにもないのです。

 なぜ自分という意識があるかと言いますと、私たちはこの世に生まれて命を経験しなければならないからです。生きているということを経験して、生きているということが、実は神であった。自分が生きているのではない、自分という形において神を経験していたのだということを、経験するためにいるのです。

 自分というあり方で神を経験していた。このことが悟れますと、初めて自分は生ける神の子であったのだということが分かるのです。そうすると、万物を治めるという人格を自覚できるようになるのです。

 命を自覚しますと、万物の真髄が分かるのです。森羅万象の真髄が分かるのです。森羅万象の真諦が分かりますと、これを治める方法が分かるのです。

 皆様は永遠無窮の万物の長として、神のヘルパーとして永遠に霊なる地球を指導することになる。これが皆様の魂の目的です。

 この目的を果たすために、現世で命の実体を見極めなければならないのです。その責任があるのです。これはしてもしなくてもいいということではない。人間としてこの世に生まれた以上、魂の責任があるのです。

 日本人にはこれが分からないのです。日本人は神がない民族です。本当の神が存在しない民族です。神が分からない。だから、命が分からないのです。どうしたらいいのか分からないのです。

 現在皆様が肉体的に生きているということが、業に基づく命であって、これを捨ててしまわなければ本当の命を見ることはできないのです。

 般若心経はこれを言っているのです。般若波羅蜜多というのは彼岸へ渡る知恵のことを言っているのです。彼岸へ渡るというのは、死なない命を掴まえるということです。

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(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


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