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「大型コンピューター5千台分の能力」


 人間の小脳は、大型のコンピューーター五千台分の能力を持っているということですが、これはどういうことなのかということです。小脳は人間の生活に関する機能を司っているのです。人間の生活感覚の機能だけでも、大型コンピューター五千台分の機能があるのです。

 人間の脳細胞は驚くべき働きをしているのです。小脳の働きだけでも大型コンピューター五千台分の性能がある。人間の生活感覚は複雑微妙なものです。

 人間の脳細胞は百四十億あると言われています。百四十億の脳細胞とはどういうものなのか。これが人間の生活にどういう影響を与えているかということです。こういうことを真面目に考えることが本当の哲学です。

 科学をさらに科学するのです。哲学をさらに哲学するのです。医学的には人間の人体構造はこのようになっていると説明できるのです。生理機能の構造的説明は医学ではできますけれど、機能の説明ができないのです。

 どのように働くかということは、構造の部類に属するのです。なぜ人間にそのような機能性があるのか。人間の生理構造の原理は何であるのか。

 例えば、呼吸機能における肺と心臓の連関関係は何を意味するのかということです。宇宙的な構造が人間の生理機能として、どのように働いているのかという根本的な原理を究明することが本当の哲学です。

 今の学問はそれができないのです。現在の学問は専門学でありまして、専門学は断片的、部分的なものです。総合的、包括的なものではないのです。全体的に見ることができないのです。こういう学問で人間の頭が固まっているのです。

 現在の学問、専門学が、皆様の心理構造をおかしくしてしまったのです。こういう文明的な欠陥が皆様の心理の中にあるのです。

 皆様は学問的な構造によって洗脳されてしまっているのです。だから、物事の真諦が分からないようにさせられてしまっているのです。

 文明、専門学は人間の精神を不完全なものにしてしまっているのです。こういうばかなものを人間は学問だと言って有難がっているのです。こういう構造が間違っているのです。だから、人間とは何かが分からなくなっているのです。

 人間とは何者かが分からないままで、人間は生きているのです。なぜそういうことになったのかと言いますと、近代文明の学問的概念、専門学という概念によって、人間の心理構造が曲げられてしまったのです。

 人間は生活していると思っていますが、実は脳細胞の機能が生きているのです。人間が生きているのではありません。脳細胞の機能が生きているのです。この状態を魂というのです

 一メートル何十センチ、体重何十キロという肉体が生きているのではない。生きているということを科学的、哲学的に分析していきますと、脳細胞が生きているのであって、肉体人間が生きているのではないのです。ところが人間は脳細胞の感覚を自分の感覚だと思っているのです。自分の感覚ではありません。脳細胞という生理機能の感覚です。これを知ることが本当の哲学です。

 宇宙構造と人間構造との関係です。これを究明することが命を知ることです。ところが人間は脳細胞が働いている状態を自分という人間が生きていることにしているのです。

 人間は自分が宇宙構造に関係なく自分が生きていると思っている。この考えがあるために、自分の生活があるとか、自分の命があるという妙な考えになってしまっているのです。これが学問による洗脳です。ばかなことをしているのです。

 人間は六千年かかって進歩したと言いますが、退歩しているのです。人間は六千年の時間をかけても本当のことが分からない。ただ退歩しているだけです。

 命に関する認識は、古代の人間よりもはるかに後退しているのです。訳が分からなくなっているのです。だから、古今集や万葉集に書かれているようなことを書く人は、今の時代にはいないのです。般若心経のようなことを書く人は、今の時代にはいないのです。昔の人はできたのです。般若心経を読んだ人が理解できると思われたから、そのような文章が書かれたのです。

 現在の人間は般若心経を読んでも分からないのです。だからこういう文章が書ける人もいないのです。人間はすべて何かを書く人は、読んだ人が分かると思って書くのです。

 ところが、今の人間は般若心経を読んでも分からないのです。五蘊皆空とは何のことか分からない。全体的な考察ができなくなっているからです。人間の魂が人間の本来のあり方に従って、脳細胞の活動ができなくなっているのです。だから、今の人間の脳細胞は全体の約十%しか働いていないと言われているのです。

 西洋文明が入ってくる前の人間は、脳細胞の二十%~三十%くらいは働いていたのではないかと推測されているのです。現在の人間の脳細胞は、文明とか学問によって、全体の十%しか働かなくなったのです。人間はこれほど愚かになったのです。

 だから、現代文明や学問を信じることをやめて頂きたいのです。皆様が生きているという事実を直視することです。般若心経はそれを皆様に勧めているのです。

 自分が生きているということを、謙遜な気持ちになって見るのです。生きているという事実を見るのです。学問を勉強するのではない。理屈を考えるのではない。事実を見るのです。

 小脳の働きだけでも、大型コンピューター五千台分の機能、能力を持っている。それほど脳細胞の働きはすばらしいものがあるのです。これが何であるかと言いますと、これを神というのです。この勉強をして頂きたいのです。

 般若心経に空という字がたくさんあります。この空を色々と考えても分からないでしょう。現在の皆様の頭で考えると、だんだん分からなくなるのです。現在の皆様の頭の状態ではだめです。頭が死んでしまっているからです。

 人間の常識や知識のために、皆様の頭が死んでしまっているのです。人間の常識や知識は生活のことは考えますが、命のことを全く考えていないのです。家庭のこと、人間関係のこと、経済のこと、政治のこと、法律のこと、利害得失のことばかり考えているのです。この頭は死んでいる状態です。

 生活のことを基礎にして考えることをやめて、命を基礎にして考えるのです。まずこういう気持ちを持つのです。自分の意識を転換するという気持ちを持って頂きたいのです。これが空です。

 空という文字のことを考えるのではなくて、自分自身の気持ちを空じるのです。これが空です。自分自身を空じるという気持ちを持ちさえすれば、空はすぐに分かると思います。

 例えば、花を見ていると美しいということが分かります。美しいということは分かるのですが、美しいとはどういことかが分からないのです。この説明ができないでしょう。これが現代文明の愚かさです。

 美しいということがはっきり分かりさえすれば、人間の霊魂は死ななくなるのです。

 人間が生きているのは脳細胞が働いているのです。この状態を生きていると人間は勝手に思っているのです。勝手に思っているというその気持ちが間違っているのです。

 現在の人間は生活一辺倒であって、生活の角度からだけしか考えられないような心理構造になっているのです。現代文明によって皆様の物の考え方は歪曲されてしまったのです。

 大学へ行ったことによって、皆様は愚かになったのです。それなら学校へ行かなかったら良かったのかと言いますと、やはりだめです。学校は生活に関する知識は与えますが、生命に関する知識は全く与えないのです。

 生活のことを考えれば考えるほど、生命のことは留守になるのです。このことを奈良女子大の数学の故岡潔教授がいつも言っていました。「現在の教育は知能の啓発に一生懸命であるが、人間の情緒性が壊れてしまっている。困ったことだ」と言っていたのです。しかし、どうしたら治すことができるかということを、岡教授は知らなかったのです。こんな人でも文化勲章をもらっているのです。人間に対する価値判断が狂ってしまっているのです。

 般若心経と聖書を一つにして見る人間が今までいなかったのです。こういう見方をすれば人間の情緒を回復することができるのです。

 空というのは皆様の頭で考えても分からないでしょう。これは五蘊皆空を実行したら分かるのです。五蘊というのは今までの人間の考え方をいうのです。生活の概念が五蘊です。色受想行識の五つが五蘊です。

 五蘊が人間生活の基礎になっているのです。五蘊が基礎感覚です。これが間違っているのです。

 昔の人は五蘊皆空が分かったのです。親鸞、道元、弘法大師は今の人間よりは頭が良かったのです。どのように良かったかと言いますと、素直で素朴であったから良かったのです。素直で素朴な人間には空が分かるのです。

 今の人間は新聞やテレビ、インターネットで現世の常識を頭にいっぱい詰め込んでいるのです。だから、生きていれば生きているほどばかになっているのです。これは困ったことです。だから皆死んでしまうのです。

 皆様の生活概念の土台が間違っているのです。だから死んでしまうのです。ただ死んでしまうだけならよいのですが、死んだら永遠の裁きが待っている。これが恐いのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


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