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「死なない命を見つける」


今の文明は、ユダヤ主義の悪い面が現われていて、現世の人間生活を第一義に考えています。どのように人間の生活を豊かにするかということだけを考えているのです。生活がいくら豊かになっても、今の人間は死ぬに決まっているのです。百パーセント死ぬに決まっているのです。死ぬに決まっていることを知っていながら、ただ生活を豊かにすることをいくら強調しても、文明自体が滅ぶに決まっているのです。  やがて、この地球に人間が住めなくなる時が来るでしょう。地球そのものがなくなってしまうかもしれません。これを今の学者は何となく感じているのです。文明は結局滅んでしまうしかないこと、また、地球上の人間の生存に必要な物質がいつかなくなってしまうこと、遅かれ早かれ人間自身が死んでしまうこと、人間文明は滅びるということを、学者はそれとなく知っているのです。知っていながら、そのことに対して真剣に考えようというまじめな学者は、一人もいないのです。  たとえば政治とは、日本古来の言い方をすれば、まつり事になるのです。まつり事という言葉は、人間の霊をまつることからきているのでありまして、自分自身の魂がどのように生きるべきかという原理が、まつり事の本当の原理になるのです。  人の命は天地自然の命であって、天地自然の命と人間が同調する角度を見つけさえすれば、人間は死ななくなるのです。天地自然の命は永遠ですから、これを自覚しさえすれば、死なないということは空理空論ではないのです。  イエスが死を破ったという歴史的事実があることからも、天地自然の命を理解することはそんなに難しいことではないのです。ただ現在の人間が、まつり事をまじめに考えていないだけのことなのです。  まつり事は、現在のいわゆる政治とはまったく違うのです。まつり事は、人間の営みの本源を指しているのです。  人間の生活は命のためであって、生活のためではないのです。この点が、現在の人間にはまったく分かっていないのです。現代人は、命の実質を無視しすぎています。命をまったく考えようとしていないのです。死ぬのが当り前と考えているのです。死ぬのが当たり前だと思いながら、やはり死にたくないと思っているのです。  死にたくないというのが、人間の正常な潜在意識です。そして死なねばならないと考えるのは、人間の常識です。常識を捨て、正常な潜在意識をはっきり確立して、般若心経と聖書の原理を、宗教ではない感覚でとらえていけば、本当の命を発見することはできるのです。現在私たちは生きているのですから、五官の働きを正確に考えれば、それだけでも死なない命が自分にあることが分かるはずなのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


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