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「専門学は生活の知恵」


人間には生活をするという面と、命をみきわめて永遠につながる考え方をする面と、二通りあります。  現代の文明は、現世に生きていることを基本にして、考えているのです。文明意識のある所には、いわゆる専門学というものがあります。専門学は、すべての人間が生きていくため、生活していくための学なのです。これは、常識の部類に属します。  常識は、顕在意識であって、目に見えることについて処理すること、考えることです。肉体的な人間が生活することについて、色々考えたり、仕事をしたりすることが常識であって、これは人間が生きている以上必要なものです。電車に乗る時には、電車に乗るという常識が必要なのです。  常識は否定すべきものではない。常識は常識として用いる時に、価値が出るのであって、常識を全くなくすのではないのです。ただ、常識は魂の問題にあてはめることができないものなのです。  人間が生きているのは、専門的に生きているのではないのです。全体的に生きているのです。ところが学問は全体的なものではないのです。政治学とか、経済学とか、自然科学とかに分類されていますが、専門学は生活の知恵なのです。  人間は現世に生きていなければならないので、生活の知恵も必要です。しかし、専門学がすべてではないのです。  ところが、魂の問題は命の問題であって、人生の本質に関する問題なのです。生活に関する問題ではなくて、本質に関する問題なのです。生活の方の問題が科学、哲学、政治学になるのです。命の方は政治とか、経済とか、哲学に関係がないのです。もっと大きい問題になってくるのです。  現在の日本は、生活の方は非常に発達しています。いわゆる経済大国と言われるように、発達しているのです。ところが、命の方はさっぱり分からないのです。人生の本質は命なのです。生活は現在のあり方です。現在のあり方はもちろん必要です。私は現在のあり方を否定しようとしているのではないのです。しかし、現在のあり方では、命のことは分からないのです。現在の学校を軽蔑しているのではないのです。  専門学は生活の知恵であって、これが人間のすべてではないのです。だいたい、地球があるのはどういうことかということです。地球にはあらゆる生命現象が充満しているのです。地球以外の惑星には生命現象は一つもありません。あるようなことを御伽話では言います。SFの世界では、地球以外にも生物がいるように言っています。そういう思想を一部のユダヤ人が流しているのです。一部のユダヤ人は神の福音を無意味にしようとして、そういうことを意図的に流しているのです。  ユダヤ人についての私の考えは、甚だしい偏見と独断に思われるかもしれません。日本人はユダヤ人についてなじみがないので、ユダヤ人の起源、興亡盛衰が世界の歴史に与えている影響については、ほとんど無知なのです。  ユダヤ人とは何か、なぜ彼らが間違えたかについて順次述べていきますが、ユダヤ人は神の約束という地球経営の中心理念をつかまえているために、いやおうなしに、全世界の動向を左右する運命を与えられているのです。良いことも悪いことも、すべてユダヤ人を中心に展開せざるをえない。これが地球の運命なのです。  ユダヤ人には宇宙の命に従う非常にまじめな人もいますが、命に反抗する非常に悪質な人々もいるのです。残念ですが今の文明は、悪質な宇宙の死に従う人々によって形成されているという、非常に不幸な状態になっているのです。こういう人々が、世界に流している思想が人類を害しているのです。  私の心からの願いは、こういう人々がその間違いに気がついて、一時も早く彼ら本来のあり方に帰って頂きたいのです。  実は、本当の意味において、この宇宙に、地球のように生命現象が実在しているという事実は、どこにもないのです。命がはっきり実在しているのは、地球だけなのです。地球がどうしてあるのか。これが現在の専門学では全く分からないのです。  創世ということが、日本人には分からないのです。世が始められたこと、地球ができたことが分からないのです。宇宙に大爆発が起こったと言いますが、それがなぜ起こったのか分からないのです。  時間があると人間は考えています。自然科学は、時間があるということを仮定しているのです。ところが、時間があることを完全に証明することができないのです。  すべての人間の行きつく所が学問では分からないのです。これは聖書を勉強しないと分からないのです。キリスト教の勉強ではだめです。キリスト教ではない聖書の勉強をしなければならないのです。  日本人は、聖書を読むことを大変嫌っています。敬遠しています。キリシタンバテレンという思想が、徳川時代から伝承されていて、無意識に聖書を敬遠しているのです。聖書を読みたがらないし、信じようとしないのです。  創世ということが分からない。今の現象世界がなぜ始まったかということです。創世ということが分からないと、人生全体をマスターすることができないのです。  ユダヤ人達は、現代文明の専門的な知識をほとんどつくつているようです。それがいいか悪いかの問題ではなくて、足りない所があるということなのです。ユダヤ人は何のために人がつくられたのか、何のために人が存在するのかが分からないのです。  人間はただの動物だという人がいます。しかし人間には理性と良心があります。理性は無限の真理を探究するという性格です。真実をどこまでも探究するのです。良心は最高の善を求めます。もっと良いこと、もっと良いことを求めるのです。  人間の霊魂の永遠を考える場合、理性の本源は何か、良心の本源は何か、霊魂はどうして地球へやってきたのかということを、考えなければならないのです。聖書の他に、本当に信頼できるものは一つもないのです。創世、創人を知ろうと思えば、聖書を学ぶ以外にないのです。仏教をいくら調べても書いてないのです。日本の古事記や日本書紀では、とても間に合いません。こんなものは御伽話です。  キリスト教が聖書を間違えています。ヨーロッパの神学者が、キリスト教という宗教観念をつくつたのです。キリスト教は、キリスト教神学の説明をしているのです。キリスト教神学は、科学と哲学と同じように、一つの学なのです。専門学なのです。専門学で聖書を説明することはできないのです。  何のために地球があるのか。これは専門学では分からないのです。科学が考える原子爆弾と、政治が考える永久平和とは、どうしてもかみあわないのです。何百という専門学がありますが、専門学全体を統一、統合するような思索方式はありません。本当の世界平和は何に基づいてできるのか。さっぱり分からないのです。これが現代文明なのです。  文明は霊魂を殺してしまうのです。霊魂は人間存在の本質なのです。これを殺してしまうのです。人間はこの世に生きていなければならないものですけれど、まちがった生き方をしてはならないのです。  人間存在の本質、地球存在の本質、人間がなぜ存在するのか、地球がなぜ存在するのか、この説明ができるような考え方を、日本人は持っていないのです。  今の学校教育は考えが小さすぎます。哲学も科学も、スケールが小さすぎるのです。もっと大きなもの、もっと根本的なものに目をむけて、人間がなぜ生きているか、人間の命がなぜあるかという問題、どういう考え方をすれば、命を全うすることができるかという問題を考えなければならないのです。  人の五官は、天地自然を見分ける力を持っているのです。従って、五官の本当の意味が分かればいいのです。五官の意味は魂の意味なのです。人間の霊魂の本質は何かが分かれば、死なない命が分かるのです。人間が現在生きていることの中に永遠の命が輝いているのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


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