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「本当の世界が必ずやってくる」


人間が完成されるということは、文明が完成されることでなければならないのです。それは、文明と地球とが同時に完成するという意味です。「平和」といいますが、戦争がないことが平和かというと、そうではありません。もちろん、戦争がない方がいいに決まっています。しかし戦争がなくても、泥棒や強盗、殺人があります。また、いつ起こるかもしれない地震もあります。台風もあり、旱魃、飢饉、津波、洪水、噴火もあります。こういう事がらや現象は、地球が、そして文明が、未完成だから起こるのです。  ところで現在の文明は、ユダヤ人が中心になっています。ユダヤ人が牛耳っているために、混乱した文明になっているのです。  信じた、悟ったといって、喜んでいてもだめです。なぜなら、人間は神から見ると、生きていないからです。客観的に見ると、人間は生きていますが、主観的には、精神状態が闇の中にいるのです。本当の命が分からない。だから、死んでしまうのです。命が分かっていれば、死ぬはずがないのです。死なない命に生きていれば死ぬはずがない。これを証明したのが、イエス・キリストの復活です。日曜日は死なない命が、地球に実現したという、記念日です。  これを、ひた隠しにしているのが、ユダヤ政策です。ユダヤ人が一番嫌っているのが、イエス・キリストです。しかし、イエス・キリストが復活したというのは、歴史的事実ですし、日曜日を否定することはできないのです。ユダヤ人さえこの事実を受け入れれば、世界中の人間に、死なない命、永遠の生命がわかるのです。  今生きているのは、自分の命ではないのです。だから、信じたとか、悟ったとかいうのとは違うのです。現在まで、常識で生きていたことが、はっきり間違っていたことを知れば、本当の命は何であるかが、分かるにきまっているのです。  泥棒や殺人がある文明は、本当の文明ではないのです。人間が考えている世界平和は、本当の平和ではありません。それではどのような世界が本当に平和な世界なのでしょうか。「死」がないのが、本当の平和です。これを神の国というのです。やがて、神の国は来るにきまっています。なぜかといいますと、私たちの気持ちの中に、そういう世界が実現して欲しいという願いがあるからです。人類は何千年も間、泥棒のない世界、犯罪のない世界、戦争のない世界、災害のない世界の実現を心の底で、願ってきました。これは、人類の悲願です。そして人間は、そういう世界が必ず実現するということを、本心で知っているのです。  伝染病とか、地震が発生するのは、地球が未完成だからです。南極、北極、砂漠では人間は住めません。人間が住めない所があるというのは、地球が未完成だからです。人間は未完成です。地球も未完成です。歴史も未完成です。これらのものを本物だと思っていることが、間違っているのです。  釈尊が見た明けの明星は、朝日が昇る少し前に出る星です。釈尊はそれを見た時に、やがて太陽が出ることを直感したのです。太陽が出るということは、やがて、完全な世界が現れることを、直感したのです。弥勒の世界です。黄金の世界です。これが「一見明星」ですが、これを説明できる人が日本にはいないのです。  私たちが現在常識によって生きている命は、死ぬにきまっている命です。未完成の人間の命です。未完成ということは、本物ではないということです。これをよく考えていただきたいのです。  私たちは、目で見る力や、耳で聞く力、また、考えることができる心理機能を持っています。ところが、その与えられた能力を、本当に使ってはいないのです。大脳生理学によると、今の人間は、脳細胞のわずか五~六%しか使っていないそうです。つまり、本当の命が全然分かっていないということになります。  命は霊なのです。私たちが鼻から息を出し入れしている姿が、本当の霊の意味なのです。生きていることが、霊なのです。宗教団体で、霊友会とか、霊法会とかいうところは、盛んに霊という言葉を使いますが、それはシャーマニズムの霊であって、聖書の霊とは全然違うのです。聖書がいう霊とは、本質、本体、実質、実態という意味です。  現世の人間は、いくら幸福になっても、死んでしまえばそれで終わりです。死ぬにきまっている人間が、いくら幸せになっても、満足できないのです。  しかし、本当の世界が必ず実現するということを、聖書は断言しています。イエスが死から甦ったことを、学の対象にするくらいの真面目さがあれば、人間が死なないということが分かってきます。こうなると、文明の完成、地球の完成がありうることが考えられるのです。  人間の霊魂が完成されるということは、宗教で考えているような、死んでから天国へ行く、といったこととは違います。生きているうちに、はっきり神の命を認識することです。これが人間完成です。宗教は、神の前に三文の価値もありません。私は宗教の宣伝をしているのではありません。宗教は、人間を地獄に突き落とす、もっとも悪いものですから、私は宗教を蛇蝎のようにのろっています。  どうか、自分の本心を見て下さい。皆様の潜在意識、魂が、何を求めているのでしょうか。宗教を求めているのではないはずです。もっと具体的なもの、もっと実感的なもの、命を求めているのです。  地球が造られたのはなぜなのか。文明がなぜ現在のようなものになったのかということについて、もっと勉強して頂きたいのです。  まず私たちに必要なのは、宗教ではない、般若心経と聖書とを勉強するということです。現在の文明が間違っていることを知って下さい。人権という思想があるために、どれだけ社会が混乱しているかということを。文明は、ありもしないものを、あるように言いふらしています。その結果、家庭内暴力や学校内暴力が頻繁に発生し始めたのです。資本主義社会では金権が問題になり、共産主義社会では人権が問題になっています。資本主義も共産主義も、両方とも不完全だからそうなるのです。この世の生活のことは、学校で教えてくれますが、命のことは、自分自身で勉強するしかないのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


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