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 皆様の心臓が動いていることが神です。このことが分かれば皆様は死なないのです。この神を掴まえるためには、流れを掴まえたらいいのです。時間空間を流れさせているものが神です。

 神は霊です。神や霊を皆様に教えるためには、肉という形を取らなければならないのです。霊なるものという形がないものを教えるためには、肉なる形を取らなければ教えられないのです。だから霊なるものを肉なる形で現わしているのです。

 神が神となるために、天地創造した。これが空即是色ということです。

 なぜ空が色になっているのか。神が神になるためです。

 天ということが分からないのです。キリスト教の方は「天にまします我らの父よ」と祈っていますが、天はどこにあるのか。神は天に座っているのか。そうではないのです。

 天そのものが神ということです。天ということが霊ということです。霊とは何か、新興宗教に霊友会とか、霊交会というのがありますが、この霊は巫女の口寄せの霊です。心霊科学の霊です。これは迷いの霊です。

 霊には正数の霊と負数の霊があるのです。普通の霊はマイナスの霊です。これは摩訶不思議な霊で、いいかげんな霊です。

 正しい霊というのは、合理性の根源になる霊です。例えば皆様の心臓が動いています。目が見えるということ、耳が聞こえることは、合理性の根源を意味するのです。これが正しい霊です。ここに超自然の力があるのです。これを科学的にまた、数学的に分析することはできませんけれど、皆様の目が見えることは事実です。

 これは皆様の目が見えるのではなくて、太陽光線の反射によって、目の網膜に映っているのです。

 大自然と人間の生理状態は、一つの原理によって働いているのです。だから私たちは大自然を見ることができるのです。この根源のことを霊というのです。これが根源の根本です。

 神は、「我は有りて在るものなり」と言っています(出エジプト記3・14)。英語ではI am that I am. です。I am that I am. を正確に説明できるキリスト教の先生はいません。ユダヤ教にもいないのです。私にはこれが教えられているのです。

 神が存在する。存在とは何であるか。これを聖書によって学ばなければいけないのです。

 般若心経と聖書は全然違ったものです。全然違ったジャンルのものを一つにして学ぶことができるのは、初めてのことです。西洋文化の真髄と、東洋文化の真髄を一つにまとめて提示するというのは、宗教ではできないのです。

 存在の根本とは何か。未来と現在との関係です。時間はどこから来るのか。未来から時間が流れてきているのです。

 未来とは未知の世界です。未知の世界から現在の世界へ流れている。時間はどこから流れてきているのか。存在の原理から流れてきているのです。

 宇宙の霊によって人間の目が開かれなければ、本当のことが分からないのです。本当の天の霊によって皆様の目が開かれますと、見えない世界が見えてくるのです。そうすると死なない命が分かるのです。

 般若心経は彼岸へ入る入口の説明をしているのです。しかし彼岸の実体はどこにも書いていません。般若心経に究竟涅槃という言葉がありますが、これが般若心経の目的です。

 現世に生きているどろどろの思いを捨ててしまうのです。現世に生きていた気持ちを捨ててしまったら涅槃が分かるのです。

 人間の勉強はだめです。人間の勉強は宗教でも学問でも、皆五蘊ばかりです。人間はこれで困っているのです。だから今までの自分の考え、自分の立場を捨ててしまって考えるのです。

 人間の今までの経験が人間を迷わしているのです。自分が信じている宗教、勉強した学問が皆様の因縁になっているのです。悪因縁になっているのです。悪因縁が皆様を地獄へ引っぱっていくのです。

 今まで生きてきたということが嘘です。五十歳の方はこの世に五十年生きてきたと思っています。七十歳の方は七十年この世に生きてきたと思っていますが、それが嘘なのです。

 今までの人生経験は自分という人間の経験です。ところが皆様は自分で生まれたいと思ったことはないでしょう。従って今皆様が生きておいでになる命は、皆様方自身のものとは違います。これをよく考えて頂きたいのです。

 生まれたいと思って生まれたのなら自分の命です。命は自分のものです。生まれたいと思わないのに勝手に生まれたのです。従って皆様が生まれたというのは天の命によるのか、天の意志によるかです。人間の理屈では考えられない原理に基づいて生まれてきたのです。

 ですから、命は皆様のものではないに決まっているのです。ところが命を自分のもののように思ってしまっている。これが第一の迷いです。

 人間の常識、知識が皆様を迷しているのです。人間の文明は五蘊の塊です。五蘊の塊とは間違いの塊ということです。

 宗教は死んでしまった人間が造ったものです。死んでしまった人間が言い残したことが経文になっているのです。学問になっているのです。常識になっているのです。

 皆様の常識知識は、全部死んでしまった人間が造ったものです。これが皆様の中に流れ込んでいるのです。これを信じていると必ず死んでしまうことになるのです。

 死んでしまった人間の勉強をしないで、死を破った人間を勉強したらいいのです。簡単なことです。死んでしまった人間の言ったことを勉強しないで、死を乗り越えた人間の言うことを勉強して頂きたいのです。

 死を乗り越えたのはイエスしかいないのです。他に死を乗り越えた人間がいるでしょうか。全くいません。釈尊も死んでしまったのです。ソクラテスも、孔子も、日蓮も弘法大師も皆死んでしまったのです。

 死んでしまった人間は負けた人間です。死を破った人間が勝ったのです。死に勝ったことが罪に勝ったことです。人間の因縁に勝ったのです。

 死に勝ったイエスを勉強したら、皆様も死に勝てるに決まっているのです。難しくないのです。ただ考え違いをやめたらいいのです。五蘊皆空だけでいいのです。人間の考えは皆間違っている。人間の常識や知識を乗り越えてしまうことだけをしたらいのです。そうすると死なない命は必ず見つかるのです。

 自分が生まれたいと思わないのに生まれてきた。この命を自分のものと思い込んでいる。これが間違っているのです。

 命は天から預けられているものです。この命を皆様は自分のものだと思い込むのは、背任横領になるのです。

 会社の社長が株主から預かったお金を勝手に使ったら背任横領罪になるのです。今皆様は同じことをしているのです。預けられた命を自分のものだと思い込んでいるのです。自分がどう生きようと自分の勝手だ。いちいち口出ししないでほしいと思っているのです。

 神を信じなさいとか仏を信じなさいとかを言わないでほしいというのです。こういう横車はこの世に生きている間は通用します。「人盛んなる時は天に勝つ」と言います。人間が理屈を言えば神は黙って聞いています。だからこの世を去ってから、高い税金を取られることになるのです。地獄の刑罰という税金が待っているのです。

 今生きている命を素直にご覧になる。これだけでいいのです。女の人は男性に知らず知らずに従順になるようにできているのですが、男性は危ないです。結婚すると旦那様になってしまうからです。これが悪いのです。

 ご主人は奥さんの服従のしかたをよく勉強するのです。奥さんは男が勉強するために与えられているのです。男が我を捨てて、女の姿を勉強するのです。そうすると従順を学ぶことができるのです。

 男は頭が良いのですから、頭が良いところへ従順が加わったら鬼に金棒です。これが一切空ということです。何でもないことです。やろうとしたら誰でもできるのです。

 神を信じなさいとか仏を信じなさいと言っていません。従順になれば、自分の心臓が動いていることが神であることが、自然に分かってくるのです。

 従順になれば宇宙の指導霊が働くのです。宇宙には太陽を太陽として働かせている力があるのです。これが神のペルソナです。

 皆様の人格はパーソナリティと言いますが、パーソナリティは神のペルソナからきているのです。皆様の人格性は神の神格性の現われです。ですから自分で自分の人格を拝んで頂きたいのです。

 家庭の問題、仕事の問題は何とかしようと思ったら何とかできるのです。自分の命のことを、仕事が忙しいとか、家庭が忙しいと言っていたら命の目を開くことはできません。自分の霊魂のことは仕事よりも、家庭よりももっと大切なことです。

 「生を明らめ死を明きらむるは、仏家一大事の因縁なり。生死の中に仏あれば生死なし。但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし。是時初めて生死を離るる分あり」と道元は書いています。

 魂ということをはっきり勉強することは、人間の一大事の因縁なのです。何を差し置いても魂の勉強をして頂きたいと思うのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


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