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イエスは死を破った


イエスは死を破った

 イエスは死を破ったのです。歴史的事実において、死は破られているのです。イエスがどうして死を破ったかということを勉強すれば、皆様も死を破ることができるのです。

 皆様の心臓が動いていることが神です。心臓が動いていることの意味さえはっきりお分かりになれば、皆様は死ななくなるはずです。心臓が動いていることが神ですから、この神を掴まえたらもう死なないのです。簡単なことです。

 般若心経の涅槃がお分かりになればいいのです。そうしたら皆様の物の考え方は根本的に転換するでしょう。

 皆様は今の状態のままでは死ぬしかありません。人間は生活するために生まれたのではありませんから、ただ生活だけしていてもしかたがないということをよくお考え頂きたいのです。

 国家のため、社会のためにいくら尽くしても、国家も社会もやがてなくなってしまうでしょう。人間文明が宇宙の公義に反しているからです。

 文明も学問も宇宙の公義に反しているのです。文明には理想も目的もありません。これが現代文明の大欠点です。これについて堂々という人がいないのです。

 有名な学者や評論家の人々が話をすれば、文明を賛美し、文明に協力するようなことを言うでしょう。

 本然性の公義をどうして掴まえることができるのか。自然法には原理があるのです。地球が自転公転していることの原理があるのです。自然科学の根本的な原理が公義です。

 存在することの原質、実質、皆様の魂の出所を勉強して頂ければ、皆様のオリジナルが分かるのです。生まれたばかりの赤ちゃんの状態が皆様のオリジナルなのです。

 般若心経は色即是空、空即是色と言っています。色即是空の方は分かりやすいのです。色即是空という思想は日本の王朝文化の中にもずいぶんありまして、小倉百人一首にも空観がよく出ています。

 ところが空即是色が分からないのです。なぜ空が色になって現われなければならないのかということです。本来空であるのなら、わざわざ色になって現われなければならない理由はどこにあるのか。これが分からないのです。

 仏教には天地の創造という思想がありませんので、空が色になって現われなければならないという必然性が分からないのです。

 仏教では因縁所生と言いまして、因縁が万物の格好で現われていると言っています。しかしなぜ因縁が森羅万象として現われなければならないのかということの説明が、仏教ではできないのです。

 従って聖書に聞くしかしょうがないのです。天地万物の創造について明確に書いているのは、旧約聖書の創世記だけです。

 一体何のために神が万物を造ったのか。

 人間の霊魂は神にかたどりて造られていますから、神を正しく認識できなければならないはずです。ところがそれが正しく認識できないのです。

 本当の神はどこにいるか。これを激しく神に問い求めなければいけないのです。そうしたら神は教えてくれるのです。

 精神世界に関する本の中に霊界ということを書いていますけれど、これは神霊科学的な分野に属するものでありまして、霊界とか異言を尊重しますと、聖書が分からなくなりますのでご注意頂きたいのです。

 正しい意味での御霊の導きは、必ず聖書の言葉を通してなされるのです。

 現在の世界は間違っていますので、新しい世界観の創建が必要です。現在の人間は必ず死んでしまうに違いない命によって生きているのですが、これが間違っているのです。イエスは死を破ったのです。死を破った命に基づいた世界観、人間は絶対に死なないという世界観を創建する必要があるのです。

 空というのは神の本質の極めて抽象的な広がりです。性質的には空と神は同じものですけれど、神は人格的であり、また本質的です。そこで空を通すことが正確に神を捉える方法になるのです。

 聖書の中に聖霊(せいれい)という言葉があります。聖とはどういうことか、霊とは何かということになりますと、宗教では分からないのです。

 聖霊は皆様の魂の目を開いて、あるべき本来の姿を悟らせるための宇宙の指導霊です。人間は何十年の間、人間の常識や知識で生きてきたのですが、人間の常識や知識の中には聖はありません。

 そこで聖なる霊の導きを受けなければいけないのです。イエスが、「真理の御霊が来る時には、あなた方をあらゆる真理に導いてくれるであろう」と言っていますが(ヨハネによる福音書16・13)、聖霊の案内によらなければ、本当の人間の正体を捉えることはできないのです。これが聖霊です。

 神という言葉がどうしてできたのかと言いますと、色々な言い方があると思います。示し申すということを神という字にしたと考える人が多いようです。これは間違っていないと思います。聖書に、「わたしは口を開いて譬を語り、世の初めから隠されていることを語り出そう」という言葉があります(マタイによる福音書13・35)。

 森羅万象は神が語っているのです。このように考えますと、示し申すのが神だという言い方になるのです。

 示し申すだけが神ではありません。神という言葉の中には色々なニュアンスが含まれています。神という字がどうしてできたのかにつきましては、色々な意見があると思います。

 例えば、花が咲くということが、神が地球に含まれている命を花として現わしているのです。命の一つの現われが花として私たちに感じられるのです。

 形も色も、味も香りも皆地球の命の現われです。

 空即是色という言葉が分かりにくいのです。仏教は仏教なりの説明はします。因縁所生ということで、因縁が万物として現われていると言います。

 これは間違っているとは言えないでしょう。間違ってはいませんが、非常に概念的でありまして、具体的な説明ではないのです。

 聖書には第一日目の創造、第二日目の創造、三日目、四日目の創造と、丁寧に書いています。万物が創造された具体的な記述は仏教経典にはありません。

 これは当たり前のことでありまして、仏典には神という創造者がありませんから、創造の記述がないのです。聖書には神が天地を造ったことが、第一原理になっているのです。

 本当の真実、真理を掴まえようとすると、普通の人間の感覚ではだめです。人間は現在五蘊の中で生きているのです。人間の常識、知識の中でうろうろしているのです。

 ところが、そういう状態でありますからこそ、真理を掴まえることができるのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


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