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必ず死ぬ命と絶対に死なない命


 人間は現世に生きていることの意味が分からないから、現象利益にひっかかるのです。仮に商売が繁盛して、家庭が安全になり、国土は豊饒であっても、結局今生きている人間は必ず死ぬのです。百人が百人、千人が千人共、必ず死ぬのです。

 私は死にません。死なないと言っても世間一般の人が考える死とは違ってくるのです。

 肉体は滅びます。肉体は物質的にできていますから、必ず損耗します。耐用年数があるからです。家でも車でも耐用年数があります。耐用年数があるものは必ず消耗していきます。形あるものは必ず壊れるのです。肉体も使えば古くなるのです。

 私の肉体も使えなくなるでしょう。ところが、私の魂はぴんぴんしていて死なないのです。心臓が止まっても命は止まりません。人間の命というのはその人の精神状態によって、脳波の活動状態が変わってくるのです。

 死なない命が分かってきますと、宇宙の大生命と皆様の脳波が連結するようになるのです。そこで死なないことが分かるのです。

 人間が肉体で生きている時の迷いが間違っていたのです。これが記憶になっています。人生の記憶は一つの生理状態です。生理状態と心理状態が混線しているのです。これによって人間はごまかされているのです。

 神霊科学によって人間はごまかされているのです。死んだ人の霊を呼び出すとか、座って瞑想していたら魂がどこかへ飛んでいくと言います。大阪にいて瞑想をしていると、東京の人のことが皆分かると言います。こういうことはたいがいいんちきです。もしそういうことが分かったとしても、人間の命に何の足しにもならないのです。神霊科学の中へ頭を突っ込んでそれ信じてしまうことになりますと、その人は本当の命の極意、生命の本質を悟ることができなくなってしまうのです。

 魂が欠陥してしまうのです。魂に欠陥が生じるのです。いわゆる拝み屋に拝んでもらうことになりますと、その人の霊魂に傷がつくのです。霊魂に傷がついてしまうと、まともな命を掴まえられなくなるのです。そういう意味で大変な害毒があるのです。今の新興宗教はどれもこれも全部害毒があるのです。

 こういう宗教の悪さを聞きますと、皆様はそういうこともあるかもしれないと思うのです。多少は理解できるのです。ところが命の本質のことを言われると、全然分からないという人がいます。

 宗教の悪さということは人間の常識でも分からないことはないのです。ところが命の問題、霊魂の問題になりますと、普通の常識では分からないのです。

 現世の命しか分からない人は、生が分からないのです。生と命は次元が違うのです。命の方は常識でも分かりますけれど、生の方は常識では分からないのです。ですから悟りが必要になってくるのです。悟りとはどういうことかと言いますと、常識ではない考え方をいうのです。

 例えば、皆様がおいしいものを食べて、これはおいしいと感じます。なぜこれはおいしいと感じるのでしょうか。

 皆様はある所で非常においしい羊羹を食べたとします。この羊羹はおいしいと思って感動したとします。それから三年も五年も経過しても、以前に食べた羊羹の味が忘れられないでしょう。

 その羊羹の味をよく覚えていてもう一度食べたいのですが、どこで売っているか分からないので、買うことができないのです。

 ところがある時に、偶然その羊羹をもらって食べたとしますと、あっと驚くのです。探し求めていた羊羹に巡り会って感動するのです。今度は販売先を聞いて、これから時々買って食べたいと思うのです。

 以前に一度食べて非常においしかった味というのは、なかなか忘れられないものです。五年も六年も経ってからその味に巡り会いますと、確かにこの味だと言って感動するのです。探し求めていた味だということが分かるのです。

 生というのはこれと同じことです。命は常識で判断できるのです。生というのは生まれつきのことです。皆様が生まれる前に魂があったのです。

 赤ちゃんは生まれる前に五官の本質があったのです。そこで生まれた時に、味覚も、視覚も聴覚も働いているのです。だから生まれた直後の赤ちゃんはお母さんのおっぱいの味を知っているのです。

 視覚や聴覚は、赤ちゃんはまだ発達していないかもしれないのですが、味覚はかなりはっきりしているのです。二、三才の赤ちゃんはおいしいものとおいしくないものとがはっきり見分けることができるのです。

 それと同じように、皆様の機能は生まれる前に用意されていて、生まれた時には肉体に備わっているのです。これが皆様の五官の機能になっているのです。

 ところが、三才か四才になると物心がつくのです。物心とはいわゆる人間の常識ですが、これを親から押しつけられるのです。親が常識を教え込むのです。

 さらに幼稚園や小学校、中学校で人間の常識をしっかり教え込まれるのです。これが物心です。

 人間には潜在意識があります。生まれた時には潜在意識が比較的はっきりしていますけれど、これを口に出して言うことはできません。記憶して残っていくのです。生まれた時には潜在意識がありましたが、これを働かさなかったので、だんだん縮んでいったのです。

 これが魂の本質であって、命の本質です。皆様は物心が発達しすぎているのです。常識が発達しすぎているので、本当の意味での魂の能力が縮んでいるのです。

 以前に食べたおいしい羊羹の味をほとんど忘れているのと同じことなのです。私が命とはこういうものだとお話ししても、それに対して魅力を感じる気持ちはあるけれど、さっぱり分からないのです。

 なぜ分からないかと言いますと、皆様の魂の感度が衰えているからです。これは文明のためです。学校で物心をしっかり教えられたからです。義務教育という学校制度は、漢字の読み書き、計算方法という人間にとって必要な基礎知識を教えますから必要ですけれど、物心や文明至上思想を教えることが大変悪いのです。

 人間の霊魂は現世で生活することが目的ではありません。霊魂の本性、命の本質について、生命について勉強しなければならないのです。その責任があるのです。ところが人間はその勉強を全然していない。

 学校教育、家庭教育、社会教育が皆様を盲目にしているのです。文明が魂を殺しているのです。人間の常識が皆様を盲目にしているのです。

 私の話をお聞きになると、潜在意識的にはすばらしい話だと思われるでしょう。死なない命を勉強したいという気持ちは起きるでしょう。ところが常識を持ったままで私の話をお聞きになっていますから、分かる所もあるが分からない所もたくさんあるのです。これは常識に基づいてお聞きになっているからです。

 そこで般若心経は五蘊皆空と言っているのです。この般若心経の見解を素朴に信じることができるかどうかということです。信じるというのは、分かっても分からなくてもそれを肯定するということです。

 もし肯定すると言われるなら、般若心経の主張を善意と好意をもって受け取って頂きたいのです。少々分かりにくいところがあっても、呑み込むくらいにして頂きたいのです。そうして勉強して頂きたいのです。

 だいたい今の日本人の頭はどうかしているのです。文明病にかかっているのです。学校病、学問病にかかっているのです。

 文明によって人間の霊魂がやせ衰えているのです。生活のことばかり一生懸命になって、命のことを見失っている。皆様はこういう文明の害毒の被害者なのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


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