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空観


空観

 釈尊は今から二千五百年前にいた人です。二千五百年も前に一切空と説いたのです。私はそれくらい古い話をしているのです。しかしどうしても釈尊の空観を勉強しなければならないのです。

 釈尊の空観に立ってイエスを信じるのです。そうすると初めて死なない命が分かってくるのです。

 理性や良心を持った人間という不思議なものがいるのです。名誉とか、学問とか、法律とか、信仰とかいう生き物がいるのです。これは一体何かということです。どうしてこういうものがいるかということです。

 私たちは肉体を持ってこの世に現われなければ神が分からないからです。しかし肉体を持っているままの状態では神は分からない。肉体を持っていながらそれを解脱するのです。これが五蘊皆空、究竟涅槃です。これを実行するのです。

 皆様は神の国にかじりつこうとしているのですから、徹底的にかじりついて頂きたいのです。こういうことに自分の人生をかけている人はめったにいないからです。本気になる者だけが突撃したらいいのです。そうしたらイエスを掴まえることができるのです。

 本当のイエスを掴まえることができる人は、全世界でも非常に少ないでしょう。そのかわりに掴まえた人は全知全能の神と同じくらいの実力と位を与えられるのです。現在の人間が考えられないほどの栄光と恵みが与えられるのです。これが私たちが目指している人間完成の終点です。人間完成の目的です。

 イエスは死から復活して第三の天にいるのです。このイエスが人間完成の目標なのです。これにはパウロやヨハネ、ペテロの信仰がいるのですが、それを持って頂きたいのです。激しく責める者はそれを得ることができるのです。

 こういうことはやる気になったらできるのです。イエスができたことは私たちにもできるに決まっているのです。

 時間、空間、人間の三つの間がありますが、これは妙な言葉です。あると言えばあるのです。ないと思えばないのです。間はあることはありますけれど、絶対ではないのです。

 禅の公案に隻手音声というのがあります。両手を叩けば音が出ますけれど、片手の音が聞こえるかという公案です。現在の世界があるということは、それをあらしめているものがあるはずなのです。森羅万象を森羅万象としている原因、原理があるはずです。もしなければ森羅万象があるはずないのです。

 現象と非現象の間があるのです。現象と非現象の間に時間と空間があるのです。

 神は天地を造ったのですが、今でも造りつつあるのです。今の地球は瞬間、瞬間新しくなりつつあるのです。瞬間、瞬間に新しくなるのですが、一年間とか四十五億年という時間はないのです。

 人間は四十五億年間という時間があると考えているのですけれど、これは肉体存在の自分という立場から考えているのです。肉体存在の自分という立場から考えますと、四十五億年間あったように思えるのです。これは人間の記憶が間違っているのです。神の記憶にはそういう記憶はないのです。

 神の記憶をそのまま皆様の記憶にしたら、皆様の精神と神の精神が一つになるのです。正しいエネルギーによって人間の精神が訓練されたら、人間の精神はすばらしく発達するのです。

 人間はすばらしい状態で完成するのです。無限に完成するのです。人間の精神的な発展は無限です。限界がないのです。神自身が無限であるように、私たち自身も無限に発展する可能性があるのです。

 せいぜい欲深く神を掴まえるのです。皆様の精神は無限に発展するのです。これを見せたのがイエスです。イエスは復活してどうなったのかと言いますと、神の右に座したのです。全知全能の神の右です。神の右というのは神より上の位ということです。

 イエスは神より上等になったのです。キリスト教では神の右という言葉が分からないのです。全知全能の神であっても、イエスの同意を得なければいけないのです。神がだめだと言ってもイエスが良しと言ったら可能になるのです。こういう特殊な時代が現われているのです。これがキリスト紀元という摩訶不思議な時代です。

 こういう時代に私たちは生まれているのです。やがて世界の文明は大混乱を生じるでしょう。それまでに本当の命を見つけておかなければいけないのです。

 光は東方からという言葉があります。旧約聖書の中には、誰が東から人を起こしたかという言葉があります。誰が東からすばらしい預言者を起こしたのか。これが皆様方自身であると神が期待しているのです。

 皆様が現世に生きているのは死んでいくに決まっている命です。死んでいくに決まっている命を捨ててしまうのです。そうして死なない命を掴まえるのです。そのための新しい世界観や価値観を、皆様が持つべきです。

 死なない命を持つための新しい世界観の創建をするのです。

 今の世界中の人間は、自分は死んでいくと思い込んでいるのです。皆様自身の本体はイエスと同じ本体です。自我意識さえ捨ててしまえば、自分の中にあるイエスが分かるのです。ところが人間は死なねばならないと思い込んでいるのです。固有名詞の自分を自分だと思い込んでいるから死ぬのです。

 固有名詞の自分は死んでいくに決まっています。固有名詞の自分ではなくて、霊魂としての自分を見つけるのです。これが他人である自分です。他人である自分を自分と思えば死なないのです。

 自分は死にますが、他人(他分)は死なないのです。他分はイエスです。皆様の命の本体である他分としての霊魂は、不滅です。不滅の自分を発見すれば死なないのです。ところが固有名詞の自分が聖書の勉強をしている。霊魂としての自分を知らないのです。だから困るのです。

 霊魂である自分という自覚がなかなかできないのです。だから五蘊皆空を実行するしかないのです。これが無条件でできたらイエスが分かるのです。

 まず究竟涅槃です。これを愚直に実行して頂きたいのです。

 人間がイエスを信じることは絶対にできません。人間は一つの人格です。一つの人格を持ちながら、もう一つの人格を信じることはできないのです。絶対にできないのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


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