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味とは何か


味とは何か

 皆様の魂の働きは神から来ているのです。その証拠に神が造った花が、皆様の目に見えるのです。砂糖の味、塩の味は神がつけた味です。神がつけた味を皆様は味わうことができるのです。このように皆様の霊魂は神を味わうことができるのです。神を感じることができるのです。

 これほどの霊魂を持っていながら神が分からない。これを迷いというのです。現実に皆様は神と一緒に生きているのです。心臓が動いていることが神です。現に皆様の命は神と一緒に生きているのです。

 これが分からない。日本人は聖書を敬遠しているから分からないのです。聖書を嫌がっているのです。キリストという言葉を嫌がっているのです。これは徳川幕府三百年の大害悪です。これが日本人に本当の魂を知らせないような形になって働いているのです。

 これが日本人の業(ごう)です。恐ろしい業です。神の言葉である聖書を嫌がっているのです。ばかな民族です。だから日本人で本当の命が分かる人間はほとんどいないのです。宗教を勉強している人にはなおさら分からないのです。

 空だ空だと言うけれど、般若心経の本当の空が全く分かっていないのです。般若心経を色々と説明しているお坊さんがいますけれど、理屈ばかりを言っているだけのことです。本当の空を全然知らないのです。本当の空が分かっていたら、写経して千円をつけて送りなさいと言うはずがないのです。

 本当の空が分かったら、寺を出てしまうでしょう。腐りきった仏教界の中にいられるはずがないのです。寺で食べていこうとするはずがないのです。ところが、彼らは般若心経を説きながら宗教で食べているのです。

 寺のお坊さんのことはどうでもいいのです。皆様には宗教観念をやめて頂きたいのです。

 皆様の心臓が動いていることが神です。皆様が知っても知らなくても、皆様は神と一つになって生きているのです。このことを真面目に考えて頂きたいのです。これが幼子のようになるということです。

 素直ということは、自分で自分の気持ちを削ることです。私の言葉は皆様の考えを削っているのです。皆様にとって耳障りの内容が多いですからお受け取りにくいかもしれません。しかし皆様がお受け取りになれば、これが皆様の命の足しになるのです。

 今日本に本当の命を説く人がいないのです。宗教ではない般若心経と聖書の説明ができるのは、私たちだけです。今まで日本でこういう勉強をした人がいなかったのです。

 仏教の精髄は空観です。欧米社会の精髄は聖書です。聖書がなかったら白人文明は全然成立していなかったのです。

 キリスト教ではない聖書と、仏教ではない般若心経とを一つにして勉強しなければいけないのです。

 般若心経は仏教ではありません。一切空と言っているのです。仏教が空だと言っているのです。四諦八正道とか十二因縁をどんどん否定しているのです。だから般若心経は宗教ではないと言えるのです。

 宗教ではない空の思想と、キリスト教ではない本当の聖書、神の言葉である聖書とが一つになれば、初めて自分の中に神があること、自分自身の中に死なない命がはっきりあることがお分かり頂けるのです。

 日本で聖書がまともに取り上げられていないということが、とても残念です。日本では私たちがお話しする以外の方法で、本当の命を掴まえる方法はありません。

 宗教はどんなものでもすべて商売です。はっきり商売だと言えるのです。仏典は人間の心理構造のことばかり述べているのです。

 聖書は世界の歴史の流れを述べているのです。世界の歴史の流れと、地球がなぜ存在するかということを述べているのです。

 地球には昼と夜があるのです。「神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた」とあるのです(創世記1・5)。昼と夜があるのは宇宙の中で地球だけです。地球だけに昼と夜があるのです。こういうことでさえも学問では説明できないのです。

 命の説明ができる学問が本当の学です。イエスの復活を学の対象とすることによって、初めて人間は本当の学を学ぶことができるのです。

 私は皆様に対して、霊魂のボランティアをしているのです。命に関するボランティアをしているのです。

 現在日本人は聖書を敬遠しているような形に見えますが、聖書に親しみを持っていないという点から言えば、徳川幕府の間違いでしたが、日本民族をキリスト教の害毒から守ってくれたという点から言いますと、徳川幕府のやり方には功績があったのです。

 もし織田信長、豊臣秀吉の時代から日本にキリスト教が入り込んできたとしたら、日本は相当なキリスト教国になっていたでしょう。小西行長、高山右近、大友義鎮、大村純忠、有馬晴信、黒田孝高、蒲生氏郷、筒井定次、畠山高政、六角義賢といったそうそうたる大名がキリスト教に入信したのですから、日本は相当なキリスト教国になっていたでしょう。

 そうしたら、私たちのような人間は日本から現われることができなかったでしょう。

 もし私がアメリカでキリスト教が間違っていると言ったら、間違いなく殺されるでしょう。日本だから堂々と言えるのです。しかも日本には大きい理由があるのです。それは天皇制があるという問題です。これは全くすばらしいものです。日本の天皇制は世界の政治からは説明ができない制度です。これは非常に大きい問題であって、神が地球を造った事がらと大関係があるのです。

 日本に天皇制があることと、キリスト教を尊敬していないことの二つが、日本人の良い所なのです。キリスト教のように聖書を尊敬しないからいいのです。だから本当の聖書の見方ができるのです。

 もし日本人が聖書を尊敬していたら、キリスト教は間違っていると日本で言ったら殺されるでしょう。

 徳川幕府のやり方は功もあり、罪もあったとなるのです。宗教は端的に言いますと営業になるのです。しかし宗教は真理への入口にはなるのです。もし浄土真宗が真理への入口として謙遜な態度で阿弥陀如来を説くのなら大賛成です。

 実は阿弥陀如来というのは、人間の魂の本当の姿を説いているのです。これは魂の構造に対する説明であって、世界歴史に結びついていません。大自然の力に結びついていません。阿弥陀如来と太陽がどういう関係にあるのか。阿弥陀如来とユダヤ人とがどういう関係にあるのかということが、全然説明ができないのです。

 この説明ができないと、地球の上に生きている人間を本当に救うことができないのです。そこで阿弥陀如来の信仰は入口になるのです。そこに入って向こうへ出てしまうのです。堂に入って堂を出るという言葉がありますが、宗教に入って宗教を出てしまうのです。そうすると本当のことが分かるのです。

 宗教は命への入口にはなりますけれど、命を教えてはくれません。般若心経は空を教えてくれますが、空は命ではありません。空は悟りです。悟りの目標です。

 空を捉えることによって、命を捉える資格ができるのです。今までの自分の常識を空じることができない人は、神の真理を自分のものにすることができません。

 人間の信仰をいくらやってもだめです。神の信仰を持たなければいけないのです。神と人間が一つになるのです。こういう言い方をすると難しいように聞こえますけれど、現在皆様の心臓が動いていることが神です。

 神は皆様に非常に近いのです。皆様の体の中に神がいるのですから、自分の中にある神を掴まえるのです。生理機能の働きが神です。医学はこれを説明することができないのです。医学では神を掴まえることができないのです。

 今の医学は不完全なものですが、医学の真髄は神です。宗教の真髄も神です。政治、経済の真髄も神です。法律の根本も神です。神はすべての学問の根源です。こういう考え方が全体学です。

 こういう考え方をしたら、学問も宗教も常識も一つになってしまうのです。皆様は目の黒いうちに、鼻から息を出し入れしている間に命の根源を早く捉えて頂きたいのです。

 人間は今晩死ぬかもしれないのです。早く命の真髄を掴まえて頂きたいのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


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