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行き詰まった文明を打開する唯一の方法

旧約聖書の創世記第三章に、アダムが善悪の木の果を食べたという記述がありますが、これがどういう意味なのかキリスト教ではまったく分かりません。  なぜ分からないかと言いますと、キリスト教は、仏法の哲学をマスターしていないからです。また、聖書の本体をとらえなければ、仏法が分からないのです。  いきなり、唐突なことを申し上げて、何のことかお分かりいただけないかもしれません。  これには相当広範囲な論理展開をしなければなりませんが、結論的なことを申し上げますと、西欧文明の基本である聖書と、東洋文明の基本である仏法と、この二つを一つにまとめなければ、本当の命は分からないのです。牧師や神父さんは、キリスト教の教学は知っていますが、仏法の哲学は分かりません。だから本当の命が分からないのです。  イエスの言動、気持ちを、注意深く、奥底を見ていけば分かることですが、彼は釈尊を知っていたのです。また、釈尊もキリストを知っていたのです。彼は、後にイエスが生まれることを、直感的にとらえていたのです。これが釈尊が見た「明けの明星」に現れているのです。  釈尊はイエスが生まれることを、予見していたのです。イエスが生まれることが、キリストの誕生であることをユダヤ人が認識したその根底は、どこにあったかということです。  新約聖書マタイによる福音書第二章のはじめに、つぎのような記述があります。「イエスがへロデ王の代に、ユダヤのべツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東からきた三人の博士たちがエルサレムに着いて言った、『ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東のほうでその星を見たので、その方を拝みにきました』」(2・1,2)。  東方の博士たちはユダヤの民ではありません。はるか遠くインドからやってきた異邦人です。イエスが誕生する二年程前にインドを出発したのです。インドの三人の博士たちは、どうしてイエスの誕生を予見したのでしょうか。異邦人が何のためにキリストを拝みにきたのでしょうか。この説明ができる牧師さんも、神父さんも、未だかつて地球に生まれたことがないのです。  教皇でも、神学を教える大学の教授でも、マタイによる福音書第二章の説明ができる人は、一人もいないのです。この説明ができなければ、「明けの明星」は分からないのです。  イエス自身がヨハネの黙示録で、「わたしは輝く明けの明星である」(22・16)と、はっきり言っています。釈尊は輝く明けの明星を見たのです。つまり、復活のキリストを見たのです。  釈尊は明けの明星を見て、一切空と看破しました。仏法の根本は、明けの明星です。新約聖書の中心も、明けの明星です。仏法も、新約聖書も、明けの明星、つまりキリストの復活を中心にして展開している。ですから仏法と新約聖書は、根本的に一つのものなのです。これに気づいている学者、宗教家は、世界中に一人もいないのです。  現在、東洋と西洋はまったく異質なもので、ばらばらに展開し、それが様々なトラブルを生じさせている。政治、宗教、人種の違いが、世界中を混乱に陥れている。明けの明星の本当の意味が分かれば、東西文化は完全に融合し、世界に真の平和が訪れるでしょうそれ以外に、行き詰まった文明を打開する方法は、まったくないのです。  空とはいったい何であるか。釈尊はなぜ一切空と言い切ったのか。これを知るためには、明けの明星である復活のキリストをどうしても知らなければならない。現在の仏教が完全に堕落したのは、復活のキリストをまともに勉強しようとしないからです。仏法と淵源を共にする新約聖書を勉強しないからです。  ヘロデ王は、東方の博士たちから言われなければ、キリストの誕生についてまったく気がつかなかったでしょう。キリストの誕生に気がつかなければ、新約聖書も誕生しなかったのです。つまり東方の博士たちが、新約聖書への道案内になっているのです。  従って、新約聖書を正しく学ぶためには、まず東方の博士たちの気持ちを理解しなければならない。東方の博士たちの気持ちとは、一切空ということです。  現在のキリスト教が根本的に間違った原因は、自分が救われたいと思っているからです。自分が幸福になりたい。自分が学びたい。自分が理解して、自分が天国へ行きたいと考えているのです。この「自分」が悪魔の気持ちなのです。この点が、イエスとユダヤ人が激突した最大原因なのです。  ユダヤ人は、「わたしたちは、不品行の結果うまれた者ではない。わたしたちにはひとりの父がある。それは神である」(ヨハネ伝8・41)と主張したのです。  それに対してイエスは、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちに真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。しかし、わたしが真理を語っているので、あなたがたはわたしを信じようとしない」(同8・44,45)と言っている。  イエスから見れば、ユダヤ人の考えが、まさに悪魔の考えだったのです。神以外に自分を考えることが、外道の考えになるのです。  そこで、新約聖書にある永遠の生命、神の国を得るためには、まず間違った自分の考え方、即ち悪魔の考えを捨てなければならない。これが、釈尊の言った一切空を悟ることです。色即是空、五蘊皆空、究竟涅槃を体得することによって、明けの明星である復活のキリストを学ぶことができるのです。だから、般若心経と聖書の両方を学ぶことは、真実を学ぶための唯一の方法になるのであって、それ以外には命を知る方法はまったくないのです。  私が述べていることは、日本人を救うことが目的ではない。ユダヤ人に覚醒を与え、完全に行き詰まっている文明を徹底的に打開して、この歴史の真ん中へ、死を破ったキリストをお迎えしたいのです。そうすると、文明がまったく新しくなってしまうのです。本当の文明は、死を破ったキリスト自身が、復活の命をそのまま持って、地球上に現われる時に実現します。これはイエス・キリストの再臨というテーマであって、歴史的な大問題です。これが早く実現することを、私は切に願っているのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


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