top of page

FOLLOW ME:

  • Facebook Clean Grey
  • Twitter Clean Grey
  • Instagram Clean Grey

RECENT POSTS: 

ユダヤ民族を中心にして歴史は展開している

世界にはユダヤ民族がいます。世界全体の政治、経済、軍備、科学、芸術の中心ポイントを牛耳っているのが、ほとんどユダヤ人です。この不思議な民族が、神の約束の民なのです。  ところが、困ったことに、非常に優れたすばらしい人物、とびきり上等の人々と言えばユダヤ人ですが、そうでない場合もあるのです。「石川五右衛門と聖徳太子を合わせた」ようなものです。  日本人とかアメリカ人は、悪いといっても高が知れています。世界中をひっかき回すのは、ユダヤ人に決まっているのです。  イエスもユダヤ人です。イエスが死を破ったのです。日曜日は、イエスが死を破った記念日なのです。2007年は、キリスト紀元であって、イエスが生まれたことが世界歴史の基準になっているのです。この人が、初めて死を破ったのです。歴史的事実として死を破ったのは、本当に、イエスが初めてなのです。  イエスがどういう生き方をしたのか、命をどのように見ていたかということです。  例えば、太陽があります。太陽には、効力と、効率と、効果があります。太陽の効き目は三つに分かれているのです。太陽の効き目とは何かというと、これが命なのです。命を証明しているのです。  私たちは生きているという形で、太陽の効力と効率と効果を、毎日経験しているのです。果物を食べれば、そこに、太陽の効力と効率と効果が、示されているのです。人間が生きていることは、太陽の効き目を毎日経験しているのです。これを生かされているというのです。  太陽の命は、死なない命です。宇宙の死なない命を、私達は毎日経験しているのです。  例えば、冬の寒い日に、日溜りで日向ぼっこをしていると、太陽の効力、効率、効果、つまり、生きていることの心地よさ、命のうれしさがしみこんでくるのです。これをつかまえたらいいのです。これをつかまえますと、今までの人生の矛盾が、消えてしまうのです。宇宙の命と自分の命が、一つになってしまうからです。  人の命は、宇宙の命を実感するため、経験するためにあるのです。自分が消えて、太陽の命の中へ入ってしまうのです。そうすると、太陽が生きているのと同じ命で、生きられることになります。これが、永遠の命のつかまえ方なのです。これを「示し申し」ているのが、太陽なのです。太陽という見本を出して、本当の命はここにあるということを、示し申しているのです。これが本当の神です。  人間は自由であってもなくても、死んでいくのです。ユダヤ人が自由主義、民主主義という政治的なアイデアを全世界にばらまく、学理、学説、思想をイデオロギーとしてばらまくと、人間は盲目的に信じこむのです。近代文明の世界観は、どうでもいいものを有難いもののように、言いふらしているのです。  そういうものがなければならないように、考えさせられているのです。唯物史観も、自由主義、民主主義も、人間の魂には何の関係もありません。ユダヤ人はそういうもので、現象生活に規範をもうけているのです。全世界の人間は、それにひっかかっているのです。  ユダヤ人はそういう悪いことばかりをしているかというと、そうではないのです。旧約聖書というすばらしい原典を地球上に残してくれたのです。もしユダヤ民族がいなかったら、神の実体が何なのか、地球がなぜ存在するのか、人間の本性は何であるかが、全く分からないのです。  旧新約聖書を棚上げしてしまいますと、仏教とかイスラム教、中国の思想、日本の思想を、どれだけ勉強しても、命の本質は絶対に分かりません。地球がなぜ存在するかということは、皆目分からないのです。  神の地球計画は、たった一箇所聖書に掲示されているだけです。これをユダヤ人は押さえているのです。  ユダヤ人は、モーセの十戒を今でも実行しています。モーセの十戒を実行しますと、精神衛生的な意味での家庭生活の仕方が、普通の人間の仕方とは違ってきます。経済的、家庭的、心理的に、別の人間になるのです。それによって、ユダヤ人という優秀な民族ができたのです。ユダヤ四千年の歴史によって、他の民族とは、全然違った、優秀な民族をつくつてしまったのです。  現在の世界では、流動しているものが止っているように見えるのです。皆様の肉体は、流動しているのです。例えば、鼻から息を出し入れし、血液が循環しています。これが人間の肉体の流動です。呼吸機能は、肺と心臓によって成り立ち、その働きが、人間となっています。その他に、消化機能とか排泄機能もあります。こういう働きがなぜあるかということです。これらがいわゆるエネルギーの現象なのです。これが「真」です。  「真」は地球ができる前にあったものです。現象世界が発生した時に、真が消えてしまって、空になったのです。空の実質が色として現れているのです。これが般若心経でいう空即是色です。  森羅万象は、銀河系宇宙には必要ないのです。宇宙はだいたいがガス体の集合でありまして、消えたり現われたりをくりかえしています。これが惑星の常態です。恒星もまた、同様です。やがて太陽も消えてしまうでしょう。これが宇宙現象であって、宇宙には桜の花が咲くとか、果物ができるとか、家畜がいるという必要がないのです。ましてや、人間がいて、政治とか経済とかいう理屈を並べるのは、宇宙には何の関係もないことです。  では、なぜ地球という物質現象があるのか。地球と地球の周辺の惑星にだけ、物質現象があるのです。その他には物質現象はありません。それをあるように言いふらしている人がいますが、これがユダヤ人のテクニックなのです。聖書の原理をごまかそうとしているのです。最終的に、イエス・キリストの復活を、否定しようとしているのです。  現在の地球は未完成です。砂漠がある、地震がある、疫病がある地球は、未完成なのです。  隠れていたもの、現象世界が存在する前にはあった。現象世界が現れると同時に、真理が現象体になって現れたのです。「空」が「色」として現れたので、空が見えなくなった。隠れたのです。  色が現れるまでは、見えない形で空は存在していた。その空が色に化けたことによって、空がなくなったのです。色というもの、森羅万象は何かといいますと、空が化けているのです。人間は存在していない。人間であることが、人間があるとして出ているのです。私たちには生まれる前に、人間として生まれなければならない必然性があったのです。生まれる前の自分がなければ、今の自分があるはずがないのです。原因がなければ、結果はないのです。空がなければ色はあるはずがないのです。  そうしますと、私たちが見ている現象は一体何かということです。家がある。道路がある。山がある。川がある。これは空が色になって現れているのです。  空というのは一つの手です。色というのも又一つの手です。これが合わさったのが、現象世界です。色だけがあるのではない。真なるものが、如として来ているのです。私たちが見ている現象世界は仏典的にいえば、如来を見ているのです。現象が如来なのです。これを華厳経では、遍照金剛とか、大日如来とかいいます。だから、現象だけを見て、空があるに違いないことが悟れたら、片手の声を聞いたと同じことになるのです。  空がなければ色はない。私たちが見ている現象世界は、大日如来が拍手をしているような世界で、これが森羅万象として現れている。色の世界を見ることが、そのまま空の世界を見ていることになる。片手を見ただけで、両手の声を聞いているのと同じになる。これが仏の悟りです。観世音の悟りはこれだ、観自在菩薩の悟りはこれで、般若波羅密多の境地であるというのです。これが仏教でいう片手の声、隻手音声です。  色即是空、色即是色は、観念論としてはありますが、本当に色を見て空を悟っている坊さんは、日本にはいません。本当に悟っていたら、仏教界にはいられなくなります。仏教という商売が成り立つということは、空が本当に分かっていないからです。  現象世界を見て、本当の空が達観できたなら、片手の声を聞いたことになる。これは仏教概念としての片手の音声です。  聖書で言う片手の声になると、このスケールが格段に大きくなります。聖書の方になりますと、森羅万象があるということは、世代があることなのです。見えないはずのものが、見える世代として現れているのです。  宇宙には、森羅万象はいりません。それなのに、犬がいる、猫がいる。牛も馬もいる。これは一体何かということです。犬や猫が現れなければならない必然性があるのです。  鳥にもたくさんの種類がいます。昆虫は七十五万種類もいるのです。動物だけでも、百五十万種類もいるのです。どうしてこんな多くの生物がいるかということですが、これが人間の魂に関係があるのです。  人間の魂にも、多くの種類があり、神がそれを、生物として現しているのです。人間の根性を、色々な生物で現している。ですから一番上等の根性になればいいのです。  色々な根性を持った人間が、黄泉(よみ)で眠っていますが、これが全部よみがえる時が来るのです。これが霊魂の裁きです。これと森羅万象とは大いに関係があるのです。  自分の目が黒いうちに、自身の霊魂を完成しておけば、鳥獣の上に立つことができるのです。一度この世に生れた霊魂は、もう一度出てこなければならないのです。これが本当の意味での輪廻転生です。  この世で人間が生まれ変わるのとは違います。現在の地球が過ぎ去った後に、新しく完成された世界で、よみがえるのです。その時に、自分がどういう位置におかれるかは、現世での修養の状態で決まるのです。  地球も人間も新しくなります。今見ている地球も人間も、全部仮の存在です。本当の人間も、本当の地球も、まだ現れていません。それは聖書に記されているのです。聖書を勉強しなければ、神の国は分らないのです。  私たちが見ている地球は、実は神の経綸が現れているのです。そういう意味で片手が鳴っているのです。  森羅万象の存在を、各々見ているわけですが、森羅万象とは一体何でしょうか。何を見ているのでしょうか。実は、森羅万象は、神が化けているのです。神が現れているのです。神が、千差万別の形で、自分を現しているのです。神の自己顕現が、森羅万象なのです。これが仏典で言う如来なのです。  私たちは桜の花を見ます。鳥や動物を見ます。それは神を見ていることなのです。人は神と共に生きています。人が生きていることの実体が神です。新約聖書はこれをインマヌエルと言っています(新約聖書マタイによる福音書1・23)。人間もない。草木もない。猫も犬もない。神の経綸を見ているのです。仏典的に言えば、大日如来のすばらしい業を見ているのです。しかし大日如来は実在していません。聖書にあるエホバという神は、「有る」のであって、具体的に実在しているのです。  大日如来は存在していませんが、「有る」(is)という神は、実在しているのです。この神をつかまえて頂きたいのです。これが、聖書から見た隻手音声なのです。  現在、神の経綸が、約束として今の地球に現れています。旧約聖書、新約聖書は、これを書いているのです。古い約束と、新しい約束とがあるのです。この約束の中心民族が、ユダヤ人です。神がアブラハムに約束を与えたというのは、この民族を中心にして、全世界の歴史を経綸しているという意味です。  今のユダヤ人は、廃嫡(はいちゃく)されていますが、なお現在も確固たる実力を持っています。神はユダヤ人を廃嫡しました。廃嫡されたユダヤ人が、なお政治的、経済的に、世界を牛耳っているのです。そこで、この民が本当に神を信じる時代が来ると、地球はどれほどすばらしいものになるでしょうか。  私たち日本人は、ユダヤ人が廃嫡されているおかげで、聖書の奥義を知ることを、許されているのです。ユダヤ人が廃嫡されているから、御鉢が回ってきているのです。  やがてユダヤ人が目を覚ます時が来るでしょう。ユダヤ人が目を覚まして、本当のキリスト計画が分かる時に、世界はどのようになるのでしょうか。とても想像できない状態になるのです。  これは、私たちが信じても信じなくても、事実です。ユダヤ人が目を覚まして、今までしてきたことが悪かったと悟り、反省する時が、必ずきます。そうすると世界の歴史が根底から新しくなります。それを私たちは心から願っているのです。ユダヤ人に、本来の歴史観に立ちかえって欲しい。これは神の願いです。だから、必ず実現します。  私たちがこれに協力すれば、大した功績になるでしょう。やがて私たちは神の一族として、肉体そのものが変ってしまうかもしれない。私たちの肉体は、キリストの復活の栄光体に変化する可能性があるのです。キリストの復活がはっきり分かれば、私たちの肉体が変るのです。その時、私たちは、思想的にも肉体的にも、完全に死なないものになるでしょう。そこまで行けるのです。行ける可能性が十分にあるのです。  これが本当の人間完成です。イエスがその見本を示しているのです。イエス・キリストの復活は、私たちが完成される姿を、一足先に実現して見せたのです。これ以外に、人間完成はないのです。  そのためには、今まで私たちが生きてきたことが、空であることを悟ることです。般若波羅密多を悟って頂きますと、初めて、イエスの復活が分かるのです。自分の考えが間違っていたことがはっきり分かるまでは、イエスの復活の実体をつかまえることはできません。般若波羅密多が土台になる。そうしてイエスの復活の実体をつかまえることができるのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


bottom of page