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ヨベルの年

ヨベルの年は五十年に一回来るのですが、この年に金銭の貸借がゼロになるのです。借金があっても、返さなくてもいいし、貸したお金も返してもらえないのです。旧約聖書レビ記の第二十五章に書かれています(8―55)が、これはユダヤ人の間だけのことです。ユダヤ社会でお金の動きが止まることが、経済不況の原因になるかもしれません。  実は、このやりかたを、神が人間にしているのです。人間はこの世に生まれた業(ごう)を背負っているのですが、イエス・キリストの十字架によって、その業はもうなくなっているのです。これがキリスト教ではない聖書の本当の値打ちなのです。人間が負わされた業が全部消えているのです。この世に生まれた業というのは、多額の借金みたいなものです。百万や二百万の借金なら、頑張って返済できますが、百億円や二百億円になりますと、普通のサラリーマンなら、まず返済不可能です。この世に生まれた人間が背負っている業は、莫大な借金です。その人自身では、絶対に返済不可能です。そこでこの借金を、神が肩代わりしてくれたのです。  これは大変なことです。たとえば泥棒でも、放火でも、この世では一応罪のつぐないをしなければなりませんが、神の前では罪はなくなっているのです。神と人との関係が、ヨベルになっているからです。  イエス・キリストが十字架にかかったということは、地球全体がヨベルになったことを意味するのです。地球全体の重荷、苦しみ、悲しみ、悩みが全部消えてしまったということなのです。  本当に素直な感覚で、般若心経でいう五蘊皆空ということさえ分かれば、自分自身が成仏しなければならないこともなくなるのです。現在、すでに地球が仏国浄土になっていることが分かるのです。  イエス・キリストの救いというのは、地球全体のヨベルみたいなものです。キリスト教ではここまで言いませんが、実は、人はもう死ぬ必要がなくなっているのです。イエスが死を破って復活したということは、すでに世界中の人々に新しい命が与えられていることであって、これに気がつきさえすればいいのです。  これを受け取るためには、今まで生きていた自分の妄念を捨ててしまわなければならないのです。ところが、これがなかなか大変なのです。今まで商売をしてきたとか、勉強をしてきたとか、家族を養ってきた、家を買ったとか、いろいろなことがプライドになっています。誇りがあるのです。これを全部捨ててしまわなければならないのです。  人間の誇りを持っている間は、その人は神から離れた自分の命を握りこんでいることになるのです。神から離れた命を持っているだけで、死んでしばらくしたらその人は地獄行きになるのです。  イエスが復活したことによって、人間は死ななくてもよいということが歴史的に証明されたのです。これがキリスト紀元の始まりです。キリスト紀元が始まってから、すでに2007年にもなっているのです。ところが、これが分かっている人がいない。人間は何と愚かかといいたいのです。  日本社会はキリスト紀元をまともに説明しない社会です。キリスト教でさえもキリスト紀元を真正面から堂々と説明しないのです。日本人全体が、そういう間違った根性をもっているのです。  神が日本に天皇制という特別の制度を与えていますが、これがやがて世界の光になるのです。これは右翼思想とは違います。大東亜戦争の思想とも違います。八紘一宇という考え方は間違っています。そういうものとはまったく違った天皇制ということです。  日本の国民が本能的に聖書を敬遠しようとするのはキリシタンバテレンという考えがあるからですが、キリスト教から日本を守るという意味では非常によかったのです。しかし聖書を非常に嫌うという点では悪かったのです。  日本には、非常に悪い点と非常に良い点と両方あるのです。どちらが良いとか悪いとかということではなくて、まず白紙になって、勉強することです。  一番悪いことは、自分が生きていると思うことです。自分が生きていると思うことは、キリスト紀元の時代において、神に真っ向っこうから対立することなのです。  キリスト紀元の時代には、個々の命はもうなくなっているのです。キリストの命、神の命がそのまま人の命になって与えられているのです。キリストは復活しました。復活したキリストが現在生きているのです。復活したということは、死ななくなったということなのです。つまりはキリストが生きているということなのです。  やがて、復活のキリストが歴史の真ん中へ降りてきます。歴史の真ん中へ割り込んできます。その時初めて、平和というものはどういうものかが分かるのです。本当の神とはどういうものか。本当の命というものはどういうものかが分かるのです。キリストが、キリスト自身の復活を、そのまま文明の中へ押し込んでくるのです。これが世界平和の実現なのです。ユダヤ人たちがこの事実に目ざめますと、復活したキリストが歴史の真ん中へ割り込んでくるのです。 ヨベルの年というのは大きく考えればこのような意味になるのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


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