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「地球に神の国が実現している」


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 異邦人は神を恐れ畏むことができない民族です。

 キリスト教は神をばかにしています。神の言葉を信じるためにどういうマナーが必要か知らないのです。マナーの次元が低いからいけないのです。この世に生きている人間が、神を信じることができると思っているからです。

 キリスト教はこの世に生きている人間を第一に考えています。そんなものは信仰とは違います。キリストが現世にいる時に大いなる叫びと涙とを持って、魂を救う者に祈ったとパウロは言っていますが、そういう気持ちにならなければいけないのです。自分のためと考える必要はない。そう考えるから間違ってしまうのです。

 イエスは次のように言っています。

 「だから何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思い煩うな。これらのものは皆、異邦人が切に求めているものである。あなた方の天の父は、これらのものがことごとくあなた方に必要であることをご存知である。まず神の国と神の義を求めなさい。そうすればこれらのものは、すべて与えられるであろう。だから明日のことを思い煩うな。明日のことは明日自身が思い煩うであろう。一日の苦労はその日だけで十分である」(マタイによる福音書6・31~34)。

 現代人の生活が楽になっているために、生きていることの意味が痛切に感じられなくなっているのです。イエスは生活難があるような生活をしながら、それを問題にしないようにしなさいと言っているのです。

 皆様は本気になって、自分から真理を求めたことがないでしょう。人に教えられているのです。そういう条件でいますから、自分で神にむしゃぶりつくようなファイトがないのです。

 生活の安定度が高いと、何回聖書を読んでもピンとこないのです。自分自身の生活のために闘わなければならないという厳しい条件を、ほとんど経験していないからです。

 特に現代の日本社会の経済状態が良いので、霊的に腐っているのです。失業保険制度、社会保険制度、社会厚生制度、年金制度等があるために、本当の実感が日本人にはないのです。こういう社会的な悪条件と皆様の霊的条件の差があるのです。

 皆様は日用の糧を今日もお与えくださいと、本気に祈ったことがないでしょう。こういう人に神の国と神の義を求めさせるということは、無理なことかもしれませんが、しなければならないのです。

 人間は現在の状態ではっきり救われているのですが、これが分からない。神がそのように見ているのに、自分が生きていると思っているから分からないのです。自分の気持ちを信じているから分からないのです。

 皆様は有り難すぎるほどの条件を与えられているのですが、それが分からない。これは生活が保証されているという意味ではありません。霊的な意味で皆様は完全に救われているのです。これが分かれば現在の生活について思う煩う必要はないのです。

 現世が全く幻だということが分からないのです。むしろ、三十一節にあるような思い煩いがあると現世が幻だということが、比較的分かりやすいのです。これがないから、皆様の考えはいつでも空回りしているのです。

 聖書に神の国ということが書いてありますが、それが空回りしているのです。理論的に分かってもマナー(生活態度、生活実感)として分からないのです。頭で理解できても信仰ではありません。信仰とはマナーの問題です。これが分からないのです。

 いつまでも人間的な次元で考えていることが悪いのです。神の子の次元になっていないからいけないのです。人間のマナーで聖書を勉強していますが、そんなものは信仰ではないのです。

 聖書は神が聖なるように、人もリビングのマナーにおいて聖であれと言っています。これができないのです。三十三節でイエスは、神の国と神の義を求めよと言っています。この口語訳が間違っています。英訳を直訳しますと、汝ら、第一に彼の王国を探し求めよとなるのです。口語訳には汝らという言葉は入っていない。汝らとは一般的な、平凡なユダヤ人に向かって言っています。これらの人々には当然、神の国と神の義が分かるからです。

 キリスト教は困ったものです。キリスト教がなかったら聖書は伝承されませんでした。ところがキリスト教があったために、人間の言い伝え、人間の信仰ばかりが伝承されたのです。神の信仰が全く伝えられなかったのです。

 聖書の字句は神の信仰の表現であって、人間の信仰の表現ではありません。これをよく承知しなければいけないのです。聖書の言葉の重みが分かっていないのです。

 神は次のように言っています。

 「私はあなたのわざを知っている。見よ、私はあなたの前に、誰も閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、私の言葉を守り、私の名を否まなかったからである」(ヨハネの黙示録3・8)。

 神の言葉を守るというのは、自分自身の心に保つことを言うのです。これがなかなかできないのです。皆様は自分の心で神の言葉をキープしているのでしょうか。それが生活のマナーになっているのでしょうか。神の言葉をキープしていれば、生活のマナーが神の子のマナーになるのです。この世に生きていないマナーになるのです。

 ところが神の言葉をキープしていないから、聖書の言葉が心に貼りついていない。神の言葉をキープしていたら、聖書の言葉がいつでも生きていることの中心に貼りついているはずです。これがマナーです。神の言葉がキープされている状態です。

 後ろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばすような姿勢がないからいけないのです。昔の人は今のような生活条件ではなかった。だから闘ったのです。生活と闘う、自分の肉と闘わなければならなかったのです。まなじりの決し方が違っていた。顔つきが違ったのです。

 やがて日本は高齢化を迎え、二人で一人を養わなければならない時が来るでしょう。世界中の国々も福祉社会へ進むでしょう。これが偽キリスト王国の実現になるのです。

 米、ロシア、中国、ヨーロッパの国々が話し合って核軍縮を実現するか、非核条約を締結する方向に進むでしょう。そうなると世界の国々は国境をなくすことを考えなければならないのです。国境がある間はどうしても軍備を考えなければならないからです。

 とにかく軍備についても、経済についても、政治の基本的なテーマについても一国平和主義が通用しなくなっているのです。これが現在の日本の安定を造り出す原因になっているのです。

 人間がだんだんとお互いに保障しあうようになって、神を必要としない社会が実現するのです。人間の力で神の国を実現しようとするのが、キリスト教の意識です。世界に平和を、平和を世界に、これがキリスト教の考えている神の国です。

 キリスト教はどこまでも人間と世界をたぶらかそうとしているのです。キリスト教のアイデアは、人間と世界を徹底的に腐らせるアイデアです。それほどキリスト教は悪いのです。

 現在の文明の中でキリスト教ほど悪いものはありません。軍縮とか、民主主義とか近代政治運動の基礎に流れている精神は、全部キリスト教から出ているのです。

 マルクス主義は政治経済運動だけでしたが、キリスト教は啓蒙主義を通して人間改革を考えている。これをユダヤ人が上手に操っているのです。そういう状況をユダヤ人が造ってきたのです。

 やがてユダヤ人とキリスト教は一つになるでしょう。労働組合の大同団結と宗教の団結です。政治も団結するでしょう。その結果、国がなくなるのです。これが偽キリスト王国です。

 そういう方向へだんだん腐っていくでしょう。それを皆様は身において経験しているのです。堕落するはずです。生活に対する根本的な脅威を考えなくなったからです。もっと自由に、もっと自由にが実現するからです。

 経済的にも、セックス的にも、もっと自由にと考えるのです。これが偽キリスト王国のテーマであって、これに対して全世界の人間は拍手喝采するのです。

 偽キリスト王国が現われると、世界中が喚声を上げて賛成するでしょう。バンザイ、バンザイと両手を挙げて喜ぶでしょう。人間がますます解放されるからです。その時、何を食べ、何を飲み、何を着ようと思い煩うなという聖書の言葉が、全く空文になるのです。

 何を食べ、何を飲み、何を着ようと思い煩う人には、真剣に聖書の勉強ができるのですが、今の人間にはそういう条件がないのです。何を食べ、何を飲み、何を着ようと思い煩わなくてもいいからです。

 異邦人はなぜ何を食べ、何を飲み、何を着ようと思い煩うのか。なぜ思い煩ずらわねばならないのか。

 イエスは皮肉な言い方をしたのではない。人間を生かすのは神の責任です。思い煩うことが神の仕事です。人間の仕事ではないとイエスが言っているのです。なくてはならないものを思い煩うのは神の責任です。それを人間は自分の責任のように思っている。これが間違っているのです。神の国と神の義を求める者は、生活の責任を持たなくてもいいのです。神の国と神の義を求めない者は、むしろ思い煩ったほうがいいと神は思っているのではないか。このようにさえ思えるのです。

 このイエスの言葉は十字架にかかるまでの言葉です。ここに注目して頂きたいのです。山上の垂訓は、十字架にかかるまでのイエスの言葉であって、実は神の国と神の義を求めよという言い方は、現在では通用しないのです。 

 現在では通用しないという見方をすることが、聖書的に正しいのですが、十字架以前にイエスが言っていた言葉でさえも、今の異邦人にはついて行けないのです。

 山上の垂訓は十字架以前の問題ですから、マナーとして間違っていませんが、言葉の表現としては古いことになるのです。イエスは旧約時代の人間をつかまえて発言しているのです。新約時代の人をつかまえたら、こんなことは言わないでしょう。

 人間が現在いる状態のままで救われているというのは、新約時代の言い方になるのです。現在は神の国が来てしまっているからです。神の国を求めよと言われなくても、神の国は来ているのです。今はそういう時代なのです。

 この結構さが今の人間に全然分かっていません。失業保険制度、社会保障制度を霊的に見れば、それが神の国になっているのです。現在の地球のすべてのあり方がそのまま神の国になっているのです。神の国にいる人間は、生きていることが救われていることになっているのです。だから商売で成功しようとか、得をしようとかを考える必要がないのです。喜び楽しみにあふれているはずです。何がなくても生きていることがあるだけで、常に喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝できるのです。

 現在生きている人は神の子ばかりです。

 人類は一体、キリスト紀元をどう考えているのでしょうか。これは神の国が来ているという明確な神の歴史的介入です。神が歴史に介入しているのです。これがキリスト紀元です。

 神自身が御子の十字架と復活を通して、神自身が歴史の中に入り込んできたのです。これがキリスト紀元であって、明々白々に神の国が来てしまっているのです。だから私たちは、何を食べ何を飲み何を着ようかと、思い煩う必要がないのです。全くないのです。

 ですからマタイによる福音書の六章三十一節から三十四節までのイエスの言葉は、十字架以後は必要がないとさえ言うことができるのです。神の国と神の義を求めよと言わなくても、もう来てしまっているのです。これがキリスト紀元です。

 神の国に生きることが当たり前です。これを特別のことと思う必要がないのです。思い煩わないのが当たり前、とこしえに生きるのが当たり前、死なないのが当たり前なのです。聖霊が降臨したことは、神の義が現われている証拠です。

 なぜ死ななければならないと思うのでしょうか。病気になったからといって死ななければならないと思う必要はないのです。病気になることと死ぬことは別問題です。神の国が来ているのですから、病気になっても悲観することはないのです。

 キリスト紀元はそういう時代であって、生ける神が歴史の中に介入しているのです。だから、病気や戦争はあるべき道理がないのです。それを病気があるのは当たり前、犯罪があるのが当たり前、戦争があってもしかたがないと考えている。私は世界中の人間に向かって、こういう考えが全く間違っていることを気違いのように、狂った人間のように言っているのです。

 世界中の人間はキリスト紀元を知らなさすぎるのです。キリスト王国が現われているのに、なぜ原子爆弾を造るのでしょうか。なぜ生活のことを考えなければならないのでしょうか。なぜ病気のこと、犯罪のことを考えなければならないのでしょうか。

 千年王国には病院はいりません。伝染病、疫病、ガン、エイズがなくなってしまうからです。米や麦は年に何回も取れるのです。従って食糧問題はすっかり消えてしまうのです。

 こういう時代に国際連合がなぜ必要なのでしょうか。もう神の国は現われているのです。神の国が現われて千九百年以上にもなるのに、まだ人間が死ななければならないと考えている。これはどういうことでしょうか。

 何よりも悪いのはキリスト教です。彼らは新約聖書を全然読んでいません。神の国と神の義をふうふう言って追いかけているのです。このイエスの言葉がもう古いのです。イエスは「私より後から来る者は私より大いなる業をするであろう」と言っています。

 私が言っていることは、気違いが発言しているのではありません。当たり前のことを言っているのです。山上の垂訓の神の国と神の義を求めよという発言は時代遅れですが、マタイによる福音書の五章、六章は来るべき千年王国時代の人間生活のあり方を書いているのです。右の頬を打つなら左を向けよとか、下着を取ろうとする者には上着をも与えなさいとか、訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさいと言っていますが、王国時代にはこれが実行されるのです。

 死ななければならない事実はもうなくなっているのです。第三の天においてキリストが神の右に座している。この人を信じていてなぜ死ななければならないのでしょうか。神の右に座している人の名前は、死を消してしまっているのです。

 肉体人間が死ななければならないのは、旧約時代の原理です。人が死んで裁きを受けることは、旧約時代の原理です。これをなくすためにキリストが一度死んだのです。裁きを受けたのです。それ以後、人間が死ぬことが消えたのです。新約時代を真正直に見れば、こういうことがはっきり分かるのです。新約時代を真っ直ぐに見ることを、神の言葉を守ると言うのです。

 フィラデルフィアの教会はこれをしなさいと神が言っているのです。神の言葉をキープするのです。もう死がない時代が来てしまっている。これは歴史的事実です。こういう立場で考えるのです。そうすると夫婦関係とか親子関係、対人関係が全部変わってしまうのです。

 山上の垂訓は肉体を持った人間を相手にしています。これは千年王国のあり方です。神の国が分かっている人は、新天新地の信仰で生きられるはずです。山上の垂訓は千年王国のレベルのことを説いていますが、これでもレベルが低いのです。新天新地に生きている気持ちを持つのです。肉がない状態で生きるのです。

 イスラエルの王国とは千年王国のことを言うのです。千年王国の指導者を指導するのは、新天新地の原理によるのです。

 キリスト教は肉体人間がいるというところから出発しました。これが根本的な間違いです。パウロは肉体的人間がいるという考えでパウロ書簡を書いています。パウロの意識が低かったのです。パウロは肉体人間についての注意を色々書いています。キリストの福音を世界に伝えるために、キリストの福音を異邦人に伝えるために、人間がいるという意識で書いたのですが、私たちは違うのです。イスラエルへ福音を伝えなければならないのです。

 今の異邦人の時代にキリスト王国を飛び越えて、新天新地の信仰を望んでいかなければ、千年王国の指導者を指導できないのです。

 すべての肉に私の御霊を注ぐと神は言っているのです。例えば、目の前に花があるとします。この花に御霊が注がれるとどうなるか。御霊とは大自然を動かしている神のエネルギーですが、新しい神のエネルギーが注がれるとどうなるかです。

 聖書の預言どおり、森羅万象一切に神の霊が注がれているはずです。そうすると花という物質存在は消えて、美しさだけになるのです。美しいという霊的事実だけになっているのです。

 御霊が注がれる前は形がなければならないと考えていますが、今はそうではない。形は美しいという点からだけ言いますと、美しさが花に現われているのです。花はないのです。そうしたら、私たちが今見ている花は何かということです。

 私たちが生きている世界は言葉に命があるのです。ことに新約時代の現象世界は、第三の天の栄光の現われです。目に見える物質があるというのは、第一の天の思想であって、旧約時代(イエスの誕生以前)には通用したのです。第二の天は天文学で考える天で、これも旧約時代にあったものです。第一の天は人間の感覚の世界です。見たり聞いたりしたとおりものがあるという考えです。唯物論の世界です。第一の天の原理を第二の天に押し上げたのが、唯物論です。これが唯物弁証法という理屈です。第一の天を第二の天のように言いふらした。これがマルクスの思想です。これは第三の天と全然関係がないのです。

 神の国が実現しているという角度から見るとどうなるか。すべての肉に私の霊を注ぐとあります。その結果、第一の天として存在するものが、すべて第三の天に係わりを持つようになったのです。神はすべてのものに霊を注いだのです。聖霊の降臨によって、人間の心にまで神の御霊が注がれた。それまで人間の心は悪魔の虜になって死んでしまったのですが、死んでしまったものまで神の御霊が注がれた。

 人間の心は死んでしまっていたが、動物、植物は死んでいないから罪の下にいるのではない。人間が罪を犯したから、動物植物はただの物になってしまったが、罪の下に売られたのは人間だけなのです。

 人間が罪の下に売られた結果、万物が無になってしまった。それをパウロは次のように述べているのです。

 「今のこの苦しみは、やがて私たちに現わされようとする栄光に比べると言うに足りない。被造物は、実に切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。なぜなら、被造物が虚無に服したのは自分に意志によるのではなく、服従させた方によるのであり、かつ、被造物自身にも、滅びの縄目から解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。実に、被造物全体が今に至るまで、共にうめき、共に産みの苦しみを続けていることを、私たちは知っている」(ローマ人への手紙8・18~22)。

 人間が罪を犯した結果、被造物が虚無に服したが、イエス・キリストの十字架によってすべてのものに神の御霊が注がれた。その結果死んだ人間の心が、皆生き返ったのです。

 神の側ではすべてのものが新しくなっているのに、それが歴史的事実になっていない。イスラエルがそれを受け入れないので、新しい世界が現実に展開していないのです。もしイスラエルがこの事実を受け入れれば、地球に全く新しい世界が現われて、千年間の驚くべき平和、絶対平和が訪れるのです。私はこの日が来ることを切に願っているのです。

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(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


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