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生きていることは神と対話していること


テレビのドラマを見ても、人間生活の実体を知ることができます。芝居を見ても、ラジオを聞いても、観光旅行をしても、生活以外のことで余暇を楽しむことは、霊魂に対してプラスになるのです。

仕事に熱中している時には、魂のことは全然分かりませんが、その中でも、電話をかけたり、手紙を書いたりしている時に、人間関係があるのです。

しようと思えば、朝から晩まで、魂の勉強はできるのです。魂とは人間が生きていることの本質で、五官、生理機能、心理機能の真髄を意味するのです。

歩いていても、電車やバスに乗っていても、車を運転していても、いつでも神と付き合えるのです。生きていることは、神と対話していることです。どんな生き方をしていても、生きていることは、神と対話していることです。人間歴史が始まってから、人間がしていることは、全部神と対話していることばかりなのです。

神と対話していながら、神が全然分かっていない。これが人間が精神的に死んでいる証拠です。神が分からないことが、死んでいることなのです。

なぜそうなるかと言いますと、人間が常識の中に沈没しているからです。人間の常識は死んだ人間が造ったものです。常識の中に沈没していると、地獄へ引っ張りこまれることになるのです。

人間は生きている間に、魂の責任を果たしていない。だから、死んでからその責任を問われるのは、当たり前です。

文明は人間が死ぬことを、奨励しているのです。現代文明は、特にそれが顕著です。西欧文明が入ってくるまでの日本は、現在のように利害得失ばかりに執着していなかった。西欧文明は白人が造ったものではなくて、白人の中にもぐりこんでいるユダヤ人が造ったのです。

ユダヤ人は現世に生きることに、非常な執着を持っているのです。それが目の前の利害得失を非常に重視しているのです。そういう悪い風潮が日本に流れ込んだ結果、日本の社会が堕落してしまったのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


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