top of page

死ぬに決まっている命と絶対に死なない命


          「死ぬに決まっている命と絶対に死なない命」

般若ハラミタ、彼岸へ行くことが、人間の基本的な目的です。これが目的で人生があるのですが、なぜそうなるのか。なぜ人間は彼岸へ渡らなければならないかということの根本的な説明になると、般若心経だけではできないのです。

般若心経は彼岸へ行けと盛んに言います。それでは現在の世の中は何なのか。何のためにあるのかを、般若心経は全然説明していません。ただ色即是空、空即是色と言っているだけなのです。

色即是空は何となく分かったような気がします。人間は生きていても死ななければならない。人生だけを考えてみても、色即是空ということはどうも本当らしいことは何とか分かるのです。

難しいのは空即是色です。空がなぜ色になっているのか。この説明が仏教ではできないのです。因縁によってそうなっていると言います。因縁の原理が何であるのか。これが分からないのです。

日本の仏教者は般若心経さえもまともに読んでいないのです。般若心経はだれでも知っていますが、意味を全然知らないのです。般若ハラミタがなぜ必要なのか。なぜ空が色になっているか。これが全く分からないのです。分からないのに分かったような顔をしているからいけないのです。

六十年、七十年の閏この世に生きてきて、何が分かったのでしょうか。何も分かっていないのです。ただ仕事をして、生活をしていただけなのです。

人間は仕事をするために生まれてきたのではありません。仕事をするのは、ついでにすることなのです。学校の先生をするのは本職ではありません。内職です。

人生の目的はこの世で生活をしたり、仕事をするためではありません。三世を知るためなのです。生まれる前の自分、現在生きている自分、死んでからの自分の三つが、ホールボディー(whole body)です。過去、現在、未来の自分です。これを知ることが人生の目的です。

人間が地球上に文明的な生活をはじめてから、約六千年と言われていますが、その間にホールボディーが分かった人は、ほんのわずかでしょう。これほど少ないのです。

人間は精神構造によって生きています。精神構造と物理構造はどうなっているのか。こういう管理的なことが全く分かっていないのです。

世間並の人間は、ただ生活すればいいと思っています。ただ何も知らないままで一生を過ごすのです。そして死んでいけば、精神構造が全く分からないままで、この世を去っていくことになるのです。

ところが、精神というのはとんでもないものです。すばらしく上等のものです。次の宇宙を担っていくのが精神構造です。そのために人間は生きているのです。人生はホールボディーの一部です。皆様の精神は、過去、現在、未来を全部見通す能力を持っているのです。その能力を持っていながら、世間がしているからと言って、世間並の人生を送っている。これが間違っているのです。

何のために生きているかを分からずに生きているのは、死ぬために生きていることになるのです。このばかさかげんをよくよく承知する必要があるのです。

これは非常に虚無的な思想になるのです。現在地球上に六十四億の人間が住んでいることが、虚無的なのです。般若心経はその絶対原則を示しているのです。

現在の教育が、根本的に間違っています。人間はこの世の中で仕事をするために生まれてきたのではありません。義務教育はいわゆる実学を教えていて、社会に出て必要なことを教えていますからまだいいのですが、これと平行的に考えなければならないことは、人生について目を開くような教育をすることです。

実務教育と精神教育とが平行的になされればいいのですが、現代の学校教育はそうなっていません。この世に生きることばかりを教えているのです。これでは魂の盲を造っていくだけです。訳の分からない人間ばかりを造っていくのです。

訳の分からない大人が、訳の分からない教育をして、訳の分からない人間を造っていく。もし学校の先生が、今からでも実務教育、魂の教育の両方を教えていけば、社会は良くなるでしょう。

文部科学省の教育方針が間違っているのです。社会に役立つ人間ばかりを造っているのです。文部省に言わせれば、世界全体に同調していると言うでしょう。しかし、世界全体が間違っているのです。近世文明、ルネッサンスが間違っているのです。人間が人間の都合のよい文明社会を造りはじめた。その結果、人間は皆死んでいくことになったのです。

イエス・キリストから見れば、今の人間はとんでもなく次元が低いものです。ルネッサンス以降は、格段に悪くなりました。これには、ユダヤ人が仕掛けた大きなトリックがあるのです。

世間並の人間は、無責任な人間ばかりです。食って寝て、食って寝て、子供を産んで死んでいく。ただこれだけなのです。人間らしく生活していますけれど、実質的には犬や猫と同じです。人間が現世に生きているのは、動物と同じなのです。何のために生きているのかを、全く考えようとしていない。ただ生きることが目的で、生きているだけなのです。これでは、人間に与えられている精神構造に対する責任を、全く果たしていないのです。

人間の精神構造は、万物を指導すること、万物に所を与えるためにあるのです。今の地球は、いつ地震が起きるか分かりません。どんどん砂漠が広がっていく地球です。こんな地球は、本当の地球ではないのです。

万物に所を与えるのを人間が考えなければ、だれが考えるのでしょうか。人間の目的をつかまえるために、教育があり、政治、経済があるはずです。ところが、今の文明は目的を持っていない。政治も目的を持っていないのです。経済も目的を持っていないのです。こういうことを放っておいてもいいのでしょうか。

このまま放っておけば、人間文明は自滅するでしょう。現世で人間ずらをして生きていた人間は、全部刑罰されるでしょう。

釈尊やイエスが生きていた生き方を勉強すれば、天は皆様を殺すようなことはしないのです。

伝教大師が言っています。道心に衣食(えじき)あり、衣食に道心なし。生活に一生懸命になっている人は、本当のことが分からないのです。逆に、道心を中心にしている人には、衣食はついて回るに決まっているのです。これが天地の真理です。昔から、道心を実行した人には、その人の生活はついて回ったのです。人生観の根本に徹しますと、生活は勝手にできるのです。

地球はなぜできたのか。人間はどうして現れたのか。この根本原理が分かってくれば、生活は自然にできるのです。

生活より命の方が大事です。命の勉強をしている者には、絶対に生活の行きづまりはありません。これは東西の歴史の中で証明されているのです。

生活と生命は別です。生活よりも生命を第一に考えた方が、人生は安全です。釈尊やイエスのやり方をすれば、生きていけるに決まっているのです。神が放っておかないのです。

人間は現世で、生活をするために生まれてきたのではありません。なぜそういうことが言えるのかと言いますと、地球上に人間社会ができてから六千年位になります。六千年も歴史を続けてきましたけれど、命について何か分かったのでしょうか。何も分かっていないのです。

日本の歴史はできてから、千二、三百年しかたっていません。天地自然という角度から考えますと、日本の歴史は全くゼロに等しいのです。日本人が生きてきたことが、世界の歴史に何のプラスにもなっていないのです。

このまま日本が終わってしまいますと、天皇制があったことも、ゼロになるのです。日本の天皇制の場合は、その実体が発掘されていないだけのことです。日本の天皇制は驚くべきものです。日本の国家主義者、国粋主義者も、日本の天皇制のことは全く知らないのです。やがてそれが明らかにされる時が来るでしょう。全世界はそれに驚愕するでしょう。

私は全世界の人に、聖書による命とは何かを示したいのです。これは本来、ユダヤ人がしなければいけないことです。ユダヤ人がしなければならないことを、私がしているのです。私はユダヤ人に向かつて、彼らの間違いをはっきり指摘しているのです。

今までの異邦人の歴史は、神の前に何の価値もないのです。ユダヤ人の歴史だけは、悪いなら悪いように、良いなら良いように、記されているのです。日本人や中国人、インド人の歴史は、神にとって三文の価値もないのです。異邦人の歴史はゼロです。彼らは全部、魂の裁きにあわねばならないようになっているのです。天はそういう厳しいものです。本当の神は、ごまかしは一切ききません。

皆様は親在生きていらっしゃいますが、本当の命を知らずに、本当の正義が何かが分からないままに生きておいでに育ます。これが間違っているのです。

日本には公義がありません。日本語に公義という言葉がないのです。公義というのは、天地自然の真髄の精神を言うのです。これは旧約聖書にはありますが、日本語にはないのです。

日本人は公義を知らないのです。天網恢恢疎にして漏らさずと言いますけれど、天の実体は何であるか。お天道さんの実質は何であるかが、分からないのです。

皆様の魂は日本人的に分かりやすく言いますと、お天道さんから来ているのです。ところが皆様は、お天道さんを全然知りません。ご自分の命の淵源をご存じないのです。ただ生活だけを考え、何十年もの人生を終わってしまいますと、皆様の人生は根本から失敗になるのです。その結果、責任を追求されることになるのです。

皆様ご自身としては、十分言い分があるでしょう。これはルネッサンスに同調している日本の政治家が悪いのですから、皆様の責任ではありませんが、その政治家に同調した皆様も、必ず責任を追求されるのです。

皆様はご自分の精神構造を持っておいでになります。理性と良心を持って生活しておいでになります。ですから、自分の人生の責任を、負わないわけにはいかないのです。

皆様方ご自身が本当に良心的に、また、理性的にお考えになるとすれば、今までの生活の土台が間違っていたことに、お気づきになるでしょう。もしお気づきにならなければ、皆様の考え方そのものが、間違っているのです。とにかく公明正大になってお考えになれば、今までのお考えが間違っていたことに、気づかれるでしょう。

六千年の人間歴史は、神の前にユダヤ人の歴史を除けば、全くゼロです。ユダヤ人の歴史だけは、良くても悪くても神に記憶されているのです。ユダヤ人以外の異邦人の歴史は、神が全然認めていないのです。六十四億の人間は、神をばかにしています。神は全く認めないし、六十四億の人間も神を認めていないのです。

天地自然の大原則を、日本人は問題にしていないのです。これは危ないことです。死んだら全くひどいめにあうでしょう。そのことを皆様の良心はよく知っているはずです。皆様がどれほど正直に生きていると思っても、それは神に通じないでしょう。神は皆様の本質です。皆様は命の本質をご存じないのですから、危ないのです。

男女の問題は、現世のことしか考えない人には、分からないのです。男女の問題の淵源は、人間が造られる前に起こったのです。人間が現世に現れる前に起こったのです。旧約聖書創世記の二章、三章に書いていますが、これは現世の人間歴史の出来事ではないのです。人間社会が造られる前に、エデンの園で起きた事件です。これをキリスト教は全然知らないのです。神もキリストも全然分かっていないのです。そういう人が、国際キリスト教大学の教授になっているのです。神についての理屈は教えますが、神の実体を全然教えないのです。教授自身が神を経験していないからです。

男と女の問題は、人間歴史が始まる前の問題です。私たちが人間として生まれるまでに、男と女が造られた。現在、キリスト教は創世記を正しく読んでいませんし、読んでも分からないのです。宗教として読んでいるからです。

女性は男から見ると、骨の骨です。男からあばら骨が抜かれたので、男の中には本当の意味で魂に対する認識はないに等しいのです。あっても極めて希薄です。女性にはそれがあるのです。だから、女性と男性とでは、考え方が違うのです。

男は性欲があると考えています。性は欲ではありません。命のさがのことです。命のさがは欲ではありません。

神から男が出て来たのです。命の出自を吹き込まれて、男ができた。ところが男がぼんやりしていたものだから、男から女が造られた。これが人の魂のあり方を端的に示しているのです。

女性が男性に帰るのです。そして、造られたままの人が神に帰るのです。これが正しいあり方です。

性とは命のさがのことです。命には二つあります。死ぬに決まっている命と、絶対に死なない命のさががあるのです。

神はまず死ぬに決まっている命を造りました。死ぬに決まっている命が、神という死なない命に帰るかどうかを見たのです。ところが、いっこうに帰ろうとしない。アダムはポカンとしていたのです。そこで神はしょうがなく、アダムの中から命の性の本質の一番重要な部分(あばら骨)を抜き出して、女性を造ったのです。これが女性の本質です。男が女性の本質を持つと、神に帰ろうという気持ちになるのです。これがセックスの全体的な意味なのです。

死ぬに決まっている命と、死なない命とがあるのです。男と女の問題は、死ぬ命から出て、死なない命へ帰るという問題になるのです。これがセックスの本当の意味です。現在の人間は、セックスに対して全然考え違いをしています。女性の理性と良心とで、冷静に判断すると、現在のセックスが間違っていることがよく分かるはずです。それを論理的に証明するためには、天地創造の原理を弁えなければいけないのです。

日本人は天地創造の原理を、全然考えない国民です。気の毒な国民です。聖書をまじめに読もうとしないから、しかたがないのです。

これはキリスト教を信じることと違います。聖書は天地創造の原理、人間創造の原理が、そのまま書かれているのです。これをまじめに勉強しようとしないので、地獄へ行かなければならないのです。

セックスは命にとって重要な問題ですが、これを間違えてしまったのです。これを公にできないという妙な文明になっているのです。

女性が男性に帰らずに、女性のままで死んでしまいますと、困ったことになるのです。女性がいるという気持ちを持ったままで死んでしまいますと、その魂は絶対に政われません。女性はどうしても男性に帰らなければならないのです。

二人の人が会いて一体になれというのは、神の命令です。女性が男性に帰らないままの状態でこの世を去ってしまいますと、ひどいめにあうでしょう。永遠の国では女性は必要がありませんから、女性が女性のままで永遠の国に帰っていけないのです。

男性も一人の人間であるという状態で死んでしまいますと、神の前では通用しないのです。ひどいことになるのです。

女性は男性に帰るべきです。男性は神に帰るべきです。帰りそこなった人は、皆ひどいめにあうでしょう。現世に生きているのは、帰るべき所へ帰るためです。生活をするためではありませんし、仕事をするためでもないのです。やがて人間文明は潰滅するでしょう。六千年の間文明を造ってきましたが、何も残していなかったのです。命の足しになるのは、ユダヤ人の一部の人が残しただけで、ユダヤ人以外の人間は、命のために何もしていなかったのです。ただ国があり、社会があっただけです。だらだらと生きてきただけで、神の前には何の価値もなかったのです。このことをよく理解して頂きたいのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


FOLLOW ME

  • Black Facebook Icon
  • Black Twitter Icon
  • Black Instagram Icon
  • Black Pinterest Icon
  • Black YouTube Icon

STAY UPDATED

POPULAR POSTS

TAGS

まだタグはありません。
bottom of page