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妄念

 四諦八正道という考え方、唯識論という考えが妄念です。宗教が一切妄念です。道徳も妄念です。学問も妄念です。

 私たちに必要なものは、生まれてきたということだけです。生まれてきたという事実を真正面から素直に素朴に見るのです。このことをイエスだけが実行できたのです。これはすばらしい業績です。

 大人の皆様にとって素直になるということは難しいと言われるでしょう。いくら難しくても、これ意外に救われる方法はないから仕方がないのです。

 この点から言いますと、マホメットも孔子も間違っているのです。

 死を破るということが、本当の命を掴まえた証拠になるのです。死んでしまった人間はどんなに偉い人でもだめです。命の真髄を捉えていなかった。だから死んでしまったのです。

 皆様は宗教を勉強しようとか、自分自身が悟りを開こうとかいうことを、考える必要がないのです。自分がこの世に生まれてきたという事実を、もう一度見直すという気持ちを持てばいいのです。

 皆様はこういう話を聞けば聞くほど分からなくなるでしょう。それは皆様が命を素直に受け取ろうという心理状態になっていないからです。お聞きになればなるほど、皆様の常識が混乱します。今までの皆様の人生経験が混乱するのです。だから自分の考えを捨てることを考えて頂きたいのです。

 人間は死ななければならない、死ぬのは当たり前だという考え方は、命についての通例の考え方です。これに対して死なない命があるのです。これがイエスの復活の命です。

 人間の命は死ぬものではないのです。命に対する認識が間違っているのです。肉体的に生きているという条件で自分の命をご覧になっています。だから死ななければならないという気持ちが湧いてくるのです。こういう考え方が間違っているのです。

 皆様が現在生きていらっしゃる命は自分の命ではありません。自分が生まれたいと思って生まれたのなら、今ある命は自分の命です。仮に自分が生まれたいと思ったとしても、自分の力で自分がこの世に出ることはできないのです。母親に産んでもらわなければ、この世に生まれることはできません。

 従って、生まれた命が既に皆様自身のものではないのです。実際は皆様が生まれたいという気持ちを全然持っていなかったのです。命が始まったということは、皆様方の意志に全然関係がないのです。

 今生きている命は自分の命だと思うことが業(ごう)です。考えが間違っているのです。命は間違っていませんが、命に対する考え方が間違っているのです。

 私は今生きている命が自分のものではないことがはっきり分かっています。ですから、死ぬということがないのです。命は自分のものではありませんから、こういうことを皆様の前で堂々と言うことができるのです。

 私が自分の命があるという気持ちを持っているままの状態でこういうことをお話ししているなら、私は大嘘つきになるのです。私は命が自分のものではないことを、イエスが生きていた命と同じ命であることがはっきり分かっているのです。

 イエスは自分の命を真っ直ぐに見たので、死を破ったのです。イエスが掴まえた命と同じ命を私も経験しているのです。

 生まれてきて現在生きています。現世を去った後の全体を意味するのが魂です。今の人間はこの魂が分からなくなっているのです。

 仏教では解脱と言いますが、これは現世に生きていることから解脱しなさいと言っているのです。どのように解脱すればいいのか。何を悟ればいいのか。仏教ではこれが分からないのです。何を悟れば本当の悟りなのかが、仏教では決まっていないのです。これが禅宗の非常に悪い点です。

 釈尊の悟りは今の日本の禅宗の悟りとは全然違うのです。釈尊の悟りと同じような悟りは今の仏教にはありません。今の日本にある悟りは仏教の悟りです。

 釈尊の悟りは仏法です。今の日本にあるのは仏教です。仏法と仏教は全然違います。仏教をいくら信じても、釈尊の悟りは絶対に分かりません。仏さんは分かってもお釈迦さんは絶対に分かりません。

 現在日本にある他力本願は、本当の阿弥陀如来が分かっていないのです。こういう状態です。大無量寿経に書いている本当の阿弥陀如来が分かっていないのです。

 今のお坊さんは阿弥陀如来が説明できないのです。他力本願という仏教を信じているから分からなくなっているのです。

 悪いのは宗教です。宗教はすべて営業です。営業以外の宗教はありません。ローマカトリックは営業の大本山です。

 私は宗教の悪口を言うのが目的ではありません。宗教ではない本当の命の掴まえ方を申し上げるのが目的です。

 今の人間も宗教も、人間が死んでいくことを真面目に考えていません。死んでいくのは当たり前と考えたのです。私はこれに腹が立つのです。

 世間の大人は人間が死んでいくことを承知していながら、お金儲けをしている。家族を養っているのです。家を建てて、子供を学校に入れて死んでいくのです。政治や経済、宗教と言っていながら皆死んでいくのです。

 死んでいく社会を人間は造っているのです。これに対して私は義憤を感じたのです。そこで般若心経と聖書の勉強を始めたのです。

 私は死んでいくということを黙って受け入れることができなかったのです。人間が死ぬのはおかしいのではないか。人間は死ぬべきものではないという直感がしたので、死なない命があるはずだと考えたのです。

 人間には死にたくないという気持ちがあるのです。死にたくないという気持ちがあるということは、死なない命がある証拠ではないかと考えたのです。

 人間は実在する可能性がない場合には希望が起きないはずです。例えば、何かを食べたいと思ったら食べに行けるのです。空を飛びたいという希望が飛行機を造り出しました。海の中へ潜りたいという希望が潜水艦を生み出しました。月へ行ってみたいという希望がアメリカのアポロ宇宙船によって実現しました。

 死にたくないという気持ちは10人や20人のものではありません。現在地球上に71億の人間が住んでいますが、ほとんどの人が死にたくないと思っているでしょう。こんなに多くの人が熱烈に希望しているのなら、必ず死ななくてもよい命があるはずだ。私はここから出発したのです。そして、宗教ではない般若心経と聖書を真剣に勉強して、とうとう死なない命を見つけたのです。それを本に書いているのです。

 人生には生まれてくる前の過去生と、現生と、現世を去った後の来生と三つの生があるのです。三つの生全体を人生と言うのです。

 皆様は今現世に生きています。皆様は現世に生まれてきたのです。生まれてきたというのはその原因があるのです。生まれてくるべき原因がなければ、この世に生まれてくるはずがないのです。

 人間は今肉体的に生きていますが、肉体は命ではありません。私もこの世を去ることになります。肉体は消耗品ですから耐用年数があるのです。やがて使えなくなる時がくるのです。

 ところが、魂は生まれる前からあったのです。生まれる前にあった魂が肉体に入って働いている。これが五官です。魂は生まれる前からあったもので、死にません。これが永遠の命です。

 目が見えることが霊です。生きているという事がらが霊で、これが現世を去っても続いていくのです。このことが分からずにこの世を去ることになりますと、行く所がなくなるのです。そこで困るのです。自分の行く所が分からなくなるからです。

 命がはっきり分からないままでこの世を去りますと、恐いことになるのです。

 人間には妄念があります。妄念がどこから来たのかと言いますと、自分が生きているという所から来ているのです。自分が生きているという考え方が妄念の源になっているのです。

 人間は自分が生まれたいと思ったのではありませんから、自分の命はないのです。命は自分のものではありません。貸し与えられているのです。貸し与えられている命を自分のものだと思い込んでしまっていることが、無明煩悩という考え違いの根底になっているのです。これが人間が死んでいくことの原因です。

 自分が生きている。命は自分のものだと考えるのです。これは天から、また神から預かっているものを自分のものだというように思い込んでしまっているのです。預かったものを横領したような形になっているのです。これは背任横領になるのです。

 命を預けられていながら、それを自分のもののようにして使っているのです。自分がしたいように勝手に生きているのです。もし自分の意志によって生まれたのなら、自分の意志で生きるのは当然のことです。自分の意志によって生まれたのではないのですから、自分の意志によって生きることは根本的に間違っているのです。

 命を私たちに預けた者が、どういう意味で命を預けたのかということを勉強しなければならないのです。

 これは勉強と言わなくても魂によくよく聞いてみれば分かることなのです。宗教の勉強や学問の勉強をしなくてもいいのです。

 例えば、皆様がきれいなものを見たらきれいだと思います。誰でもそう思うでしょう。

 花を見てきれいだと思いますが、なぜきれいだと思うのでしょうか。これを真面目に考えますと、自分の霊魂の意味が分かってくるのです。

 おいしいものを食べたら喜びます。おいしいとか、きれいとか、すばらしいとかを喜ぶのが霊魂の建て前です。なぜ人間は霊魂の建て前を持っているのでしょうか。

 こういうことを素直に考えてご覧になりましたら、皆様は自分の中に死なない命があることが分かるのです。私はそれを見つけたのです。

 イエスが死なない命を正確に見つけたのです。彼が命を見つけた見つけ方が正確であったので、死を破って復活したのです。

 イエスは死を破ったのです。イエスの生き方を真似したら、私たちも命の正しい発見ができるのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


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