ユダヤ人問題が歴史の本質
ユダヤ人問題が歴史の流れの本質です。歴史の流れの本質というのが皆様の霊魂の運命です。
今の日本の文明は間口が狭すぎるのです。間口も狭いし奥行きも狭いのです。スケールが小さすぎるのです。私みたいなことをいう人は日本にはいないでしょう。日本どころか世界にもいないと思います。
皆様は命の値打ちを本当にご存知ないのですから、間違っていることを間違っていると申し上げているのです。甚だ生意気のように聞こえるかもしれませんが、勘弁して頂きたいと思います。
人間は心理的な癖がありまして、自惚れるのです。うぬがうぬに惚れるのです。これは人間だけしかないのです。
ナルシシズムと言いまして、自分の姿に自分が惚れるのです。これをするのは人間だけです。孔雀はどれほどすばらしい羽根を広げても、孔雀自身が自分に見とれることはないのです。
人間は自分に惚れるのです。自惚れるのです。これはマスターベーションになるのです。宗教は神を信じるにしても、仏を信じるにしても、すべて人間が何かを信じるというのは、自分自身の観念を自分で信じているのです。これは根本的な間違いです。これがマスターベーションです。
宗教はすべてマスターベーションが原理になっているのです。自分で快楽しているのです。こんなものは死んだ後の霊魂の運命とは何の関係もないのです。
宗教観念は妄念です。私が神を信じるというのは、妄念ではありません。マスターベーションではありません。キリスト教の宗教観念、仏教の観念も皆マスターベーションです。
信者というのは教祖と同じような思想を持つ同類の人間です。教祖に騙されているのです。天理教の神は天理教しか通用しない理屈です。天理教の教祖に乗り移った観念の神です。それに共鳴を感じる人がいるのです。同じような霊魂の素質を持っている人は、同じような観念を持つことができるのです。これが天理教という宗教になっているのです。
本当の神を見つけているのではないのです。自分の頭の中で神だろうと思うものを造るのです。これを拝んでいるのです。自分の頭の中で造った宗教観念を、自分で拝んでいるのです。
私が言うことはそうではないのです。魂のことをお話ししているのです。全人類が生きている生態が魂です。人類が現実に生きている生態が魂です。これが魂の本質です。万人に共通する人間の生態が魂です。
エコロジーと言いますが、エコロジーとは生態学のことです。エコロジーは生物的な生態を言いますが、エコロジーという言葉をもっと深く、霊魂的に、哲学の根本に遡って考えるのです。地球は何故に存在するのか。太陽と地球との関係はなぜこのようになっているのか。電気とは一体何なのか。時間、空間の本体とは何かということが、エコロジーの本体です。
皆様が生きておいでになる、心臓が動いているということがエコロジーの原理です。赤いものを見たら赤いと見える。甘いものを食べたら甘いと思う。これがエコロジーです。
人間が生まれた時の本来の生態感覚に、人間の命の秘密があるのです。イエスはこれを掴まえたのです。そこでイエスは死を破ったのです。これはマスターベーションではありません。宗教でもありません。真実です。
人間が神を信じてもだめです。人間がいくら信仰してもだめです。人間の信仰だからだめです。神自身の信仰が自分のものにならなかったらだめです。
皆様がいくら宗教を信じても、神を信じても分かったと思ってもだめです。自分が分かったと思っているのは自惚れなのです。
皆様は60年、70年とこの世で色々なことを勉強されたでしょう。だから分かっているつもりでしょう。これが自惚れです。こんなものは死んだ後には通用しません。
人間はなぜ死ぬのか、死とは何かをはっきり掴まえなければいけないのです。そのためにはまず、生まれてきたということを勉強するのです。生まれてきたのは何故か。死んでいくのは何故か。この原理がはっきり分かれば、生老病死の原因が分かってくるのです。
釈尊はマスターベーションの先生ではありません。私も自惚れの大将ではありません。皆様も自分の観念で満足することをやめて頂きたいのです。イエスを勉強したらいいのです。そうすると永遠の生命がはっきり分かるのです。
(内容は梶原和義先生の著書からの引用)