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                                                              命の間違いに気づく

 

 般若波羅密多とは、彼岸へ渡る上智です。現世の知識ではないのです。現世の知識ではないもう一つの頭の使い方、考え方を掴まえる必要があるのです。

 現世に生きている命は、仮の命なのです。人間は現世ででたらめに生きている。政治も、宗教も、法律も、本当のものは何もありません。

 従って、現世に生きている命は、仮の命であることぐらいはよく分かるはずです。そういうものにとらわれて、ひきずり回される必要はないのです。これが、般若心経が言っている五蘊皆空、究竟涅槃なのです。

 人間がこの世に生まれてきたのは、彼岸に渡る知恵をつかまえるためなのです。現世が訳の分からないものだから、この世から出てしまうこと、解脱してしまうことを、私たちに教えているのです。わざわざ、訳の分からないこの世を経験させられているのです。

 この世が混乱していればいるほど、現世が間違っていることがよく分かるのです。

 現代文明は、病理社会を造っている。人権を言い過ぎるために、病気がだんだん重くなってしまった。人間に基本的人権があると考えたために、学校教育がめちゃくちゃになってしまったのです。先生のことを先こうと言うのが中学や高校では当たり前になっているそうですが、教育は荒廃しているのです。荒廃とは、荒れすさんで、全く手がつけられない状態をいうのですが、その原因がどこにあるかというと、学生に基本的人権を教えすぎたのです。先生はただの労働者で、月給をもらうためにしているということを、子供に教えすぎたのです。それが、校内暴力、家庭内暴力になっているのです。

 一体、権利がなぜ人間にあるのかということです。こういう思想はフランス革命によって、一部のユダヤ人が提唱した思想ですが、これが現代文明の基本的な精神になっている。教育の原理になっているのです。

 政府は国民をおだて、先生は学生をおだて、宗教は信者をおだてているのです。指導すべきものが、指導される人間をおだてて、いい格好をしている。年寄りをおだてて、命をやたらにのばしても、何にもならない年寄りを造っている。そういうばかなことをしているのです。

 寿命が長くなることは結構です。結構なことですが、それなら、命の有難さを教える指導方針を政府は当然考えるべきですが、それをしないで、やたらに年寄りを造ることがいいことのように考えられている。

 老人福祉という考え方が、文明の基本的な間違いの一つです。これがいわゆる病理社会なのです。命とは何かを教えないで、病気ばかりを造っているのです。家庭病、学校病、職場病ばかりを造っているのです。困ったものです。

 要するに、今人間が生きている命は、死ぬに決まっている命であることを、よく考える必要があるのです。それを自分のものだと思い込んでいると、死ぬことになるのです。死んでからが大変なのです。生きているうちに、般若波羅密多が理解できれば、死んでからについて、いくらか分かることになるでしょう。

 ただ、般若心経だけではだめです。本当の命を教えてもらうためには、キリスト教ではない聖書がどうしても必要になるのです。

 まず私たちは、現在生きている命の間違いに気づかなければならない。これが般若心経を学ぶことです。そして、聖書を学ばなければならない。そういう順序になるのです。

                                     (内容は梶原和義先生の著書からの引用)

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