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             現世の命は自分の命ではない

 

 人間は今、生きています。生きていることは、命を経験していることなのです。命は、自分のものではありません。自分が生まれたいと思って生まれたのではありませんから、命は自分のものではないのです。自分の命と思う理由は、どこにあるかということです。そういう不合理なこと、非論理なことを、現代人は平気で考えているのです。古代人や中世人は命を知っていたのではありませんが、自分の命だとは言っていませんでした。何のために生きているかについて、現代人よりはるかに真面目だったようです。

 日本の王朝文化等を見ていますと、空の思想がたくさん出ているのです。般若心経の空という思想が、日本文化の特徴だと言ってもいいのです。それほど、日本人は空が好きなのです。従って、自分の命、今生きている命が、空であることを何となく考えていたようです。

 「花の色はうつりにけりないたづらに、我が身世にふるながめせしまに」という小野小町の歌の中に、空観がにじみ出ています。こういう考え方は、王朝時代には普通のことであったようです。

 方丈記にも、こういう思想が流れています。人間が家を建てて住んでいるのは、虫が巣を造るようなものだと言っています。

 こういう日本文化の特徴は、現代にはなくなってしまっています。現代文明が日本人を変えてしまったのです。今、日本人はもう一度、本来あるべき日本文化の特性をよく考えるべきです。

 般若心経を、仏教家にゆだねておくべきではない。また、新約聖書をキリスト教の牧師にまかせておくべきではないのです。

 宗教家にまかせておくと、商売にするのです。宗教ははっきり営利事業です。だから、宗教の専門家にまかせておくべきではないのです。

 般若心経を愛好する人、愛読する人は何百万もいるでしょう。一千万人もいるでしょう。それにもかかわらず、本当の空観はほとんど見られないのです。心経読みの心経知らずということになっているのです。

 般若心経は、現代の世界全体の文化教養の原理から考えても、非常に貴重な文献なのです。般若心経の空観こそは、頂門の一針として、十分に学ばなければならないものです。例えば、米ロシアの関係などでも、空観があれば、がたがた言い合う必要はないのです。お互いに原水爆兵器をたくさん造って、地球全体が数十回も全滅するようなことをする必要はないのです。

 お互いに相手が信じられない原因は何かと言いますと、文明そのものが空であることが分からないからです。

 現代は、「人盛んなる時は天に勝つ」時代なのです。そのあとに、「天定まって人に勝つ」という言葉があります。本当に、あるべき状態になると、現代文明はこっぱみじんになってしまうのです。

 今は、人間が言いたいことを勝手に言っている時代です。文明が虚妄だからです。ユダヤ主義的思考に基づく文明は、宗教でも、政治でも、虚妄によって覆いかぶされているのです。虚妄の文明の中にいる人間は、必ず死ななければならないのです。

 何回も言いますが、人間が現在生きている命は、絶対に死ぬに決まっている命なのです。絶対に死ぬに決まっている命を、自分の命だと思い込んでいることは、自分自身が死ぬべきものだということを、勝手に決めていることになります。これは愚かなことです。絶対に死ぬに決まっている命を、自分の命だと思わねばならない理由はどこにもありません。

 常識的に考えると、世間の人は皆死んでいくのだから、自分も死ぬのが当たり前だということになりますけれど、世間の常識に従わなければならない理由は、全くないのです。

 人間の命は、現世に生きている間だけではないのです。死にたくないという気持ちが、人の中にあるのは、死んだ後に、命の続きがあることを示しているのです。それが直感的に分かっているので、死にたくないのです。

 現世に人間が生きているのは、現世がくだらないものだ、間違いだらけのものだということを経験するためです。誤魔化そうと思えば、誤魔化せるのです。正直に物を言っても、正直さが正しく理解されるわけではない。政治も、経済も、社会も、誤魔化そうと思えば、どうにでもなるのです。そういう世界に人間は生きているのです。

 従って、現世の命が本当に信用できるものではないということぐらいは、よく分かるはずなのです。ところが、現世の命にしがみついて、離れようとしない癖があるのです。般若心経は、そういう癖を断固として切ってしまう原理を提唱しているのです。

 般若心経を読んでいる人はたくさんいますが、読んでいるだけでは般若心経の値打ちは分かりません。また、仮に色即是空という言葉の意味が分かったとしても、だめです。今までの自分の命を認める状態で分かっているからです。

 命の入れ替えをしなければならない。死んでしまう命を命だと思い込んでいる以上は、五蘊皆空という理屈が分かっても、色即是空という理屈が分かっても、やっぱり死んでしまうのです。このことをよく考える必要があります。

 般若心経は、現世に生きている人間の命から抜け出した観自在菩薩という人格が、五蘊皆空、色即是空、究竟涅槃と言っているのです。つまり、般若心経は現世の命が自分の命でないと見た者の発言をしているのですが、それを、現世に生きている人がそのまま鵜呑みにしても、だめなのです。

​          (内容は梶原和義先生の著書からの引用)

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