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.天

 聖書に、「天にいますわれらの父よ」という言葉があります(マタイによる福音書6・9)。天は霊とよく似ています。例えば、心臓が動いていること、生きているという事がらが、生理機能という状態で、現われているのです。

 生きていることがらは霊です。地球が自転、公転していること、夏は暑く、冬は寒いということ、自然現象としての本来あるがままの姿が、天なのです。大自然と言ってもいいのです。

 大自然と言いましても、山とか川が天ではありません。山が山であること、川が川であることが、天なのです。

 現在の地球は、目で見ることができないものが、目に見える形で現われている。これが天地創造です。この目に見えないものが天なのです。

 ついでに述べておきますが、般若心経と聖書の関係が、なかなかお分かり頂けないのです。だいたい、聖書を正しく信じることは、普通の人間には不可能です。例えば、イエスが、「私は父の内にいる」と言っています。父の内にいることが、私だと言っています。この言い方は、普通の常識では、とても受けとめられるものではありません。そこで、般若心経がどうしても必要になるのです。

 だいたい、普通の人間、これは日本人だけではなくて、アメリカ人、イギリス人でもそうですが、生きている人間が、このままで聖書を信じることは、まず不可能です。できないのです。

 「悔い改めて福音を信ぜよ」とイエスは言っています(マルコによる福音書1・15)。悔い改めるという言い方は、あまりにも素朴で、簡潔すぎて、どうすることか分からないのです。

 聖書を聖書どおりに読むことは、大変なことです。イエスは、父の内にいることが自分なのだと言っている。これは、イエスの生活感覚の実体です。

 イエスは、神の内に生きていた。神の内にいるイエスを、人間は信じることができないのです。

 私たちは人間の内に生きている。肉体的に存在する自分を、自分だと思っている。イエスは、そうは思っていなかったのです。肉体が存在することが、父だと考えていたのです。そういう考え方を、理解するのでなかったら、新約聖書をまともに読むことはできません。

 日本人は、イエス・キリストに、本能的に拒否反応を示すのです。それには、色々な理由がありますけれど、日本人は、体質的に拒否反応を持っています。この拒否反応に、正当な理由があってもなくても、歴史的事実として死を破ったという実例は、イエスの復活以外にはないのです。

 誰が、どのような説を述べようとも、死を破ることなしには、人間の業(ごう)を果たすことはできないのです。具体的に死を破ること、死を乗り越えることでなかったら、本当の命を見つけたと言うことはできないのです。

 私たちが現在生きている命は、死ぬに決まっている命です。死ぬに決まっている命を乗り越えるためには、イエスを勉強する以外にないのです。

 聖書で、パウロは、「ギリシャ人にはギリシャ人のように説け、ヘブル人にはヘブル人のように説け」と言っています。その言い方をすれば、日本人には、日本人のように聖書を説けとなるのです。

 日本人のように聖書を説こうと思いますと、まず、日本人の体質に一番あっている、般若心経を用いるのが、一番いいのではないかと思えるのです。般若心経の空観は、日本人の体質に、非常にあっているからです。

 日本で般若心経を愛している人は、千数百万人もいるのです。ところが、本当に般若心経の究竟涅槃を実行している人は、ほとんどありません。しかし五蘊皆空、究竟涅槃、色即是空という端的な言い方で、現在生きている人間のあり方が、嘘であることを、はっきり言っているのです。

 般若心経以外の経典にもあるかもしれませんが、公約数的に、多数の日本人に愛されているのは、般若心経が一番です。

 そこで、般若心経の空観を用いて、妄念を乗り越えること、自分自身の気持ちを棚上げにすることを学ぶのです。こういうことを、般若心経によって学ぶべきなのです。それからでなければ、イエスを信じることは、不可能なのです。

 先にお話ししたように、日本人はイエス・キリストに対して拒否反応を持っていますので、それを、まず、棚上げするのでなかったら、死を乗り越えた人の実歴を、感受することはできないのです。

 そう考えられますので、般若心経の空観を、ぜひ了承した上で、イエスを勉強して頂きたいのです。

 とにかく、具体的に死を破ったという人は、イエスだけなのです。六千年の人間の歴史の中で、イエス・キリストの復活だけが、本当に信用できるのです。これ以外には、信用できるものはありません。

 だから理屈ではなくて、実体的に死なねばならない命を乗り越えるためには、どうしても、イエスの勉強をしなければならないのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)

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