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キリスト計画

 人間が現世に生きているのは、命の本質を捉えるためです。そのために現世で命を経験しているのです。現世に生きていることが人間の本当の命ではないのです。

 まず、本当の命を知りたいという気持ちを持つことです。これが一念発起です。発願です。宗教を勉強したい、極楽へ行きたいという考えではなく、命を知りたい、真実とは何であるかを勉強したいという気持ちになれば、おのずから皆様の気持ちが展開していきます。今までの常識をそのまま鵜呑みにしている状態では、命が分からないのです。

 考え方の基本を変えることです。自分が今生きているのは、本当の命ではない。本当の命を捉えてみたいという気持ちを持てば、分かりにくいという気持ちが、大幅に転換すると思います。まず常識の転換が必要です。心機一転です。

 主観が一番恐ろしいのです。なぜかと言いますと、自分の体重が六十キロ、七十キロあると考えていますが、体重はないのです。客観的に言えば、肉体的存在といえるものが、地球の引力に抵抗しているだけなのです。ロケットに乗って、地球の引力圏を脱すると、無重力状態になります。そうすると、宙に浮いてしまうのです。体重は全くなくなるのです。

 人間は赤い花を見ると、赤いと思います。それが間違っているのです。赤い花は赤という色を拒んでいるのです。拒んでいる色が、人間の目に映っているのです。赤くないから赤く見えるのです。

 これを般若心経では、一切顚倒夢想と言っているのです。人間の考えは、逆立ちしているからです。

 自分が生きていると思っている。自分がいる。自分が死んでいくと勝手に思っているのです。人間の迷いは五蘊です。五蘊皆空が分かりさえすれば、死なない自分が内にあることが分かるのです。人の命は、天地自然の命ですから、死ぬはずがないのです。それに気がつけばいいだけのことなのです。

 現世に生まれてきたことが、業(ごう)です。業ですから、業を果たさなければ、人間は必ず死んでしまいます。死んでから、ひどいことになるのです。

 人間は現世に七十年生きてきた、八十年生きてきたと、勝手に思っているのです。この世に何十年か生きていたという事実はないのです。人間が生きているのは、瞬間だけなのです。鼻から息を出し入れしていることが、人間の生命の実体です。

 そのように、人間は常識によってとんでもない考え違いをしているのです。常識を押しっけられているのです。そうして死んでいくのです。これを悟るのです。

 人間の人生観は愚かなものです。死がはっきり分からないので、死んだ後に、今までの自分の認識がどうなるのか、現世における認識の間違いが、死後にどのように働くかが分からないのです。現世に生きている生き方が、根本的に間違っているのです。

 イエスは、それを達見したのです。死をはっきり見破ったのです。釈尊は、人間の考えは、一切空だと考えた。イエスは、もう一つその上をいったのです。ただの空ではなくて、本当の命の受け取り方を示したのです。

 イエスは、あまりにも本当のことを言いすぎたので、宗教家に殺されたのです。ユダヤ教の宗教家に殺されたのです。

 従って、今のキリスト教が、イエスを神様みたいに祭り上げるのはおかしいのです。イエスはどこまでも宗教に反対しているのです。宗教は中途半端なものであるのに、完全無欠のように言って、人を騙すのです。それが悪いのです。宗教は入口としてはいいのです。

 人間が生きている間の自分の記憶が間違っているのです。肉体は死んだら灰になりますけれど、記憶は灰にはならないのです。これが恐ろしいのです。そういうわけですから、難しいと考えずに、まず自分の考え違いを悟って頂きたいのです。

 もともとこの宇宙には、死がなかったのです。生が本当の命であって、それ以外に物理的に現われた命はなかったのです。命の本質は霊なるものであって、霊というのはことがらなのです。

 目が見える、耳が聞こえることが、霊なのです。目に見えないけれど、無形の働きをしていることを霊というのです。これが、地球ができる前にあったのです。

 ところが、聖書によりますと、悪魔という言葉が使われているものがあるのです。悪魔というのは、悪そのもの、魔そのものであって、悪魔という日本語の訳は、非常に優秀な訳です。韓国語では、魔鬼と言います。魔鬼ですと魔だけを意味することになって、悪をあまり意味しないのです。天魔という言葉もありますが、悪魔という言い方が非常にいいと思います。

 悪魔が死を創造したのです。死を造ったのです。悪魔はもとは神の大天使であって、すぐれた能力を与えられていたのですが、その能力を自分の能力であるかのように誤信してしまったのです。自分の力が偉いと思ったのです。

 そこで神に対抗して、自分の思想を確立することを考えたのです。これが死なのです。死は逆性です。逆性とはあるべき本来の姿に対して、自分の立場から、自己を主張することです。人間の自我意識が逆性です。逆性の本体が、死の法則なのです。

 死の則が宇宙に発生したのです。これを神が撃滅しなければならない必要が起きた。この時、弁証法的原理が発生したのです。神はテーゼであって、神に対するアンチテーゼが発生したのです。神と悪魔との闘いは、宇宙全体のスケールにおける大弁証法なのです。そういう形で、神と悪魔との闘いが始った。これが天地創造の原理なのです。

 本来銀河系宇宙全体は、ガス体ばかりだったのです。地球はもともとなかったのです。現在、太陽系宇宙には物質的な惑星はありますが、太陽系以外の星は、ほとんどガス体なのです。ガス体というのは、生でも死でもない、形なくむなしくという状態であって茫々漠々とした存在なのです。これが本来の宇宙だったのです。

 これに対して、自分がいるという思想が発生した。悪魔によって自我意識と現象意識が発生して、死ができた。この死を滅ぼす必要がおきたので、神が命を現象として現わさなければならない必要が起きたのです。

 現在人間が見ているのは、現象的に現われた命を見ているのです。花の姿、太陽の輝き、森羅万象は現象的に現われた命であって、それを見て、現象は仮の姿であり、本当の命がその中に隠れていることに気がついた人だけが、神の子としてとり扱われて、永遠の命に甦ることを許される。これがいわゆるキリスト計画なのです。

 色即是空が本当に分った人が、空即是色が分かるのです。

 地球の歴史は、神の処置によって動いているのです。ユダヤ人を中心にして、神の処置によって歴史が展開しているのであって、日本が中心になっていないのです。アメリカも中心になっていないのです。ユダヤ人が中心になっている。これが神の世界経綸なのです。

 そういう流れで、世界歴史が六千年間流れてきましたが、現在は、神ということ、キリストが明確に捉えられていないのです。

 キリスト教は、カトリックもプロテスタントも、両方共間違っているのです。本当の命が説かれていない。キリスト教ほど間違ったものはないのです。宗教的にキリストを扱ってしまったために、仏教よりもっと悪いものになってしまったのです。

 聖書を正しく読んでいきますと、死を破るために神が天地を創造したことが、明々白々に分かるのです。神が考えた思想が、そのまま太陽になって現われているのです。神の言葉がそのまま有形的な物理現象になって現われているのです。太陽が存在することだけでも、聖書の科学的な証明はできるのです。

 日本人は、神の約束を全然知らない民族です。約束によって天地が造られている。約束によって、地球が自転、公転している。その宇宙構造を日本人は全然知らないのです。聖書を勉強している人はたくさんいますが、聖書が自分の命として分かっている人は、ほとんどいないのです。

 この宇宙に地球、人間ができたのは、宇宙に発生した死を滅ぼすためなのです。命は具体的事実であり、死が嘘であることをはっきり証明するために、地球、人間ができたのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)

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