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神の国に入るために

 人間存在の主体性が、そのままイエスになっています。固有名詞の人間は、現象に過ぎないのです。本質的に実存しているのは、イエスという主体性であって、これが私の主です。

 キリスト教では、主よ主よと言いますが、主よ主よというものが、皆天国に入るのではないというように、主よという言葉の意味が、分かっていないのです。イエスが主であるとは、どういうことなのか、キリスト教では全く分かっていないのです。

 皆様はマインド(mind)で聖書に触ろうとしています。聖書の中に入ろうとしないのです。おっかなびっくりで、聖書の外に立っている。ただ眺めているだけです。聖書の中に入って頂きたいのです。

 そのためには、皆様のハート(heart)が問題です。聖書を信じるハートになっていません。それではだめです。

 パウロは心(heart)で信じて義とせられ、口で言い現わして救われると言っています(ローマ人への手紙10・10)。救いを実感しようと思えば、ハートで信じるしかありません。

 キリスト教の最大の欠点は、ハートで信じることをしないことです。ハートで信じることを、愛するというのです。イエスは、思いを尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、神を愛せよと言っています。神を愛するとは、ハートですることです。

 皆様は神にハートを開いたことがないでしょう。それは、女性を知らないからです。女性を本当に知れば、初めて、ハートが分かるのです。もっと女性の勉強をして頂きたいのです。

 アダムが初めて女性を見た時、「これこそ、ついに私の骨の骨、私の肉の肉」と言っています(創世記2・24)。女性はアダムから見て、アダム自身の骨の骨であった。骨は外に現われていないけれど、存在の核心をなすものです。皆様の肉体の骨も外に現われていません。隠れていますけれど、肉体構造は全部、骨によって機能しているのです。

 骨髄の働きがなければ、血液はできません。骨が肉となり血となるのです。骨の働きが肉の働きの根源です。血液の働きの根源です。人間の骨が強くなることが、健康の基礎になるのです。

 女性の本性は、骨の骨です。ただの骨ではありません。人間の骨の骨です。これが女性のあり方の本性であって、これを勉強なさると、初めて、ハートにおいて神を信じることができるのです。これを俗な言葉で言いますと、惚れるという言葉が、それにやや似ているのです。

 本当に純粋な恋愛になりますと、骨の骨が分かってくるのです。男は純粋な恋愛ができません。欲望的に恋愛はしますが、純粋な恋愛ができないのです。ところが、純粋な恋愛を当たり前のようにするのが、女性の長所です。女性に対する勉強を、男性はどうしてもしなければならないのです。

 神がセックスを許しているのは、それです。ところが、現在日本人がしているセックスは、神が認めていないものです。姦淫ばかりをしているのです。これだけでも、火の池へ行く原因は十分にあるのです。

 皆様はご自分の性の本性を、霊に従って見て頂きたい。男は端的に言いますと、ハートがありません。ハートが女性の方にいっているのです。ハートの本質が、女性の方に移譲されてしまったのです。

 これは創世記の二章に書いていますが、男がぼゃっとしていたからいけないのです。神が男を見切って、ハートの部分を女性の方へ移譲してしまった。これが女性の本性です。

 こういうことは、創世記の二章を詳しく勉強すれば分かりますが、素朴で純粋な感覚で聖書を勉強しないと分かりません。

 創世記の二章を勉強しなければ、人間の前世は分かりません。地球に生まれた人間の前世はどういうものであったのかを勉強しないと、人間存在の本当のことが分からないのです。

 イエスは「神の国は近づいた」と言っています。「汝ら悔い改めて福音を信ぜよ」と言っています。この意味が分からないのです。キリスト教は、この言葉をしきりに用いますが、どういう意味か分からずに用いているのです。

 マルコによる福音書一章十五節に、「時は満ちた、神の国は近づいた。汝ら悔い改めて福音を信ぜよ」とありますが、日本語の聖書は汝らという言葉を落としているのです。

 汝らとはユダヤ人のことを言っているのです。ユダヤ人ではない私たちも、現在では汝の中に入ると考えても悪くはありませんが、本来的にはユダヤ人のことを言っているのです。

 ユダヤ人問題を深く勉強しなければ、聖書は分かりません。私は日本人を相手にするより、ユダヤ人を相手にする事が、念願の本志です。

 イエスはどういう気持ちで、神の国は近づいたと言ったのか。さらに、ニコデモに向かって、人間は新しく生まれなければ、神の国を見ることができないと言ったのはどういうことか。新しく生まれなければ、神の国がどういうものか分からないからです。分からない状態で、聖書の話を何回聞いても分からないのです。

 日本人は、神の国が全然分からない民族です。皆様は、自分自身の心の中心まで明かすような感覚を持たないと分かりません。

 聖書を信じて、本当に聖書の中に入っていける人、新しく生まれて神の国に入れる人は、極めて少数でしょう。しかし、極めて少数の中に、皆様が入られなければ救われないから、難しくてもしなければならないのです。

 神の救いは本当にあります。本当にありますが、値段が高いのです。本物は皆高いに決まっています。

 神の国に入るのです。現世に生きているままの状態で、水から新しく生まれる、霊から新しく生まれるのです。新しい命を経験して、神の国に本当に入るのです。

 現実の世界の中に神の国があるのです。この中に入ることは、なかなか大変ですが、入りたいと思う人は入れるのです。人は生まれる前に神の国にいましたから、入らなければいけないのです。

 人間が生まれてきたのは、神の国に入ることが目的です。この世に生きていても、ただ死ぬだけです。死ぬのがいやなら、神の国に入るしかないのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)

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