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どうしたら彼岸へ行くことができるのか

 自分がいないと思っているのは、自分ではないかという人がいますが、自分が思っているのではないのです。それを自分が思っているとしたら、自分が思っているのです。禅でも他の宗教でも、それが分からないのです。

 自分がいないと思っているのは自分ではないのです。自分でない人と、自分と二種類の人間がいるのです。このことをよく知る必要があるのです。

 現世に生きている自分は否定するためにいる自分なのです。現世に生きている自分を否定することなしに、真理を捉えることはできません。

 現世の学校教育は理性の教育をしていません。現代人は理性が分からないのです。現代人には知性がありますが、知性を理性と思っているのです。せいぜい上等に見ても理知性があるだけです。本当の理性はありません。

 本当の理性は聖霊を受けて前頭葉が開かれると、初めて分かるのです。額に神の印を受けるのです。聖霊を受けるのです。これが理性なのです。

 般若心経にある般若というのが理性です。五蘊皆空が分からなければ、理性が分かっているとは言えないのです。

 聖霊を受けて聖霊の臨在が額に定着しますと、初めて宇宙の命の本源が分かるのです。

 天然が自然になっているのです。天然とは「おのずから」であって、これが神です。鶯の声は自然です。自然の鶯が天然を歌っているのです。

 理性が開かれないと、天然の意味が分かりません。天然が分からなければ、必ず火の池に放り込まれるのです。

 人間は理性が開かれていて神の御霊を額に受け取って、瞬間、瞬間、神と一緒にいる状態で、今という瞬間が分からないと、鶯の声の本当の値打ちが分からないのです。ぜひこれが分かるようになって頂きたいのです。

 本当の命を掴まえる方法は一つしかありません。これは宗教では分かりません。哲学でも分かりません。人間の知性では絶対に分からないのです。宗教は常識ばかりです。ただ口先だけで言っているのが常識です。

 皆様の知能性が一度洗いかえられて、般若の状態になることが必要です。皆様の人格がこの世から出てしまうのです。そうすると初めて、今まで見えなかった天然の奥義、天然の内容が見えてくるのです。

 ぜひ神の御霊を受けて御霊を崇めてください。現在、皆様の目が見えているのは神の御霊の働きによるのです。神の御霊とは、宇宙の命のエネルギーが働いていることなのです。見ている、聞いていることの意味が分かっていない。これが地獄へ行く原因になるのです。

 本当に信じること、本当に求めることが上智です。仏教には上智という説明はありますが、本当の般若はないのです。悟りを開いて無の境涯に入りますと、般若の入口までは行くのです。そうすると自分が現世に生きていることが、全くの空であることが分かるのです。空であることが分かったのは、般若の入口なのです。般若そのものになってしまうと、彼岸になってしまうのです。

 彼岸へ入ってしまうと初めて般若になるのですが、本当の彼岸は仏教にはありません。入口はあるのです。一切空、五蘊皆空が入口です。この入口へ行くだけでも大変なのです。それほど宗教観念は面倒なのです。

 人間は信じることがなかなかできません。本当に信じるというのは、肉の思いがなくなって霊の思いになることなのです。これができる人はめったにいないのです。

 信じるということは霊なることです。人間の常識で信じようと思っても、信じられるものではありません。常識という皮を一枚めくって、生まれながらの本来の知恵の中へ入っていくのです。そうすると天然が分かってくるのです。

 魂は誰でも彼岸へ行けるのです。理性の本当の姿はそこへ行く力を持っているのです。本当の理性は、神を掴まえることによって分かるのです。

 皆様は毎日見ていますが、目で見ているとは何をしていることなのか。鶯が鳴いていることと、目で見ていることは同じ次元の問題なのです。目で見ている働きの意味をはっきり捉えることができれば、鶯の声の意味が分かってくるのです。ここまではどうしても行かなければならないのです。それを掴まえなければ、必ず火の池へ放り込まれることになるのです。

 これはやれるだけやります、やれたらやりますではだめです。命の本源が分かるところまで行かなければだめなのです。

 人間は前世で理性を持っていたのです。この世に生まれたことによって、理性を全部盲目にしてしまったのです。だからこの世に生まれた大欠損を取り返すように頑張らなければならないのです。(内容は梶原和義先生の著書からの引用)

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