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「本当の霊」


晩年の石坂洋次郎が新聞に書いていました。「わしはかなわんのや。わしは幸いんじゃ。しゃあけんど、今ここで、とめるわけにいかんのや」 という内容の詩でした。

これは彼の人生の実感を述べたもので、なかなかおもしろい詩でした。問題は、なぜかなわんのか、なぜ幸いかということです。これは石坂洋次郎がなくなる少し前の詩だったようです。

人生は幸いものです。悲しみや苦しみがいつもあるのです。思うにまかせぬものが人生なのです。人生は重い荷物を背負って、坂道を登っていくようなものだと徳川家康が言っているのです。

なぜ人生は辛く、悲しいのでしょうか。それは霊が分からないからです。霊という字の意味が分からないので、「わしはかなわんのや、わしは幸いんじゃ」となるのです。霊は人間が生きていることの実質、実体です。これが分からないのです。

現在の日本の宗教家で、霊が説明できる人は一人もいません。生長の家で言っている霊は、聖書の霊とは違います。谷口流の霊であって、本当の霊ではないのです。本当の霊というのは、天然自然です。天然が自然となって現れるのが霊なのです。これがすべての存在、命の根源になっているのです。

生きていることは、存在していることを意味するのです。存在という言葉と、生きるという言葉は同じ意味をもっているのですが、これが分かる日本人はめったにいないのです。

現在人間が存在していること、地球が存在していること、太陽が存在していることが霊であって、太陽が存在していることの本当の意味が分かれば、死ぬ必要はなくなるのです。幸いとか、かなわんという心配はなくなるのです。

「わしはかなわんとか、わしは幸い」というのは、太陽が存在していることの意味が分からないからです。

人間は「おのずから」が分からないのです。これは全くばかみたいなことです。人間は「おのずから」生きているのです。「おのずから」生まれてきたのです。ところが、「おのずから」生きていること、「おのずから」生まれてきたことが分からない。そこで、勝手に苦しんでいるのです。

石坂洋次郎が、「わしはつらいんじゃ、わしはかなわんのや」という詩を書いたのは、彼は相当敏感な人だったので、人生の矛盾に突き当たったのでしょう。生活することがどうしてこんなに幸いのか、人間同士がお互いに理解しあうことが、どうしてこんなに難しいのかと感じたのです。

人間はお互いに理性と良心を持っていますから、理解しあうことは簡単にできるはずですが、それができないのです。毎日の新聞には争い、憎しみ、けんか、殺人が絶え間ないのです。

例えば、兄と弟が理解しあうことが、めったにできないのです。親と子が理解し合うこともできません。夫婦が理解しあうこともできないのです。

理性と良心を持っていながら、家庭の中のお互いが理解できないというのは、どういうわけなのか。「おのずから」が分かっていないからです。

「おのずからは、誰に味方するのでもない。又誰の敵になるのでもない。「おのずから」が、お互いに本当に理解できれば、「おのずから」の境地になれるはずです。これを霊によって生きるというのです。

日本文化の本当の良さは、「おのずから」を求めているのです。欧米社会は「おのずから」が分からないのです。白人は非常に理解力の乏しい、観念的な思想に凝り固まる傾向が非常に強いのです。だからユダヤ人が白人を騙すのは何でもないのです。

ところが日本人はそうはいきません。白人をひねるように日本人は騙せないのです。だから、幸か不幸か、ユダヤ人は日本には定着していなかったのです。最近は日本が経済大国になったものですから、ユダヤ人が来ていますけれど、大半はバイヤーです。経済大国になってからの日本はユダヤ人と密接なつながりはありますけれど、以前はほとんどつながりがなかったようです。

ユダヤ人がどういう民族かを、日本人は知らないのです。ところが日露戦争で勝った原因は、ユダヤ人のジエーコブ・シフのおかげです。その後、日本の軍備が拡張できたことも、ユダヤ人の力が働いていたのです。

日本は日露戦争の頃からユダヤ人の世話になっていますが、それを知っている人は少ないようです。明治天皇はジエーコブ・シフに端宝章という大変な勲章を贈っていますが、それはユダヤ人の協力が絶大なものだったからです。

そのユダヤ人が「おのずから」を知らないのです。「おのずから」が、日本文化の特徴です。花道とか茶道は、「おのずから」が理想であって、円相が道の奥義になっているのです。

「おのずから」は日本文化の抽象的な中心になっていますけれど、その「おのずからが分からないのです。これが霊です。本当の霊です。太陽が太陽であることが絶対です。絶対が本当の霊です。

日本の宗教で言う霊は、人間が考える霊です。宗教商売の道具になる霊です。人間の命には何の関係もない霊です。人の命は本来、「おのずから」のものです。人間が生きていることが霊です。「生かすものは霊である」とイエスがいっているのでありまして、人間の目が見えること、耳が聞こえることが霊です。太陽が存在していることと同じ霊なのです。こういうことを素直に学べば、「わしはつらいんじゃ」という必要がなくなるのです。自分が生きている意味が良く分かりますから、していいことと、していけないことが、おのずから分かるのです。

家庭の中で本当の霊が分かれば、夫婦の誤解はなくなってしまいます。家庭の不和、兄弟げんか、親子の意思が通じないという原因は、「おのずから」が分かっていないからです。

今の学校教育は「おのずから」を全然教えません。政治界にも経済界、宗教界にもありません。だから、お互いに苦しんでけんかばかりをしているのです。

宗教は全くばかみたいなものです。現在生きていながら、生きているという事実が何であるか分からない。生きていることが「おのずから」なのです。

男女の問題でも、家庭の問題でも、経済の問題でも、「おのずから」が分からないためにお互いにけんかをしているのです。駆け引きをし、嘘をつきあいし、やきもちを焼きあい、憎しみあいをするのです。だから「わしゃつらいんじや」ということになるのです。霊は難しいことではありません。何でもないことです。一番当たり前のことなのに、一番当たり前になっていない。だから世の中がおかしくなってしまったのです。

今の日本人は夫婦が分かりません。親子が分からないのです。先生と生徒の関係が分からない。天皇と国民の関係が分からない。日本の国ができた時から、天皇が分からないのです。

天皇制が日本の国柄の秘密です。この秘密が分かりますと、世界平和に多大の貢献をすることができるのです。

日本の国体の原理は、天然自然です。これはいわゆる国家思想とは違います。低俗な民族思想によって国体を考えているために、天皇が何か分からなくなっているのです。だから、日本人は立派な国体を持っていながら、人格的には感心できないのです。

天然が自然になっている。天然自然は誰でも知っているのですが、その意味が分からない。これが実は、命のルーツなのです。このことをよく弁えて頂きたいのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


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