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神の国(1)


 聖書に次のように書いています。

 「彼らは、日の涼しい風の吹く頃、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。主なる神は人に呼びかけて言われた、『あなたはどこにいるのか』。彼は答えた、『園の中であなたの歩まれる音を聞き、私は裸だったので恐れて身を隠したのです』」(創世記3・8~10)。

 皆様はまっすぐに物事を見ることができない習慣がついてしまっているのです。日の涼しい頃に歩みたもうエホバ神の音を聞いて、木の影に身を隠したアダムと同じ根性を持っているのです。

 人間は醜いものがあると思い込んでいる。これがとんでもない間違いです。人間に隠し所があると思っているのです。神は「おまえは汚いと思っているが、おまえが汚いと誰が言ったのか」とアダムとエバに言っていますが、この神の言葉をよく理解して頂きたいのです。

 人間は自分の思いで勝手にびくびくしているのです。人間の思いはピンからキリまで全部間違っているのに、これを信じているのです。

 アダムとエバはあなた(神)の前に出られませんと言っている。神はおまえが裸だということを誰が言ったのかと二人に聞いたのですが、皆様はこれと同じことをしているのです。自分に隠し所があると思っている人は、まだ救われていないのです。

 人間は自分の思いで自分が騙されている。これを原罪というのです。

 イエスの十字架によって、肉の思いを信じるという時代は過ぎ去ったのです。それでも肉の世界に生きていたいという人は生きていてもいいのですが、そういう人は彼岸(神の国)の世界へ入ることを嫌っているのですから、火の池へ行くしかないのです。

 聖書は次のように言っています。

 「私は口を開いて譬を語り、世の初めから隠されていることを語り出そう」(マタイによる福音書13・35)。

 この譬という意味が分からないのです。森羅万象はすべて譬です。その証拠に老化現象、腐敗、消滅現象があるのです。これは実体ではないことを示しているのですが、人間はこの譬を見て実体だと思っているのです。

 譬というのは仮という意味です。もっとはっきり言えば嘘です。人間は嘘を真実だと思っている。これを原罪というのです。原罪というのは罪の下に売り渡されてしまった人間の心理状態を指しているのです。

 罪の下に売り渡された自分の気持ちで、いくら聖書の勉強をしても分かるはずがありません。分かったと思うことが宗教観念です。分かったと思うことがごまかされているのです。

 皆様が現在生きているということを見て頂きたい。生きているという事実を、皆様は経験しているのです。生きているという事実の実体が、皆様に与えられているから生きていると思うのです。

 原因があるから結果が認識できるのです。生きているというのは結果です。結果だけを見て原因を見ようとしないことがいけないのです。

 人間は隠し所があると思っている。隠し所があるのは、その原因がなければならないのです。結果だけを見て、きれいとか、汚いとか、隠すとか隠さないとか言っている。原因が分かれば隠すとか隠さないとかいうのは、問題ではなくなるのです。二人共、裸にして恥じなかったということになるのです。

 イエスやパウロ以来二千年の間、神の国が隠されていたのですが、日本で神の国が明らかにされたのです。神の国が開かれたのです。神の国の実体が暴露されたのです。

 悪魔が押さえて押さえていた、隠して隠していた神の国の実体を、神の御霊によって私たちに開帳してくださったのです。これは大変なことです。

 水と霊とによって新しく生まれて神の国へ入れ、これがイエスの命令です。神の国に入らない者は火の池へ行く。実を結んだ者は神の倉へ入れられる。実を結ばない者は消えない火で永遠に焼かれる。このどちらかになるのです。

 私たちに神の門があざやかに開かれたのです。開けば誰にも閉じられることがない。閉じれば誰にも開かれることがない門です(ヨハネの黙示録3・7)。この門が開かれたのです。

 私たちに与えられた光に従って聞く人には、神の国の門が開かれているのです。これはすばらしいことです。

 神の国が開かれたということは、キリストが来臨する前です。未だかつて、全世界のキリスト教で、こんなにはっきり神の国が開かれたことがなかったのです。

 神の国とは何か。ア・プリオリが現世になっているのです。天地が創造される前にあったものが、今現われている。これが神の国です。

 これは絶対に間違いがありません。これが間違いだと思うことは、御霊に真っ向から反対しているのです。これが間違っていると言える者は、天にも地にも一人もいないのです。天使といえども、私の言葉を打ち消すことはできません。これには大確信があるのです。

 これを受け入れる異邦人は神の末になるのです。そうすると異邦人の祖先は神であることになるのです。これが新約時代の原点になるのです。

 ユダヤ人は祖先を持っている民族ですが、生まれながらの異邦人は祖先を持っていない。従って系図がないのです。系図がないからキリストもない。世にありて望みなしです。

 神なくキリストなく、世にありて望みなしというのは、人間が生きている状態は希望もないし、目的もないという意味なのです。今の異邦人は希望もないし理想もない。何のために生きているのか分からないのです。

 人間は何のために生きているのかという設問をしても無駄です。何のためにも生きていない。ただ死ぬために生きている。死を待っているだけです。日本の武士道はいかに死ぬべきかを考えていたのです。

 今の人間は死ぬために生きているのです。生きる目的もないし、こうしなければならないという原則もない、理想もない。理性と良心という尊いものを持っている人間なら、理想がなければならないのにそれがないのです。

 アメリカの大統領の一般教書を読んでみますと、アメリカの繁栄と自由と民主主義の宣伝をしているだけです。これは一般の人々から見れば最もらしく思える言い方ですが、繁栄とは何でしょうか。実体がありません。

 アメリカが繁栄してもお金の使い方が分からない。民族の理想もないし、目的もない。アメリカがなぜ存在するのかという理由を持っていないのです。繁栄という言葉をじっと見ていると虚しくなるだけです。

 アメリカの自由とは何か。人間がしたいことをすればどうなるのか。世の中が悪くなるばかりです。道徳が低下し、犯罪が増加するだけです。ただ死の影が漂うだけです。死を土台にして生活しているとそうなるのです。ただ虚しいだけです。

 罪の下に売り渡された人間が繁栄して、何になるのでしょうか。ただ死ぬだけです。

 神の国が開かれたということは、命の実物が展開していることです。皆様がこの中に入ってしまうと、新しく生まれるのです。水と霊とによって新しく生まれるのです。そうすると風のようになってしまうのです。

 イエスは言っています。

 「よくよくあなたがたに言っておく。誰でも水と霊とから生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれる者は肉であり、霊から生まれる者は霊である。

 あなたがたは新しく生まれなければならないと、私が言ったからとて、不思議に思うに及ばない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかは知らない。霊から生まれる者も皆、それと同じである」(ヨハネによる福音書3・5~8)。

 霊によりて生まれるというのは、風のようになるのです。風のようになると、どこから来てどこへ行くかが分かるのです。皆様が本当に新に生まれると、自分がどこから来てどこへ行くかが分かるのです。

 女は何を求めているのか。女は求めて求めてやまないのです。エバは自分で求めていたのです。求めて求めて求めそこなったのです。求めていなかったら、ヘビに誘惑されて善悪を知る木の実を食べなかったのです。

 求めるということが女の本性です。女は待っている。待っていることは求めていることです。男は待っていない。ただ遊んでいるのです。男は自分がいることに満足しているのです。女は自分がいることに満足していない。そこで待っているのです。消極的に言えば待っている。積極的に言えば求めているのです。

 女は何を待っているのか。何を求めているのか。それが女のボディーラインに現われているのです。女の美しさは求めているものの美しさです。

 男は盈満しているのです。おれは男だと自負している。男という功があるのです。女はおなごという業(ごう)があるのです。功と業は大変な違いです。

 男が造った文明には男の思想がそのまま現われている。アメリカ大統領の一般教書は男のほらです。男がほらを吹いているのです。

 皆様はご自分の写真をじっと見たら分かります。写真に映っている自分は影の自分です。真映とは違います。

 アメリカ大統領の演説は、アメリカが存在することの無意味さを、繁栄、自由、民主主義という言葉で現わしているのです。これは人間の思いで酔っぱらっているのです。

 女性をよく見てください。求めているのです。求めている美しさが色気になっているのです。女が求めているから、男はそれに応じてやろうかと思うのですが、実は女は男を求めているのではない。男の中の男を求めているのです。女は男の隠し所を求めているのではないのです。

 隠し所とは何か。これが分からないのです。神は譬を設けて口を開いているのです。譬とは何か。この言葉ほど分かりやすくて、分かりにくい言葉はありません。

 森羅万象として現われているのはすべて影です。その中に本当の世界が隠されているのです。目に見えるものは空なるものです。色即是空です。目に見えないものが神の国です。これが分からない。分からないからアダムとエバは騙されたのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


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