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とこしえの命を得る為に (4)


はじめに

 聖書には、神の国という言葉があります。今、人々が住んでいるのは、人間の国です。イエスは生きているうちに神の国を見つけて、その中に入れと命令しているのです。

 キリスト教で考えているイエス・キリストと、聖書に出ているイエスとは、全然違うのです。イエスは大工の倅でした。家具とか建具を造っていたらしいのですが、この人が神を見つけたのです。

 地球は現在、自転、公転しています。自転とは、夜があけて日が暮れることです。公転は一年かかって、太陽の回りをまわることです。

 なぜ地球は自転、公転を始めたのでしょうか。春には花が咲き、秋には実を結びますが、なぜでしょうか。この根本的な原因が、神の約束なのです。

 地球には自然法があります。寒い日には、水が氷になります。水を百度に熱すると、水蒸気になります。これが自然法なのです。

 物が上から下へ落ちます。これが自然法なのです。自然法がどうして地球に存在するのか。これが自然科学の原理になっていますが、これがどうして存在するのかということです。

 人間が地球に生まれてきたのは、理由があるのです。花が咲くというのは、命が花という形になって咲いているのです。これが人間の目に見える神の国なのです。

 人の心臓が動いています。心臓が動いているのは、花が咲いているのと同じ原理です。花が咲いていることの原理が分かりますと、心臓が動いているという原理が分かるのです。

 心臓が動いているという原理が、命の原理です。生命の原理が分かって、その原理を生活しますと、生活のあり方が変わってしまうのです。命が自分の命ではなくて、天地の命であることが分かるのです。花は、天地の命が咲いているのです。

 花は、枯れますが、死にません。花には死がないのです。人間には死があるのです。死があるのは、咎があるからです。自我意識があるからです。咎があるから人間は死ぬのです。

 咎とは業なのです。人間がこの世に生まれてきたことが、咎なのです。これは自分が造った咎ではなくて、人間が生きているという咎なのです。

 人間が生きているのは、業なのです。だから、人に憎まれたり、人に誤解されたりするのです。この世に生まれてこなければ、業はなかったのです。この世に生まれてきたばかりに、業が発生しているのです。

 例えば、自民党と共産党がいつも言い争いをしていますが、これが政治的な業なのです。全世界六十五億の人間は、業に満たされているのです。現在の人間文明は、業の塊なのです。

 この業の塊を徹底的に解明していきますと、神が分かってくるのです。逆に言いますと、神が分かりますと、人間の業が全部解けるのです。自分自身の業が、解けてなくなってしまうのです。

 神を知るというのは、そういう重要な意味があるのです。

 神とは何であるのか。神という字を見ますと、示すと申すがついて、神という字になっているのです。これは素晴らしい字です。神とは、何かを示して、申しているのです。

 例えば、花は命を示しているのです。命の本体が、美しいものであることを申しているのです。地球が自転、公転していることも、神が示し申しているのです。何を示し申しているのか。則を示し申しているのです。

 私たちが生きているのは、命の則が働いているのです。生理的に死の則が働きますと、死んでいくことになります。生きることの則、死ぬことの則、人間どうしの関係も、則です。則の原理は何かというと、これが約束なのです。

 示して申すものが、地球を動かしているのです。いわゆる神の足場が、地球なのです。小さく言えば人間存在、大きく言えば宇宙全体が神の足場なのです。人間とは小宇宙なのです。

 神と人は本質的に同じものなのです。だから皆様の命の本体が分かりますと、死ななくなるのです。死ななくなるだけではなくて、現世の人間の生き方の間違いが全部分かるのです。手に取るように分かるのです。イエスがこれを証明したのです。

 世界にはユダヤ民族がいます。世界全体の政治、経済、軍備、科学、芸術の中心ポイントを牛耳っているのが、ほとんどユダヤ人なのです。この不思議な民族が、神の約束の民族なのです。

 ところが、このユダヤ民族が困ったものでして、とびきり上等の人々がユダヤ人ですし、また、とびきり悪いのもユダヤ人です。非常に優れたすばらしい人物と、箸にも棒にも掛からないひどい人物と、両方いるのです。石川五右衛門と聖徳太子を合わせたようなものです。

 日本人とかアメリカ人は、悪いと言ってもたかが知れています。世界中をひっかき回す悪い人は、日本から出ていないのです。世界中をひっかき回す悪い人は、ユダヤ人に決まっているのです。

 イエスもユダヤ人なのです。このイエスが死を破ったのです。日曜日は、イエスが死を破った記念日なのです。二〇〇六年は、キリスト紀元であって、イエスが生まれたことが世界歴史の基準になっているのです。この人が、初めて死を破ったのです。本当に、歴史的事実として死を破ったのは、イエスが初めてなのです。

 イエスがどういう生き方をしたのか、命をどのように見ていたかということです。

 例えば、太陽があります。太陽には、効力と、効率と、効果があります。太陽の効き目が三つに分かれているのです。太陽の効き目とは何かというと、これが命なのです。命を証明しているのです。

 私たちは生きているという形で、太陽の効力と効率と効果を、毎日経験しているのです。果物を食べれば、そこに、太陽の効力と効率と効果が、示されているのです。人間が生きていることは、太陽の効き目を毎日経験しているのです。これを生かされているというのです。

 太陽の命は、死なない命なのです。宇宙の死なない命を、私たちは毎日経験しているのです。

 例えば、冬の寒い日に、日だまりで日向ぼっこをしていると、太陽の効力、効率、効果、つまり、生きていることの心地好さ、命のうれしさがしみこんでくるのです。これをつかまえたらいいのです。

 これをつかまえますと、今まで自分が考えていた人生の有象無象、矛盾が消えてしまうのです。そして宇宙の命と自分の命が、一つになってしまうのです。

 人の命は、宇宙の命を実感するため、経験するためにあるのです。自分が消えて、太陽の命の中へ入っていけるのです。そうすると、太陽が生きているのと同じ命で、生きられることになります。これが、とこしえの命、永遠の命のつかまえ方なのです。これを示し申しているのが、太陽なのです。

 太陽という見本を出して、本当の命はここにあるということを、示し申しているのです。これが本当の神です。日本人が考えている氏神、産土神は、神の粕なのです。現世の人間が拝んでいるのは、安物の神なのです。

 そういう紙屑みたいな神ではなくて、本当の神を見る癖をつけるのです。一杯の水を飲むにしても、日向ぼっこをするにしても、これが命の本質だと感じて、自分から抜け出して、命の中に溶け込む癖をつけるのです。

 命の中に入ってしまうためには、神の約束をどうしても勉強しなければならないのです。神の約束を勉強する方法が、日本にはないのです。従って、どうしても聖書を勉強するしかないのです。地球が造られた原因を勉強するためには、宗教ではない聖書を勉強するしかないのです。

 生きている意識、生活意識が問題です。人間の命は、感覚と意識で成り立っています。目で物を見る感覚が意識されます。般若心経では、これを五蘊と言っています。意識のあり方によって、命のあり方を変えることができるのです。これを信仰というのです。

 生理と心理の二つの機能が、人となって現われています。生理機能は肉体のことです。心理機能は精神です。肉体と精神が集まって、人間ができています。生理の理、心理の理が、神の言なのです。言が生理的に働いたり、心理的に働いたりしているのです。

 実は、人間は言そのものなのです。理性の本体が、皆様の本命なのです。聖書には、言が肉となって、地上に現われたと書いていますが、これがイエスなのです(ヨハネによる福音書1・14)。私たちはそれを経験しているのです。

 イエスが人間をどのように見ていたのか、その見方を勉強しますと、死なない命が勝手に分かるのです。

 本当に死を破って彼岸へ行った人、本当に永遠の命をつかまえたのは、イエスだけなのです。釈尊も、孔子も死んでしまった。親鸞も、日蓮も、道元も死んだのです。地球上で、歴史的に本当に死ななかった人は、イエスだけなのです。

 人間が死を破ったということは、人間歴史における最大のテーマなのです。軍縮のことよりも、政治経済のことよりも大きいのです。命のことは一番大きい問題なのです。このことを、全世界の学者は、全然勉強しようとしていないのです。

 実は、イエス・キリストが死を破ったという事件は、人間文明における学問の、最高の問題なのです。これが分かれば、人間の命についての基本的な勉強ができるのです。

 これを学会では取り上げていないのです。大学で、これが問題にできないのです。なぜ大学でこの問題を取り上げないのか。これは世界中の学者の怠慢なのです。十五年や二十年の怠慢と違います。二千年もの間、イエスが復活したという事実を知っていながら、これを勉強していないのです。

 なぜキリスト紀元が設定されているのか。これについて正しい説明をする責任が、今の学者にはあるのです。科学者にも、歴史学者、政治学者、法律学者、哲学者にもあるのです。

 キリストが復活したことは、すべての学問の根本、基本問題なのです。ところがそれを取り上げようとしない。ここに現代教育の間違いがあるのです。

 だから、人間の生活の仕方は、根本から間違っているのです。現在の日本人は、命を知らないのです。生きていながら命を知らないのです。これをはっきりいう宗教家は一人もいないのです。哲学者も学者もいないのです。世界中の学者はこの意味で、全部間違っていると言わざるを得ないのです。

 世界中の学者が全部反対しても、間違っていることは間違っているのです。全世界の文明の根本に、命を無視しているという重大な欠陥があるのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


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