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                                   知性の教育は危険
 
 今の日本人は、西欧文明にかぶれてしまっています。
 これは、明治以来の日本の政治に起因しています。薩長の人々が明治内閣をつくったのですが、その時代の人々は、革命主義の思想だけしかありませんでした。
 政治を行うとは、この世の流れに基づかなければできないものです。本来政治は、まつりごとであって、人間の魂をまつることを、第一に考えなければならないのです。まつりごととは、霊魂のことをよく考えることなのです。明治以後は、そういうことを全く考えていません。本当のまつりごとは、今の日本には全くなくなりました。
 欧米社会は、現実生活しか考えません。現実主義、現世主義なのです。これが日本の政治にしみこんでいますから、今さら政治がまつりごとをしなければならないと言ったところで、しかたがないかもしれません。だから、命のことは、自分で考えるしかないのです。
 私たちの世界観のスケールが小さいのです。それは、自分の生活、自分の家族のことしか考えないからです。
 私たちは、昨日という時間がなければ、今日、明日が考えられないような生活をしています。
 昨日のことを考えるから、今日があるのです。今日のことを考えるから、明日のことが考えられるのです。過去、現在、未来を全体的に考えなければ、人間生活ができないような意識を、持たされているのです。
 これが実は、人間に生れてくる前の人生、現世を去った後の人生があることを示しているのです。人間の霊魂は、過去世、現世、来世の三世を貫いて存在しているのです。
 今の学問は、人間の霊魂の本性を考えようとしていません。
 だいぶ前に亡くなられた奈良女子大学の数学教授の岡潔さんは、多少霊魂のことを考えられていたようです。この方は、数学を哲学的に見ていたようで、現代の教育が霊魂をだめにする、人間の情操性をだめにすると、しきりに言われていました。こういう学者はめったにいません。
 しかし、人間の情操性をだめにしている現代教育をどのように建て直したらよいかということを、岡潔さんは一言も言っていませんでした。
 知性の教育ばかりしますと、人間の情操性は、だんだん衰弱するのです。知性の啓発をしますと、情操、情緒がだめになるのです。だから、教育に関係がある人ほど、情操がだめになってしまっているのです。
 学校教育に関係がなくても、現代の社会構造の中で働いて、仕事をしてきたという自信を持っている人は、あぶないのです。社会的な自信がある人ほど、魂が盲目になっているのです。
      (内容は梶原和義先生の著書からの引用)

kazuyoshi kajiwara

      eternal life

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