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kazuyoshi kajiwara

       eternal life

                             第一章 暫時暫定の人生
                                    1.善の基準
 
 社会で、一般通念として用いられている善というのは、人間が造った概念で、国によって考え方が違います。善という言葉を使っても、ヨーロッパと日本では、非常に違います。また、アメリカと日本の場合でも違います。
 善悪というのは一体なんでしょうか。簡単に結論だけ言いますと、善というのは、本質的に命に関する問題です。
 命というのは、生活的な問題ではなくて、生命の本質に関する問題ということになります。
 日本人は、生活のことには非常に熱心ですけれど、生命の問題、命の本質に関する問題についてはあまり考えない習慣がついてしまっているのです。生活に熱心になったとしても、それが命の本質にどういう関係があるかということです。
 生活に熱心になることは、悪いことではありません。これは、社会的に見て悪いことではないということです。人間の命の本質から考えますと、生活のことに熱中しすぎると、命のことがお留守になるに決まっているのです。
 たとえば、家庭の問題、結婚の問題、お金もうけの問題、名誉の問題に一生懸命になりますと、命の方が自然にお留守になります。
 生活に熱心になることはいいのですが、命の本質にかかわりがあるような熱心でないといけないのです。
 命の問題を棚上げにして、生活のことばかりを重視しすぎるというのは、現代の日本社会の悪い風潮です。命の方向にかかわりがあることが善なのです。(内容は梶原和義先生の著書からの引用)
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