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kazuyoshi kajiwara

      eternal life

          間違った人生観
 
 自分の命があると思い込んでいる間は、毎日、その人は知らず知らずの間に、嘘を言ったり、人を騙したり、約束を破ったり、人を憎んだり、恨んだり、呪ったりしているのです。
 なぜそうなるかというと、自分が生きていると思っている。自分が幸せになろうという考えが中心になっているからです。これが悪なのです。
 自分が生きているという事実は、ないのです。
 世界中の人が、全部、自分がいると思っていますが、この考えが根本的に間違っているのです。なぜなら、誰も自分の意志で生まれてきた人はいないからです。
 私たちは生れた国も、年代も、両親も、性別も、顔の形も、肌の色も、自分で決めていません。名前でさえも自分でつけたのではないのです。
 ですから、自分が生まれてきたという事実は全くありません。自分ではないのに、自分だと考えている。これは根本的な誤りです。
 現在、人間は自分の力で自分が生きていると考えています。本当に自分の力で生きているのでしょうか。一体、心臓を自分の力で動かしている人がいるのでしょうか。誰もいないはずです。もし自分で心臓を動かしているのなら、夜眠ることができないはずです。自分が眠れば自分の心臓は止るからです。
 自分の力で呼吸している人がいるのでしょうか。自分の力で食べた食物を消化しているのでしょうか。脳の働きを自分の力でコントロールしているのでしょうか。自分の力で排泄している人がいるのでしょうか。
 空気を自分で造っている人がいるのでしょうか。水を自分で造っている人がいるのでしょうか。太陽光線を自分で造っている人がいるのでしょうか。
 すべて自分の力でしているのではない。ですから、百%自分の力ではない。即ち自分はいないのです。どこを捜しても自分がいないのに、自分がいると考えている。これが人間の妄念、妄想です。般若心経はこれを見事に否定しているのです。五蘊皆空、色即是空というのは自分はいないということを見事に現わしているのです。死とは何かと言いますと、自分がいるという思いです。これが死の正体です。
 初めは宇宙に死はなかったのです。大天使長ルシファーが、自分がいるという思想を勝手につくった。そこで、宇宙に死の法則が発生したのです。
 自分がいるという思いを、エデンの園でアダムに注入した。そこで人間に死ぬ運命を与えられたのです。
 地球にいる人間は皆、自分がいる、自分が生きていると思いこんでいる。だから皆、必ず死んでいくのです。ところが、自分がいるという思いを捨てれば、死ぬ自分を捨てることになる。だから死から逃れられるのです。これが死から脱出する唯一の方法です。
 五蘊皆空といっている般若心経は、観自在菩薩の悟りで、五蘊皆空を本当に悟りますと、菩薩になってしまうのです。
 般若波羅蜜多というのは、彼岸にわたる知恵ということですが、彼岸にわたる知恵を持つようになりますと、固有名詞の人間が消えてしまうのです。観自在菩薩、観世音菩薩という人格になるのです。
 自分が生きていないことが分かれば、その人は観音様になれるのです。「衆生本来仏なり」と白隠禅師が言っているとおりです。
 ところが、白隠禅師は仏になった人がどういう人かを説明していないのです。これが仏教の不十分な点なのです。
 人は本来、死なない命を持っているのです。生理機能、心理機能、五官は、死なない命の実体です。これを与えられて人間は現世に生れてきたのです。
 この世に生まれた時に、死ぬべき命ではない、天の命をそのまま受け継いで、この世に生まれたのです。
 ところが、この世の習慣にしたがって生きてきたために、自分が生きていると思い込んでしまったのです。これは、この世の思想であって、現代文明の思想なのです。
 文明の世界観、人生観が間違っているのです。命が間違っているのではない。間違った人生観をのみ込んでしまったのです。これが間違っているのです。だから死なねばならないことになったのです。
​  (内容は梶原和義先生の著書からの引用)
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