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  • 執筆者の写真管理人 chayamichi


それでは、「空」と「無」というものを、このように考えたらどうでしょうか。

ここに一つのコマがあるとします。小さなコマではあまりおもしろくないですから、

直径二十センチぐらいのコマを回したとしましょう。高速で回っているコマは、ほとん

ど動かないように見えます。遠くから離れてみたら、 コマがじっと立っているように見

えます。大きなコマですから、五分や八分は回りますが、やがて速度が遅くなり、ぐら

ついてきます。そのとき初めて、コマが回っているということがわかります。

空という思想は、全速力で回転しているコマによく似ているのです。見たところ別に

なんの変哲もない、遠くから見れば机に穴をあけて立てたのと同じ状態なのです。般若 

の知恵で見ない人には、実に平凡な、止まっているコマに見えるのです。

ところが、そのコマは全速力で回っているということにご注意いただきたいのです。

止まっているように見えているが、全速力で動いている。たえず運動をつづけている。

これが、空を説明する一番手近にある例としてあげられると思います。

ここに一つの灰皿があるとします。灰皿という形があります。諸行無常、栄枯盛衰、

行雲流水、何百年、何千年もたてば、形が変化し、ついには消滅してしまうでしょう。

灰皿は、瞬間、瞬間、変化しているのです。しかし私たちは、サビが出たり、はげた

り、ひびが入ちたりすると、変化したというでしょう。

ところが、灰皿は、工場で製品になった瞬間に、もう朽ちはじめているのです。どん

なものでも、必ず古くなります。物質は徐々に変化しているのです。

物理学的にいいますと、物質は原子の固まりから成り立っています。電気の固まりみ

たいなものです。電気の固まりですから、ただ原子核の回りを、電子が回っているとい

う運動があるだけなのです。原子核と電子の間は、からっぽになっています。ちょうど

宇宙空間に、星が浮かんでいるような状態になっているのです。核と電子の数の組み合

わせの変化により、いろいろな物質ができているのです。電気は物でしょうか。物では

なくて、 エネルギーです。机をたたけば音がしますから、固いものがあると思いますが、

実はまちがいなのです。

灰皿は電子の運動によってできているのです。電子が核の回りを恐ろしいスピードで

回っている。ちょうど回っているコマがあるみたいなものです。ところが、こうして形

が見えますから、止まっているコマとまちがえるのです。

そうしますと、はたして物があるのかどうかということになります。

お釈迦さんは、すばらしい考え方をしています。今から二千五百年前に、原子物理学

のない時代に、もちろん電子顕微鏡もない時代に、いや科学というものがなかったとき

に、物がない、空であるということを言いきったのです。

まるで二千五百年後に、理論物理学が、物体がない、単なるエネルギーだという説明

をすることを、予測していたように、言っているのです。これはすばらしい悟りです。

これが、「空」の実体です。

見たところ止まっているように見える。それが、全速力で、分解作用を起こしたり、

集結作用を起こしたりしている。簡単に言えば動いているのです。動いているが、私た

ちの目には物体としか見えないということなのです。

目には、物があるように見える。あるように見えるが実はない。それが正しい宇宙の

見方、「物」の解釈なのです。

「思い」は、あると思えばある、ないと思えばない。これは充分おわかりになると思います。

たとえば、お金を落としたとしましょうか。この場合いくら惜しいと思っても、返る 

わけではありませんから、しかたがないと思って、ぱっと忘れる。その瞬間になかった

ことになるのです。思いは思いようということなのです。思いというものはいつも変わ

るものだと、初めからきめてかかる。そうすると、固定しません。これが正しい見方で

す。

思いを持ってから、黒板消しで消すようにしても、なかなか消えるものではありませ

ん。思いなんか、いつも変わっているのだと最初から腹をきめてしまうのです。そうす

ると、だんだんと、自分の思いは嘘だ、自分の思いは無いということがわかってきます。


(内容は梶原和義先生の著書からの引用)

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