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         第三章

 

色即是空の色とは、現象世界のことです。形があるものは、全部色があります。物質的に現象しているものを、色というのです。

物理的現象が空であるというのは、本当は存在しないということです。これをよく考えて頂きたいのです。肉体があると思うのは、現世だけしか通用しない考えです。

自分の肉体がある。家庭がある。奥さんがいる。子供がいるというのは、この世に生きている間は、たしかに事実です、しかし、この世に生きている間というきわめて明瞭な限定がつけられているのです。

そこで、無限定にものを考えるという方向に進まなかったら、本当の意味での人格完成はできません。

肉体がある。家族があるというのは、現世の現象としてあるのです。こういうふうに考えればいいのです。現世の生活を、絶対だと考えないのです。自分自身の存在は、過去、現在、未来という永遠につながる本質をもっているのだと考えるのです。

人の命は、過去があって、現在という現象が生れたのです。現世に生れるためには、その原因があったのです。無形の原因に、人の命の本性があったのです。本来あった人の原因が、人間として現在現われているのです。

何のために現われているかというと、自分自身の命の本質を、究明するためです。この世に生きてみた所で、死んでしまうだけなのです。この点を、よく考える必要があるのです。

現在生きている命は、まもなく終ります。まもなく終ることが分かっていながら、現在の命を、本当の命だと思うことは、自分自身の理性と良心を、偽ることになるのです。なぜなら、理性は、現世以上の永遠を求め、良心は、無限の善を求めているからです。自ら、自分を偽ってはいけないと、聖書がいっているのです。だますのは、誰でもありません。

自分自身の思想が、自分をだましているのです。

こういう自分の思いを、聖書では、肉の思いといっているのです。肉体的に存在するという思いが、肉の思いなのです。肉の思いに束縛されているのが、現在の人間でありまして、文明思想が大変悪いのです。

この世の中の通念、常識が間違っているのです。社会通念にごまかされていますと、現世にいる肉体存在の自分だけが、自分だと思えるのです。

肉体人間はいます。しかし、肉体的に存在しなかった、過去の自分があるのです。魂の自分があるのです。魂の自分が、今、肉体的に現われているのです。

やがて、死んでいきます。死んでいくのは、未来へ移るだけのことです。過去から、現在、現在から未来へ移っていくのが、魂です。そのように見ていきますと、現世だけの家族とか、商売に限定されなくなるのです。それらは、現世の命なのです。

本当の意味での命の完成、人格の完成になりますと、現在の束縛された状態、拘束された魂ではなく、開かれた魂が必要です。開かれた魂で考えますと、今までの日本人の考え方に、頓着しなくなります。考え方が、根本から、変ってしまいます。

色即是空、五蘊皆空ということ、現象世界は、本物ではないという意識を持てば、思想が、だんだん切り替わっていきます。自由意志によって、これを、はっきり持つのです。

例えば、電車に乗るとすれば、電車に乗っている自分は、空なのです。動いている電車も、空なのです。このように考えるのです。そうすると、今まで眠っていた脳細胞が、だんだん働き出すのです。脳細胞が眠っているから、色即是空が分らないのです。

眠っている脳細胞を、呼び覚ますのです。そのためには、自由意志によって、自分の考えがまちがっていたと、はっきり意識することです。そうして、色即是空と、口に出して言うくらいになるのです。

目で見ているものは空であると考えて生活しますと、奥さんがいても、その奥さんは、幻なのです。女というものの、本質を勉強するために、神が妻を与えているのです。

目に見えている女は、本物ではない。目に見えている自分も、本物ではない。実は、男と、女という、宇宙の本性があるのです。命の性(さが)が、形として現われていることが、だんだん分ってきます。

このように、私達が生きている世界の実体を、はっきり看破するのです。今の学問は、ここまで、とてもいけないから、だめです。学問が行けないような、高い次元へ行かなければ、永遠の命をつかまえることはできないのです。

難しいと考えるのは、脳細胞が眠っているからです。眠っている脳細胞を、呼び覚ましたらいいのです。呼び覚ますためには、色即是空ということを、自分の脳細胞に言うのです。イエスは、目を覚ませ、そして祈れと、しきりに言っているのです。祈ることは難しいが、目を覚ます方はやさしいのです。これを、どんどんするのです。

実は、魂は、目を覚ましたいと思っているのです。その証拠に、おいしい魚を食べれば、これは、おいしいと思います。おいしいとか、おもしろいとか、美しい、楽しいことが、神の香りなのです。キリストの香りなのです。これを、福音というのです。

永遠の命は、おいしいことなのです。おいしいから、永遠の命をほしいと思うのです。まずかったら、ほしいとは思わないのです。本当の命を勉強するのは、おもしろいこと、楽しいこと、美しいことの本質を、勉強することなのです。

おいしいことが、キリストなのです。これを自分の舌が感じるのは、舌が、キリストを味わっているのです。目や耳や、舌が、キリストを聞き分けるのです。すばらしい音楽を聞けば、キリストに変化していくのです。眠っている脳細胞を、起す役目をするのです。人格完成は、とてもおもしろいことなのです。

​ (内容は梶原和義先生の著書からの引用です)

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