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とこしえの命(1)

 誰でも人間は自分の思いで生きています。ところが、自分の思いで生きているという普遍的通有性が罪です。

 自分の思いで生きているということが罪です。これが神に反するのです。

 皆様方の命は宇宙の本質、本性そのものです。宇宙の本質、本性が命の本体です。ところが人間は自分の思いで生きています。自分の考えで生きています。これが罪です。

 できるだけこれを征伐すること、矯正することです。できるだけ自分の思いで生きようとしないことです。これが命の尊さを永遠のものにするための努力です。

 現世に生きている人間の命が本当の命であるなら、問題はありません。自分の常識で自分が好きなように生きたらいいのです。

 人間の命は宇宙の本質、本性でありまして、現世に生きている間は命のごく一部です。ほんの一部です。現世を去ってからの命が本来の命です。

 命の本質は宇宙の本質です。宇宙の本質の命を現世の常識に従って生きているとしたら、大変な侮辱になるのです。

 現世は人間の常識で造り上げたもので、やがて滅んでしまうものです。現在の人間の歴史も跡形なく消えてしまいます。

 人間の歴史は永遠不滅のものではありません。人間の歴史は神が許している間のほんのわずかの現象です。ところが宇宙存在の実体は永遠のものです。日本人はこの世に生きている間のことしか考えません。これはユダヤ人がそう考えていて、その考えを世界中に広げているのです。

 現代文明の人間の考え方は、現世に生きている人間の意識のことしか考えていません。現世に生きている人間の意識は肉の命です。肉の人間の肉の思いです。

 肉の思いで生きている肉の命は、ごくわずかの間です。これは本物ではありません。肉の状態で生きている時に、肉の思いでいますと、必ず死ぬことになるのです。

 肉の思いは死であるという言葉がありますが、常識的に生きている人は必ず死にます。皆様も肉の思いで生きているなら、必ず死にます。

 必ず死ぬことが分かっていながら、その命を自分の命だと思っているでしょう。これが間違っているのです。これを罪というのです。

 肉体的に生きているということは、必ず死ぬに決まっているということです。肉体的に生きている命を自分の命だと思っている人は、罪を犯しているのです。自分自身の命に対して罪を犯しているのです。命を正しく見ていないからです。

 命の本質は宇宙の実体です。宇宙の本質が命です。宇宙の本質に従って命を見ようとしないで、人間の生活に従って命を見ようとしている。

 聖書はこれを肉の思いと言っています。肉の思いが死です。ローマ人への手紙の八章四節から六節を見れば分かります。

 「肉に従う者は肉のことを思う」とあります。「肉の思いは死であるが、霊の思いは命である」とあります。肉体的に生きていることを生きていると思っている。これが間違っているのです。肉体的に生きているのは、本当に生きているのではないのです。

 皆様が生きているのは目が見えることです。耳が聞こえることです。これが生きていることです。目が見えること、耳が聞こえることは肉体においてではありますけれど、その機能は肉体を持つ前からあったのです。もし肉体があっても目が見えず、耳も聞こえず五官が全く働かなかったら、本当に生きているとは言えないのです。

 実は五官の働きは霊なるものです。肉という現象ができる前のものです。これは神によって造られているのです。霊の働きが人間の魂の中心になっているのです。これが命です。

 前世の経験がそのまま現世にまで延長されているのです。これが五官の働きです。これが死なない命です。ところが肉体は死ぬ命です。心臓が動いているのは必ず止まる命です。心臓が動いていることと五官が働いていることは、同じ命ではありません。五官の働きは霊の働きであって、心臓が動いているのは肉の働きです。

 生きているうちに聖書の原理に従って自分の命を見れば、とこしえの命をはっきり知ることができます。ヨハネの第一の手紙の一章一節から三節をご覧になりますと、見たり、聞いたり、手で触ったりりしているのは、地球ができる前からあった命の言(ことば)であると書いています。

 命の言によって万物ができています。例えば花が咲いているのは命の言によって咲いている。それを私たちの目が見ているのです。そのように私たちが見ているのは、死ぬ命ではなくて死なない命を見ているのです。

 初めからあった命の言が本当の命です。心臓が動いていることによって生きている命は、現世だけの命です。心臓が動いているという医学的な命と、本質的な命は違います。

 人間の五官の命は死なない命でありまして、五官の働きの命の実体は、生まれる前からの継続です。これは聖書の勉強をして聖霊を受けることによらなければ分かりません。水と霊とによって新に生まれることを経験しなければ分からないことです。

 霊の命(生まれる前の命)を経験するのです。霊の命を経験して霊の命で生きることを考えて頂きたいのです。

 そうすれば、この世を去ってからでもその命はなくなりません。現世に生きている間に、とこしえの命の本質を経験する、死なない命を経験するのです。これは難しいことだとお感じになっているかもしれませんが、根気よく勉強して頂ければ誰でも分かるに決まっているのです。そう信じて頑張って頂きたいのです。

 人間がこの世に出てきたのは、その命を捉えることが目的です。これをよくご理解頂きたいのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


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