人間はこのような「肉の思い」の中にうずもれてしまっている。生きているかたちはあ
るけれど、本質的には死の中にとじこめられていることになるのだ。生きていながら命を
知らない人間――命というものの本質、本体を覚認していないのだから、これはたしかに
生きているとはいえない状態なのだ。
命といえば大自然の命。宇宙の命。それが一つあるきりなのであり、その命によって人
間は生かされているのである。「生かされている」ことは間違いなく生かされているのだ
が、しかしその命を自覚して、はっきり「生きている」といえるような状態で生きてはい
ないのだ。命という大切なものを与えられて居りながら、それを大切なものらしく生きよ
うとはしていないことになる。
昔は「命有っての物種」という言葉があった。これは何事も命があっての上の事。何と
いっても生命第一主義のいい分である。また「命から二番目」というのもあった。一番目
に大切なものは命なのだという意。いずれにしても生きていることを無上のものとした気
持がはっきり表現されている。命をささげるとか、命をけずるとか、命を拾うとかいうい
い方もすべて命のとうとさを表わしている。
年たけてまた越ゆべしと思いきや
命なりけり さ夜のなかやま
これは新古今集の歌なのだが、この「命なりけり」といういい方は、まことに命があっ
たればこそ―― という、命についての無量の感慨があふれている、見事な力強い生命の賛
歌である。命あってこその人生――有がたいこの命があってこその、といいたげなしみじ
みとした感じで命をたたえている。年たけてすり切れようとしている命。しわ苦茶の紙く
ずのようになった命なのだが、そのしわを丁寧にのばしてつつましい態度で、こよなく生
命を楽しんでいるとでもいえそうな風情がしのばれる歌である。
命をとうとぶという気持には、おのずから生かされていることの有がたさかたじけなさ
といったような気配が、にじみ出ている感じがする。これは神への素ぼくな本質的な「か
しこみ」の芽ばえのしるしでもあるのだが、人間が人権を主張するようになってから、こ
うした本性的な謙虚さとでもいうべきものが、人間自身の性格からかき消されたように失
せている。人権というのは人間が人間として固有する権利のことをさすのであって、これ
は生存上の対人関係、対国家関係などの原則としての概念であったはずなのだが、これが
そのまま、生煮えのままで宗教に対しても適用されていくことになったのだ。「信教の自
由」というのがそれなのである。
宗教というのはもともと無明煩悩(ぼんのう)から出た迷いにすぎないのだ。どれを信
じようが信じまいが、結果的には変りはない。行く先は同じ奈落の果てなのだから、信教
の自由などという概念は、政治する者たちのスタンドプレーであるにすぎないもの。実質
的には何の利点もないが、害悪だけははっきり存在することになる。
霊魂のことなどまともに考えなくてもいいという考え方を、おおっぴらにばらまくこと
になるからである。信教の自由という語は、信奉する宗教は自由だという意味なのであり、
これは元来、宗教戦争のむごい歴史をくり返した白人諸国の発想による政治概念の一つな
のである。日本でも宗教抗争による社会不安がなかったわけではないが、大体が無宗教に
ちかい感じの人間が多い国柄なのでヽ信教の自由ということをいわれなくてもはじめから
自由にやっていたのだが、あらためて信教は自由なのだといわれることになると、これは
― 上示教などは信じなくてもいいということなのだろう――と解釈することになる。
さわらぬ神にたたりなし。ほとけほっとけ神かまうな。そういう俗語をいくつも造って、
自昼公然と宗教を軽侮するやからが非常にふえた。いまや世界一、無宗教的色彩のつよい
社会になってしまったというこの事実。これには「信教の自由」というご託宣が、あずか
って大いに力があったのだ。
神といえば造化のあるじ。現実に我々を生かしているこのちから―― 「命と息と万物と
を与えて」いるこのちから――これがまともな神観なのだ。信じるも信じないもないので
ある。神を信じないということは息をしていることを信じない、というにひとしいことな
のである。― ‐それは自然に基づく生理現象だ― という人があるだろう。その通り。自
然の生理現象そのものが造化のあるじのちからなのだというのである。大自然の命。宇宙
の命。神からの命‐――これが人間の命なのであり、この外に命といえるようなものはどこ
にも存在するはずがあるまい。神というのはこういう分り切った大事実なのだ。あまり明
々白々でありすぎて「信じます」というのですら、いささかおもはゆいくらいのものである。
信教の自由という理屈は、こういう重大な事柄でさえ、こんがらがった気持の中に押し
こんではぐらかしてしまおうとしているのだ、ということをよく知るがいい。
(内容は梶原和義先生の著書からの引用)