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神の国と神の義を求めよ


 神の国とは何か。神の天地創造が現物になって現われているのが地球です。神の天地創造という事がらが現物になって現われているのが森羅万象です。神の国が見える形で現われているのです。

 聖書に次のような記事があります。

 「イエスはこれらの言葉をことごとく人々に聞かせてしまったのち、カペナウムに帰ってこられた。

 ところが、ある百卒長の頼みにしていた僕が、病気になって死にかかっていた。この百卒長はイエスのことを聞いて、ユダヤ人の長老たちをイエスのところにつかわし、自分の僕を助けに来てくださるようにとお願いした。

 彼らはイエスのところにきて、熱心に願って言った、『あの人はそうしていただくねうちがございます。私たちの国民を愛し、私たちのために会堂を建ててくれたのです』。

 そこで、イエスは彼らと連れだってお出かけになった。ところが、その家からほど遠くないあたりまでこられたとき、「主よ、どうぞご足労くださいませんように。私の屋根の下にあなたをお入れする資格は、私たちにはございません。

 それですから、自分でお迎えにあがるねうちさえないと思っていたのです。ただお言葉をください。そして私の僕をなおしてください。

 わたしも権威の下に服している者ですが、私の下にも兵卒がいまして、一人の者に行けと言えば行き、他の者に来いと言えば来ますし、また僕にこれをせよと言えばしてくれるのです』。

 イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた群衆の方に振り向いて言われた。『あなた方に言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない』。

 使いにきた者たちが家に帰ってみると、僕は元気になっていた」(ルカによる福音書7・1~10)。

 百卒長は部下の兵卒に、行けと言えば行く。来いと言えば来る。死ねと言ったら場合によったら死ぬのです。上官の命令によってそういう行動をするのです。

 言葉がそのような恐ろしい権威を持っているのです。普通の人間の言葉が、人の命を奪うかもしれないほど危険な仕事を命令するのです。兵卒がそれを実行するのです。

 これは一体どういうことか。言葉とはどういうものかということです。これは必ずしも口から出る言葉でなくても、文字としての言葉でも同じことです。

 文字とか言葉とかいうものは、その文字や言語に現われたことが実現するのです。言葉が実現するのです。

 言葉が実現するということが神の国です。「神の国と神の義を求めよ」とはこれを言っているのです。百卒長はこれが分かったのです。言葉にこれほどの力があることを見破ったのです。「あなたが私の所へ来て頂くほどのことはございません。どうぞ御言葉をください。そうすれば僕の病気は癒えるでしょう」と言ったのです。

 イエスはこれに驚いたのです。来て頂かなくても言葉だけで癒えると言ったのです。言葉で病気が治ると思ったのです。

 人間が日常生活で毎日しているという何でもないことの中に、神の国があるのです。そこでイエスは、「汝ら互いに相愛せよ」と言ったのですが、これはどういうことかということです。

 私たちは毎日、毎日、朝から晩まで、言葉を使って生活したり、仕事をしているのですが、これが神の国にいることです。神の国を造っているのです。ところがなかなか神の国が分からないのです。一体何をしているのかと言いたいのです。

 生かされているということは神よりのことです。これが生きているという現実になって現われているのです。これが大自然です。

 山も川も森も林も、皆命が現われているのです。命という隠れたものが、山とか川とかいう現象になって現われているのです。

 このように、私たちは目を通して、霊なる力、命を見ているのです。肉なる形を通して霊なるものを見ているのです。これができるのは人間だけです。

 これができる人間は、現象に従って歩まないで、霊に従って歩むべきなのです。

 「それを取ってください」と言えば取ってもらえるのです。日常の何でもない言葉が、事がらになって現われているということが神の国だとしたら、心で人を愛して、親切丁寧にしてあげようと思うのと、憎んでいじわるをしようと思うのとでは、宇宙的に大影響があるのです。

 人間の心が悪くなりますと、目に見える宇宙が悪くなるのです。人間は大変な位置に置かれているのです。だから、皆様一人ひとりが神の御霊を受けて聖霊に満たされて、皆様は神の国に生きているから、神の国を自覚して生きなければいけないのです。

 また、人を憎んだり、人を叱ったり、嘘を言ったり、焼きもちをやいたりしている。このことによって自分の生活を地獄にしているということを、人々に言うべきです。この世に極楽を現わすも現わさないも、人間の心構え一つなのです。

 人間の心は地球を造り変えることができるほどの力を持っているのです。今の地球はこれほど悪くなっていますから、地球を癒すことはできません。もう治る見込みがないほど決定的に悪くなっているのです。

 新しい天地を来たらせるという方法はあるのです。文明を早く終わらせて、新しい天地を来たらしめるのです。そのために、私たちの行いを清くすべきなのです。

 神の国を早く来たらせるために、私たちの心や行いを清くすべきなのです。

 「空の鳥を見よ」というイエスの言葉を考えてみますと、普通の人が見ますと、鳥が飛んでいて餌を食べているとしか見えないのです。鳥が勝手に生きていると思えるのですが、イエスは、鳥は蒔かず、刈らず、倉に収めないのに、神は鳥を養っている。神が何年も生かしているのです。これを神の国と言っているのです。

 人間の肉の思いで見ると現象しか見えないのですけれど、イエスは現象の奥にある霊的な事実を見ていたのです。神が鳥を養っているという事実を見ているのです。これが神の国です。神の国というのは何でもないことの中にあるのです。

 例えば、奥さんが台所でジャガイモを切っている。適当な大きさに切って、牛肉、ニンジン、玉ネギ、糸こんにゃく、グリンピースを加えて、おいしそうな肉ジャガを作ったとします。これが神の国です。良い味付けをして食膳に並べるということが神の国です。

 ジャガイモという神の創造物と、牛肉、玉ネギ、ニンジン、糸こんにゃく、グリンピースを加えて、人間の理性が働いて、大自然の産物と人間の力によって料理ができているのです。これが神の国です。

 私たちはこういうことを毎日しているのです。それなのに、神が分からないということはどういうことなのかと言いたいのです。神を信じるとはこういう簡単なことです。

 今ここに目が見えるとう現前が神の国です。この他に何もないのです。

 私たちは毎日の営みを通して神を経験しているのです。人間の生活の営みというのは、宇宙の営みの縮図です。人間の営みだけではない、大自然の営み全体が、宇宙の縮図です。

 例えば、川にはアユが泳いでいます。アユは一つの岩を守ってそれを縄張りにしているのです。そこで、アユがパトロールしているのです。アユが一つの岩の周りをパトロールしているということがアユの営みですが、これは宇宙の営みを小さくしたものです。

 天地宇宙の営みが、こういう格好になって現われているのです。「野のユリを見よとか、空の鳥を見よ」とイエスが言っていますが、これが宇宙の営みなのです。宇宙の営みがこのような形で現われているのです。これが神の国ですから、これを見よと言っているのです。

 私たちは現実に神の国、宇宙の営みを毎日、毎日経験しているのです。人間生活は宇宙の営みの一部としてあるのです。ところが、個人の生活がある、自分の生活があると考えるのです。自分の利害得失があると考えるのです。

 自分の持ち物がある。自分の利益、自分の立場がある。自分の経験、自分の気持ちをやたらに考えるのです。そうして、宇宙の営みを否定しているのです。その結果、地獄へ行かなければならないようにしてしまっているのです。

 神が空の鳥に餌を与えておられるように、人間にも必要なものを与えているのです。空の鳥を見て神が鳥を養っておられることが分かったら、自分にも食物が与えられるに決まっていることを信じたらいいのです。

 だから、何を食べ、何を飲み、何を着ようかと思い煩う必要はないのです。鳥や魚を養っている神は、人間を養いたもうに決まっているのです。

 ことに私たちは神の国と神の義を勉強していますから、必ず神が味方してくださると信じたらいいのです。単純に信じたらいいのです。

 神の国と神の義を求めたら、理屈をいう必要はないのです。現に鳥や魚が神に養われているという事実があるのですから、聖書を学んでいる人間は死ぬはずがないのです。

 ところが、人間はいつもびくびくして生きているのです。損はしないのか。病気になるのではないか。危ない目に会わないかと戦々恐々としているのです。年中おびえているのです。神を信じないからです。

 空の鳥を見ないのです。戦々恐々としている空の鳥は一羽もいないのです。人間は理性を持っていながら、神の営みを見ようとしないのです。

 人間に何のために理性が与えられているのか。大自然を見て、神の営み、神の国を弁えるために与えられているのです。

 大自然の中の生き物が生かされているという状態を見ることが理性の役割ですが、これさえできれば神が味方になってくださるということが、分かるに決まっているのです。これを証明したのがイエスです。

 イエスは父なる神に生かされていて、栄光を神に帰していたのです。生かされているということは、神に生かされているのだということを、単純に信じたのです。皆様もそのように信じたらいいのです。

(内容は梶原和義先生の著書からの引用)


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